戦後70年、君に日本の恥部が見えるか - 自立自尊の精神を失った日本

著者: 盛田常夫 もりたつねお : 在ブダペスト、経済学者
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1966年に大学へ入学するまで、アメリカの占領下にある沖縄では誰もが英語を話すものだと思っていた。クラスに沖縄から「留学」してきた同級生がいて、自分の無知を恥じたことを良く覚えている。沖縄は日本本土から切り離されて、アメリカの軍事占領の真っ只中にあったのだ。
この時代、沖縄から本土の大学に進学しようにも、よほどの金持ちでもない限り、進学は不可能だった。沖縄出身者には政府の特別枠の「留学制度」があり、これを使って多くの沖縄出身の若者が、本土の大学へ進学した。本土に渡るにもパスポートが必要だった。戦後20年以上経てもなお、沖縄は日本から切り離されたままだった。軍事占領下にある沖縄の人々が敗戦の痛手を一手に引き受けていることが分かり、自らの不明を詫びた。
そもそも、いったいなぜアメリカ軍は戦後70年もの間、日本に駐留しているのだろうか。日本政府はこの駐留があたかも永久に存続するように振舞っているが、これが主権国家の在り方なのだろうか。日本は独立した主権国家というが、軍事主権はアメリカに掌握されたままではないか。だから、国際紛争の中で、日本はアメリカの従者としてしか働きえないのではないか。これが戦後の日本の政治家や国民が望んだ国の姿なのだろうか。
こういう問いかけを、若い人は思いつくことすらない。保守革新を問わず、終戦後に日本の主権回復に奔走した政治家が誰もいなくなり、1960年に激しい安保反対闘争を繰り広げた人々もすでに老年に達し、その間隙を縫って、戦後生まれの能天気な政治家が、アメリカの軍事支配を同盟と読み替え、アメリカ詣でに出かけている。国の威信と主権の回復のために、講和条約締結に奔走し、その後の国家自立への道を模索した政治家は、今の政治の現状を何と言うだろう。

なぜアメリカ軍は日本にいるのか
若い人はなぜアメリカ軍が日本に駐留している理由を考えることもないし、なかにはアメリカと戦争したことすら知らない者もいる。まして、日本が朝鮮を植民地支配し、中国を侵略したことなど想像もできない。逆に、アメリカ軍は朝鮮や中国から日本を守るためにいると考える者は多い。戦後の日本は、隣家に強盗入って警察に捕まったが、仕返しを恐れて、警察の庇護を乞うているようなものだ。庇護を受けているうちに、自分が被害者だと錯覚してしまい、被害と加害の関係を逆転させて思い込むのに似ている。
アメリカ軍は戦後の軍事占領の延長で、アジアの軍事拠点として日本を利用しているのであって、日本を守るために駐留しているのではない。にもかかわらず、駐留費用の多くを日本が負担している。アメリカにとってこれほど安上がりな軍事拠点はない。
1951年のサンフランシスコ講和条約の締結によって、日本は形の上では主権を回復した。講和条約第6条では、条約締結から90日以内に、外国の軍隊は日本から撤退することが謳われた。外国軍が駐留する国家は、独立国家と言えないからだ。しかし、アメリカはアジアでの軍事的プレゼンスを確保するために、日本の軍事基地の存続を決めた。講和条約第6条に例外規定を付記し、日本からの要請でアメリカ軍が引き続き駐留できるようにした。それが旧安保条約であり、日米地位協定である。日本は形式的に主権を回復したが、アメリカは軍事主権を手放すことはなかった。
アメリカ軍は、1960年の安保条約改訂(新安保条約)、1970年の安保条約自動延長協定によって、戦後70年を経てもなお、日本全土に駐留し続けている。中東欧におけるソ連軍の駐留でさえ40年で終わった。期限のない半永久的駐留など、近代の民族国家の歴史では例をみない。
だから、今でも首都東京上空のほとんどの領域がアメリカ軍(横田基地)の制空圏内に入っており、日本の民間飛行機は侵入できない。このため、羽田あるいは成田を発着する民間機はこの領域を避けなければならない。東京の空は日本の空ではない、アメリカ軍の空なのだ。沖縄にだけ米軍基地問題が存在するのではない。首都上空の制空権を喪失するという屈辱的な軍事的支配が、70年間も続いている。しかも、そのことに多くの日本人は何の疑問を感じることもない。
先進国家のなかで、軍事主権を他国に掌握されている国は日本だけである。しかも、深刻な基地問題を沖縄に押しつけて日本の恥部を隠した結果、日本がアメリカの軍事主権下にあることに慣れてしまい、政治家も国民も現状に何の違和感を抱かなくなった。力をもつ者が家に入り込み、家人が従属的な生活を送るうちに、親近感を抱くようになり、自立できなくなる現象である。国家レベルのDV現象だと言えよう。まさに日本人は、政治家も一般国民も、国家的DVの罠に嵌ってしまい、そこから抜け出すことができないのだ。

アメリカの戦後占領が続く沖縄
無謀な戦いで多くの犠牲をだした太平洋戦争は、最終的に原爆投下によって終結したが、終戦を迎えるおよそ5ヶ月前の1945年3月、沖縄ではアメリカ軍との地上戦が始まった。まったく勝ち目のない戦いは20万人とも推計される犠牲者を生み出したが、民間人の死者は10万人にも上るとされる。民間人の集団自決はいまでも語り継がれる悲劇である。
 沖縄の悲劇はそれに留まらない。米軍は沖縄を日本本土への攻撃の拠点として利用するべく、米軍基地を構築し始めた。その一つが、今焦眉の問題となっている普天間基地である。普天間基地こそ、アメリカが本土攻撃のために構築した軍事基地だ。中国、朝鮮を見渡せる沖縄は、アメリカ軍にとって願ってもない戦略上の重要拠点である。
サンフランシスコ講和条約第3条で、日本が主権を回復した後も、アメリカが沖縄の信託統治をおこなうことが定められた。領土不拡大を原則とする戦後処理において、沖縄を信託統治におくことはこの原則に反する。それゆえ、統治継続を主張する軍部と領土不拡大を主張する国務省との間で、激しいやりとりがあったとされているが、最終的に軍の意向が通った。アメリカ軍にとって、アジアの戦略的拠点である沖縄を手放す選択肢などなかった。
こうして、日本の主権を回復させるが、沖縄は引き続き、アメリカの軍事占領下におくという講和条約が締結された。この第3条の解釈をめぐって、当時の国会では論戦が行われ、主権国家の領土の一部が他国の信託統治となることの国際法的な根拠について議論が展開された。
日本が国連に加盟した1956年には、再びこの沖縄信託統治が論戦の対象になった。なぜなら、国連加盟国は主権国家同士の国際機関であるから、他の加盟国の領土を信託統治してはならないからだ。しかし、アメリカは引き続き、戦略的重要性から、沖縄の軍事的支配を続けたのである。
さらに、沖縄には新たな困難が降りかかった。1960年の安保条約改定で大規模な抗議行動が起こり、在日アメリカ軍は本土の基地を縮小して沖縄に集中させ、日本国民の怒りを抑えようとしてきた。以後、アメリカ軍は日本本土に点在する基地と、沖縄に集中させた基地を統合して、アジアの軍事拠点として日本を利用している。
主権国家が軍事的に従属しているという実体を隠すために、沖縄はその矛盾を一手に引き受けてきた。だから、1972年に沖縄の施政権が返還されても、軍事基地の縮小撤廃は政府の課題にすらならなかった。戦後70年を経ても、沖縄には戦後占領の実態が厳然として存在する。それが沖縄問題であり、たんに普天間基地の移転問題ではない。

軍事主権喪失という恥部を隠す日本の政治家
 政府は沖縄基地問題の本質の議論に入ることなく、危険除去という視点だけから普天間基地移転を優先する立場をとっている。しかし、基地を新たに建設する、しかも平和で美しい海を埋め立てて軍事基地にするという発想はいったいどこからでてくるのだろうか。基地を順次縮小撤廃していくならまだしも、膨大な費用を日本が負担してまで、新たな基地を作る理由がどこにあるのか。それもこれも、問題の根本的解決を避けて、当座の処理しか考えていないからだ。
 普天間移転構想が動き出してからもう20年、基地移転が延び延びになってきたのは、交渉の出発点が間違っているからである。本土攻撃のために建設された普天間基地は移転されるべきものではなく、撤廃されるべきものだ。しかし、その議論を避けて、アメリカの顔色をうかがいながら外交を進めるから、選択肢が限りなく狭められた。基地を撤廃するのではなく、「どこに移転していただくか」という矮小化された問題になってしまった。
なぜ、日本の政治家は、「普天間基地を閉鎖して、土地を返還してもらいたい」と言えないのか。新安保条約制定をめぐる1950年代の保守の政治家はまだ、日本から基地を撤廃させ、名実共に主権国家として自立することを目指していた。しかし、アメリカ軍基地の多くを沖縄に押しつけ、軍事主権喪失という主権国家としての恥部を沖縄に隠し続けてきた結果、政治家も多くの日本人も、自らの恥部の存在そのものを忘れてしまった。
アメリカの外交軍事支配から自立して、名実共に自立した国家としてアメリカと付き合うのではなく、軍事的従属関係を保持しながら、それを日米同盟読み替え、アメリカの尻を追いかけている日本の姿は惨めである。中国がまさに日本のそのような姿勢を嘲笑している。従属を同盟と読み替え、アメリカの軍事的支配を正当化する政治家こそ、文字通りの売国奴ではないのか。
戦後生まれの政治家は、誰一人として、アメリカの圧力に抗しようともしない。理論や交渉戦略を周到に練り上げることなく、ドン・キホーテのように、無手勝流でアメリカに出かけた鳩山首相を、アメリカが籠絡するのは簡単だった。しかも、日本政府の高官たちはアメリカ政府要人に、「どうせ民主党政権は短命だから、真剣に相手にすることはない」とまで内通する始末だった。鳩山首相の非力と凡庸さは批判されるべきだが、アメリカにへつらい、内通してまで首相を陥れるような輩こそ、文字通りの「売国官吏」だ。このような高官の行動にこそ、アメリカの外交と軍事行動に追随する情けない戦後日本の政治の状況が象徴されている。そうやって内通している「売国官吏」は、いったい誰のために、何のために仕事をしているのだろうか。主権国家の官吏としての意地や威信、誇りはどこにあるのか。
政府高官はもちろん、今の政治家にはアメリカの基地を撤廃するなどという考えは一片もない。だから、先進国では例のない、事実上無期限の外国軍隊の駐留という屈辱が70年も続いている。屈辱という観念すら喪失するほどに、日本の政治家は自立国家としての意地や威信を失ってきた。だから、戦後日本の恥部の役割を担っている沖縄に、さらに新しい基地を建設して、アメリカの信頼を保持したいといういじけた発想が生まれてくる。
新たに基地を造り、そこに移っていただくのをお願いするという卑屈な外交が、戦後生まれの政治家の姿勢だ。アメリカ国防省から「良い子」と可愛がられるかもしれないが、内心では「日本の政治家は何でも言うことを聞く小心者」だと思われているだろう。アジア諸国から見た日本は、アメリカの小間使い。「集団的自衛権で世界の果てまでついていきます」と、わざわざアメリカに出向いて媚びを売った高村なんとかという政治家もいるが、アメリカが惹き起こした戦争を追いかけ、「世界のどこまでも」という涙ぐましい諂(へつら)いは、アメリカ人にとっても気持ちが悪いだろう。付いてくるなら歓迎するが、気高い精神をもった日本人が、何時から自立自尊の誇りを失った低級な民族になったのだろうか。それがアメリカの知性ある政治家の率直な感想だろう。
(関連する記事は、http://morita.tateyama.hu を参照されたい)

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