懲りずに4度目―ピョンヤン管見記(1) -「一物三価!」経済が招くものは?-

著者: 田畑光永 たばたみつなが : ジャーナリスト
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 9月上旬、今年もまたピョンヤンを覗いてきた。そうとしか言いようのない訪れ方で、これが4年連続の4度目である。受け入れ機関の案内役とは勿論、毎日言葉を交わすし、ほかの人との会話もなかったわけではない。でも、なるほどこの国の人たちはそう考えているのかと、胸に落ちるような言葉をついぞ聞けなかったので、今回もまた細い管から覗いている以上の臨場感はえられなかった。
 なぜ行ってみたかったか。かつて中国の改革開放の始まりを北京で見ていたので、あの国もそろそろではないか、それなら1度は見ておかねばと思ったからである。しかし、行ってみてもなかなかそうした臨場感がえられなかったために、ついつい回を重ねてしまった。
 ただ今回は、毎回行くたびに経済についてレクチャーをお願いしている専門家(社会科学院上級研究士)から1つの方向性を持った変化を聞くことが出来たので、「そろそろ」が「いよいよ」になるかも、ということで報告させていただく。

小屋掛け商店の怪
 2、3年前からピョンヤンの街に、広さにすれば数平米の1戸建の小屋が目につくようになった。商店であることは間違いないのだが、それがなんだか変なのである。ピョンヤンでは表通りにも高層アパートが並んでいるが、その1階部分はおおむね商店である。初回の2010年の時、商店はほとんど開いていなかった。前年の末に行われた、外の世界では「デノミ」と呼ばれた通貨回収政策が大きな混乱を招いたための後遺症と説明され、中を見せてもらえなかった。
 商店や市場、あるいはデパートなどを見ることは、その国の生活ぶりを知る上での必須の作業であるが、あの国ではそれができない。われわれを受け入れた機関がとくに神経質なのかもしれないが、とにかく4度とも外国人観光客用のお土産店を除いては商店をゆっくり見せてもらったことがない。
 そこで小屋掛けの商店であるが、もとより案内役はわれわれがこういう店に近づくのを好まないので、目を盗んですばやくモノとネダンを1つ、2つ見て来て、それを交換し合った。とにかく値段が高い。アンパンのような菓子パンが1個1000ウォンから3000ウォン、揚げたり蒸したりした軽食が4000ウォンから7000ウォンといった具合である。最初は冗談ではないかとさえ思った。
 一般の職員・労働者の賃金がどのくらいか、これも確たる数字はないが、数千ウォンからせいぜい1万ウォンと言われている。その賃金レベルとこの数字はマッチしない。
 ところが今回はその理由、またビルの1階商店の前に小屋掛けの商店が存在する不思議を、専門家に聞くことが出来て、どうやらすこし分かったような気がしてきた。
 説明によれば、小屋掛けの小商店は個人商店などではなく、正規の商業機関が出したものである。現在、商品の価格は2種類ある。基礎的消費物資は地域の商業系統(これがビル内の商店)を通じて安価で住民に供給することになっているが、最近、それは需要を満たしていない。つまりモノがない。その理由は原材料の値段が上がり、中には輸入品もあるため、決められた価格ではコストに引き合わず、生産ができないからと言う説明であった。
 そこで供給を保障するために、今年の4月1日から独立採算制の企業には生産物の一部を公式に決められた低価格で出荷させる一方、一部は「市場」(注:この場合はヤミ市場)よりは安価だが、公式価格よりは高く売ることを認めたのだそうである。それを売るのが小屋掛け商店である。
 「一物二価」を政府が公認したのだ。小屋がけ商店は政府の決定があって始まったわけではないから、決定は現実を追認したものであろう。同一商品に違う値段をつけて同じ店に並べるのはさすがに具合が悪いので、非公式価格商品を売るために別の店が作られたのだ。
 それにしてもあの値段では誰も買えないのではないか、という質問への回答は、経営がうまくいっている企業に対しては成績に応じて給料を上げることも認めたから、今では月給3万~5万ウォン、中には15万ウォンというところもあるとのことであった。
 ともかくこうして計画経済に穴が開いたのである。専門家は社会主義の原則は守ると力説していたが、儲かる市場向け製品と儲からない社会保障的商品のどちらに企業が力を入れるかは明らかである。この穴が今後どう広がるかが注目点である。

為替レートの怪
 ところで北朝鮮にはじつは政府が決めたもう1つの物価がある。外貨の公式レートによる物価である。北朝鮮のウォンは実は公式レートではほぼ日本円と等価である。9月6日現在のレートでは日本円1円の買いが0.963、売りが0.981ウォンであった。したがって1米ドルは100ウォン内外、ユーロは約130ウォン、中国元は16ウォン強。われわれが泊まったホテルの部屋代は22800ウォン、食堂の冷麺588ウォン、牛肉スープ448ウォン、ライス42ウォン・・・そのまま日本円に置き換えてもそれほど違和感はない。小屋掛け商店のほうがずっと高い。
 ところが市場では1ドルが5000ウォン、6000ウォン、7000ウォンといった数字が時折報道される。昨年10月19日『毎日』の隅俊之記者の報告(「平壌紀行4」)では1円=74ウォンとある。つまり実勢は公式レートの数十分の1なのである。同記者はデパートの両替所で交換してもらったと書いているから、これはヤミでもなんでもない、もう1つの、いわば裏の公式レートである。実態は公式レートがヤミに近づいているということだろう。
 これでなぜ外国人が来ても、自国通貨に交換させないのか、その理由がはっきりした。 外国人にはホテルや外貨ショップ、外貨レストランで(最近、こういう店が多く、先頃、金正恩第一書記が「現地指導」したと報じられたピョンヤン市内の焼肉レストランやコーヒーショップも外貨専用である)外貨のまま使わせる。そのレートは円と等価の表(おもて)の公式レートである。もし外国人に表のレートでウォンに交換させて、街に出したら、たちまちからくりがばれてしまう。だから外貨のままで消費させるのである。前記『毎日』の隅記者は中国の200元(当時、約2500円)を両替して「金日成主席の肖像画が描かれた 5000ウォン札の束」を渡されたと書いているから、よほど物わかりのいい案内役に恵まれたものと見える。
 というわけで、通常は外国人には両替はさせないから、街中に中國元をはじめ各国通貨が勝手に流通する。それを吸い上げるために、今、当局は外貨を入手できる企業や個人に対して貿易銀行に外貨口座を開くよう行政指導しているようだ。そのレートは勿論、裏の公式レートであるはずだ。以前、タクシーの初乗りがなぜか外貨の1ドルと設定されていることを紹介したが、タクシー用には外貨のプリペイド・カードが出来ているという。需要が増えたせいかタクシー自体もずいぶん増えた。それもツートンカラーに塗り分けた、一目でそれとわかるタクシーが。
 最近、韓国との境界線に近い元山地区に馬息嶺という大規模スキー場が朝鮮人民軍の手によって突貫工事で建設が進められて話題になっているが、これも外貨獲得のためであることがはっきりした。このスキー場はその仕事ぶりの速さが「馬息嶺速度」という言葉まで生んでいるのだが、逆に言えば、今年の春のあの戦争騒ぎの時もここの「人民軍」は戦闘に備えずにもっぱらスキー場建設に励んでいたわけで、あの「緊張」の裏側をはしなくも露わにした。
 じつは北朝鮮は今年5月に経済開発区法を成立させ、主管官庁として国家経済開発総局を設置した。それは全国各道(行政区)に経済開発区を設置させ、工業、農業、観光、加工輸出、先端技術の各分野にわたって外国資本を受け入れるようというものであある。
土地の貸与期間は50年(延長可)、企業所得税は14%(インフラ建設、ハイテクなど奨励項目では10%)、利潤を再投資する場合は5年間の所得税の半額を返還(インフラへの再投資なら全額を返還)する、などの優遇策が盛り込まれている。開城の工業団地でのトラブルを意識してか、投資側の「生命、財産、利潤は保護される」と、専門家は解説した。
 これまでも開城のほかに北の羅先市、鴨緑江河口に近い中洲の黄金坪などに開発区が設けられていたが、今後は全道に開発区となれば、これまで否定してきた「改革・開放」の開放に踏み切ろうとしているともみられる。そしてその前段階として現在は、やってくる外国人からはなるべく多額の外貨を吸いとろうとしているようである。

農村「分組管理制」の復活
 北朝鮮のアキレス腱、食糧問題のカギは言うまでもなく農村にある。同時に実態がさっぱり分からないのも農村である。ピョンヤンから板門店に出かければ、往復で半日以上農村地帯を走るのだが、田んぼや畑の向こうに見える村落の内部は窺い知れない。
 しかし、くだんの専門家によれば、農村においても昨2012年6月から「分組管理令」をきちんと適用するための措置がとられたという。「きちんと適用」というのは、この制度はすでに1965年に金日成主席が打ち出したもので、別に新しいことではないからだそうで、うまくいっていた1984年ごろには食糧生産1000万トンを実現し、輸出したこともあったという。ちなみに昨年の穀物生産量は529万8000万トンで前年比16万トン増だそうである。
「分組管理令」というのは、耕地とそこの農作業に責任を持つ生産単位を細かく分けて、収穫から上納分(土地使用料、灌漑費用、肥料・農薬代)、支払い分(手助けへの労賃など)、それに翌年の種子、などを除いた残りを労働に応じて自由に分配することを認める制度である。きちんと適用というのは、その人数を3人から5人と少なくして生産意欲をかき立てようということである。
 社会主義の農業政策は収奪を強めるために大規模集団労働を実施して農民に「自分の作物」意識を捨てさせるか、生産意欲を刺激するために小規模、ときには個人経営を認めるか、この両者の間を振り子のように揺れるのだが、北朝鮮はこれからあらためて後者に進もうとしているわけである。この政策はすでに未確認で伝えられていたが、今回、専門家によって確認された。昨年の16万トンの増産がその影響であるかどうかについては、流石に専門家も首を傾げたが、同時に「まだ食糧問題は解決していない」と認めていた。

さて、どうなる?
 以上が今年の「管見」の報告である。はっきりしたのは北朝鮮がその社会制度の根幹としてきた「供給制」―計画生産により生活必需物資を安価で保障―が崩れたために、需要と供給の不均衡を市場機能で調整せざるをえなくなったことを政府も追認したことである。一昨年のGDPは220億7000万ドル(1人当たり904ドル)で、この6年間の成長率は10%を超えると、この数字に専門家は胸をはったが、実態は一物一価どころか一物二価にも三価にもせざるをえないほどに、生産と流通は混乱している。
 これを収拾するには、とにかく生産を増やして絶対的なモノ不足を解消するしかないが、それを市場機能と企業の自主性(利潤獲得動機)に任せれば、弱者は置いてきぼりにされるだろう。となれば、元の水準が低いだけに大きな社会問題が発生するのは必至だ。
農村の「分組制」にしても、増産を農民の利己心に頼るとすれば、最後は中国のように「包産到戸」(個人請負)にまで行きつかざるを得ない。何事によらず統制を身上としてきたあの政権がはたしてそこまで割り切れるのか。
 開発区にしても、これまでの唯我独尊の対外姿勢をにわかに「もみ手」路線に切り替えられるのか、はなはだ疑問である。
 そういう疑問は疑問として、さっくり言えば、あの国もついに背に腹はかえられず、中国式「改革・開放」路線に歩み出そうとしているかに見える。
 そこで、中国の「改革・開放」との比較という最初の関心に即して、北朝鮮の現状を整理しておきたい。
 中国の改革・開放は1978年末に開かれた中国共産党の第11期3中全会から始まった。これは前年7月に3度目の失脚から復活した鄧小平のイニシアティブによるものだが、改革・開放を打ち出す前に慎重な与論工作がおこなわれた。78年5月から始まった「真理を検証する唯一の基準は実践である」というキャンペーンである。その中身は俗に言えば、「いくら偉そうなことを言っても、生活は豊かになったのか」ということであった。
 1972年のニクソン訪中および日中国交回復によって、中国は鎖国状態から抜け出したが、そこで国民が見たものは、西側諸国との生活水準のあまりに大きな格差であった。「中國は世界革命の中心であり、毛沢東思想はそのまた中心である」と聞かされながら、この状態はなんなのか、という庶民の思いにこのキャンペーンは素直にしみこんで行った。その上での改革・開放であった。
 しかし、北朝鮮ではそうした世論工作は全く行われていないどころか、実績皆無の若い指導者を天まで持ち上げることに懸命である。このまま改革・開放に進んで国民に世界の現実を見せる勇気はおそらく指導部にはないであろう。
 それでは今年4月から実施された、企業の生産計画や給与決定における自主権拡大はどう位置づけられるか。中國でも改革・開放初期の1980年代に計画経済と自由経済が併存した時期があった。経済の基本部分に計画経済を残して、一方で自由な企業経営を認めたのである。
 その結果は本来、計画経済部門に回されるべき原材料などが、役人の手で自由経済部門に横流しされる現象が横行した。それは当時「官倒(倒は右から左へ回す意)」と呼ばれ、庶民の怨嗟の的となり、1989年の天安門事件の原因の1つに数えられている。
 北朝鮮では生産と消費の大きなアンバランスから緊急避難的に企業の自主権拡大が行われたと思われるが、おそらく中国と同じことが起こるであろう。とくに管見の限りでは計画部門と自由部門の価格差がとてつもなく大きいから、いきおい計画部門は有名無実化する。となると、生産財の流通を握る官僚を頂点とする自由経済のサイクルに場所を見つけるか、あるいは外貨に手を触れられる仕事に関わって、為替レートの内外差の恩恵に浴するか、いずれかが生き延びるための手段となる。
 また「分組管理令」によって食糧は大っぴらに高騰するだろう。その時はみ出た階層の居場所はどこになるのか、軍の特権はどうなるのか、新しい疑問が次々と沸いてくる。

>初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔opinion4625:130930〕