戦争法案を通してはならない

メール通信「昔あったづもな」第45号

 安倍首相は、国民の6割以上が“まだわからない“と言っているのに、強行突破をしようとしている。明白な憲法違反を違反でないと言い張り、具体的な戦場の場面はまともに説明できない。兵站基地は安全なところに作るのだから自衛隊に危険は及ばない、なんぞという説明は、まともな大人の説明ではない。
 安倍首相に取り入りたい若手議員からは、言論弾圧の暴論が出る。安倍首相の親友らしき小説家からは、沖縄についての無知をさらけ出して沖縄の人たちへの侮蔑的発言が飛び出す。
 
 安倍首相はもうこれ以上のぼろが出ないうちに、戦争法案を強行採決してしまおうと思っているに違いない。高村副総裁は、「もう十分時間をかけた」と言い始めた。われわれは国会の外で反対を叫ぶが、国会内での戦いは国会議員がやるしかない。野党議員は、まことに体を張って採決を阻止しなければならない。
 野党と言いながら自民党の飼い犬野党もあるが、反戦、反原発、憲法擁護の野党は、細かい差異は捨てて、戦争法案の採決に反対しなければならない。議場が荒れるのは当然の成り行きではないか。
 われわれ国民は、あらゆるところで声を挙げよう。平和な日本を子どもたちに渡さなければいけないのだから。

 2520億円の新国立競技場建設
過去のいろいろな国のオリンピックと比べて、まさに桁違いである。誰が聞いてもあきれる建築について、誰も責任を持っていない。形式上の責任者は文科大臣だというが、彼は内容を知らないまま承認した。設計を選んだ委員会の責任者、安藤忠雄は最終決定の場に欠席だし、コメントしない。
 この建築は将来必ず国民の負担になる。維持費がついて回る。菅官房長官は、これを変更したら国際的に信用を失うと、深刻そうな顔をして述べていた。だが、国際的と言うならば、こんな桁はずれな建築を一回のオリンピックのために建築することそのものが、国際的に嘲笑されていることを知るべきである。そもそも大きすぎるし、オリンピック後の維持費用が掛かることは誰の目にも明らかなのだから。

 その後の維持費用がかかるということは、次の世代に迷惑をかけるということなのだ。秘密保護法を作り、戦争法案を作り、巨大な金食い競技場を作る今の世代は、今後長きにわたって孫、ひ孫たちの恨みを買うことになる。
 一度立てた計画を、冷静に判断して中止することができない日本という国。そのとき、常にだれも責任を取らない国。原発作成の過程もそうだった。大ダム建造の過程でも同じことが起きている。戦争法案を作って日本を戦争する国に作っていく過程も同じだろう。憲法に違反していることが明らかになっても、中止することができない。アメリカの戦争に巻き込まれて、日本がいわゆるテロ攻撃を受ける事態になっても、誰も責任を取らないだろう。安倍首相は、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にないといきまいているが、そうなったとき、安倍首相は責任を取らないだろう。

 これをいきなり「日本人の特性だ」とはぼくは言わない。歴史の中には、責任ある人たちがいたのだから。これは「官僚の特性」だと思う。計画は立てる。だが責任は負わない。高級官僚たちはそうやって地位をあげてきたのだから。福島第一原発の大事故にまつわるすべての経緯がそのことを明らかにしている。そして、政治家たちも、そういう官僚をうまく使いこなして(こなしたつもりで?)勢力を広げるのだから、官僚の特性はいつまでも変わらない。
 日本では敗戦後、軍部は解体されたが、官僚機構は生き延びた。それでもしばらくは、「公務員は国民の僕」であると言われて、「公僕」という言葉が使われた。
 しかし今や、その言葉自体が聞かれなくなり、官僚支配が強まってきている。その端的な表れが、戦争法制制定への強引な流れであり、新国立競技場建設の無責任な決定なのである。(2015.7.9)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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