今年の小林研一郎ハンガリー公演は、日本で人気上昇中のピアニスト、金子三勇士君との共演で始まった。チェイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番は金子君がもっとも得意とし、数多く演奏してきたコンチェルトである。昨年1月、小林研一郎のロンドンフィルとのチャイコフスキー収録が終了した後、スポンサーの特別な計らいで、金子君がこのコンチェルトをロンドンフィルとの共演で収録することになり、急遽ロンドンへ飛び、休む間もなくぶっつけ収録が行われた作品でもある。小林研一郎との共演が多い金子君は、小林の要求を熟知しており、今回のハンガリー公演は自らの演奏スタイルを加えた圧巻の演奏になった。
金子三勇士君は1989年生まれのいわゆる錦織世代。日本人を父に、ハンガリー人を母に持つ混血ピアニストで、日本の幼稚園を卒園したすぐ後にハンガリーの祖父母の許に預けられ、ハンガリーの学校教育と音楽教育を受けた。私が三勇士君と初めて会ったのは、彼が9歳の時。秋田で行われる国際児童音楽コンクールのゲスト演奏家として、日本へ送り出した時のことだ。
生徒を引率してハンガリーの各年代のコンクールに参加していた妻から、ピアノ、ソルフェージュ、民謡歌唱で常に上位に入る日本人の子供がいると聞かされ、その子の所在を探し求めたのがきっかけだ。それほどの子供なら、ブダペストの狭い日本人社会で話題にならないはずはないが、三勇士君は北ハンガリーに位置するヴァーツ市郊外の小さな村からヴァーツ市の音楽学校に通っていて、彼を知る日本人は誰もいなかった。日本人との交流がなかったのはもちろん、近所に住むハンガリー人同級生もおらず、祖父母が飼っている家畜と犬猫が遊び相手だった。父母兄弟から離れ、祖父母と生活する孤独が、今の強靭な精神力を作った。
当時は現在のようにすらっとした体格ではなく、小太りの可愛い少年だった。1999年暮れか2000年暮れだったか記憶は不確かだが、ピアニストの小林亜矢乃さん(小林研一郎氏長女)が我が家に逗留した折、三勇士君を招き、同じくピアニストの加藤洋之君と国立フィル支配人であるコヴァチ・ゲーザに紹介した。ゲーザには国立フィル音楽監督のコチシュ・ゾルタンと引き合わせるように依頼した。小林研一郎やコチシュとの出会いが実現するまでにさらに数年を要したが、今ではもう小林-金子の共演は定番プログラムになっているし、2014年ハンガリー国立フィル日本公演ではコチシュとの共演も果たした。
三勇士君は11歳で国立リスト音楽院の「特別才能クラス」に入り、週に何回かヴァーツからブダペストまで列車でレッスンに通っていた。16歳でこのクラスを修了した後、演奏活動の場をハンガリーから日本へ移した。2008年には第二回国際バルトークピアノコンクールで優勝し、南ハンガリーの都市セゲドで、初めてプロのオーケストラとのコンサートが実現した。その時の指揮者はオペラハウスの音楽監督を務めていたコヴァチ・ヤーノシュである。しかし、三勇士君はこれ以外に、ハンガリー国内でプロのオーケストラと共演する機会がなかった。
2012年に東京音大学生オーケストラの演奏旅行で、ブダペストの芸術宮殿でソリストとして登場したが、アマチュアのオーケストラということもあって、とくに注目を浴びなかった。しかし、今回はMAV(ハンガリー国鉄)オーケストラと小林研一郎との共演が実現した。三勇士君はリスト音楽院大ホールで演奏するのはこれが初めてで、芸術宮殿ではプロのオーケストラとの初共演となった。リスト音楽院大ホールと芸術宮殿の二大コンサート会場で堂々の演奏を披露し、一躍ハンガリーの音楽界で俄然、注目を浴びるようになった。アンコール前のハンガリー語での聴衆への挨拶も、堂々としたものだった。ちなみに、MAVオーケストラは大阪で開催された三大テノールコンサートや、フジ子・ヘミングとの共演で知られている。
地方で行われた同一プログラムの小林公演では、当地の若手ピアニストで、リスト音楽院のピアノ科助手、ファルカシュ・ガーボルを指名した。ファルカシュはコチシュから高く評価されているピアニストで、一昨年のリスト音楽院大ホール改修記念ガラコンサートで、コチシュ指揮の下、ベートーヴェン「合唱幻想曲」のピアノを担当した若手の第一人者である。20歳だった2001年にハンガリーの国際リストピアノコンクール3位に入賞して以後、多くの国際コンクールで受賞を重ね、最近では2015年カーネギー世界オーディションで優勝し、副賞として、2015-2016年のシーズンに、カーネギーホールでリサイタルする権利を獲得したピアニストである。ファルカシュとは我が家に下宿していた日本人留学生を妻に娶った縁である。
指揮者なしでもコンサートができるか
ハンガリーでは、小林公演が始まる1週間前に、軽薄な毒舌家で知られるボチコル・ガーボルが軽音楽のラジオ番組で、子供時代にテレビで見た小林研一郎の指揮振りを取り上げ、「指揮者がいなくても、オーケストラは演奏できるのだから、指揮台で飛び上がって、髪を振り乱すことなど必要ないのだ」と批判した。騒々しいラジオ番組で、クラシック音楽とは無縁の番組だが、突然、小林批判が飛び出した。
ボチコルは軽いキャラクターで、辺りかまわず気に入らない人物を批判することで知られている。この小林批判は即時にネットに流れ、そこから一斉にボチコル批判が始まった。本人はクラシック音楽などに関心はなく、一度も演奏会に行ったことがないことを自慢していた。そこで、MAVオーケストラの支配人が、小林-金子の演奏会にボチコルを招待するという粋な計らいを行い、オーケストラ後方の合唱席一列目の真ん中の、指揮者がほんの数メートル先に見えるところに席を用意した。
ボチコルの記憶にある小林は、1970年代終わりから1980年初めにかけての小林で、子供ながらに指揮台を縦横に動き回る指揮者を不思議な思いで見つめていたのだろう。小林も経験を積み、今では老練な手綱さばきでオーケストラを引っ張り、飛び上がるような仕草はもうない。チャイコフスキーの難しいコンチェルトやラヴェル-ムソルグスキー「展覧会の絵」を、巧みなタクト捌きで操る小林を間近で見て、ボチコルのクラシック観も変わったようだ。
音楽に限らず、スポーツでも、指揮者や監督なしにコンサートができるし、ゲームもできる。しかし、真剣勝負ともなれば、事前の約束事や、その実行のために訓練が必要になる。そのために、指揮者や監督がいる。
スポーツの監督の役割に比べて、指揮者の役割が分かりづらいのは、演奏会の音楽を作り上げていくプロセスを想像するのが難しいからである。
演奏者の優劣を測る研究
優れた演奏者の演奏を分析する研究分野が存在する。今では、ピアノの打鍵の時間間隔を千分の一秒単位で測るソフトウェアがある。現代音楽の創始者でピアノの名手だったハンガリーのバルトークが、やはりハンガリーの著名なヴァイオリン奏者スィゲティとベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」を演奏した1940年の伝説的な録音が存在する。この演奏におけるバルトークの打鍵の時間間隔と、同じ曲目でヴァイオリンの名手クライスラーが、信頼するピアニストフランツ・ルップ(Franc Rupp)と行った1936年のレコーディングにおけるルップの打鍵の時間間隔を比較した研究論文をネットで見つけた(National Geography, Hungary, 2015年4月28日付論文)。
ハンガリーの二人の研究者が行った分析によれば、バルトークの打鍵の時間間隔は均一ではなく、かなり大きな時間幅(十分の1秒単位の時間幅)の中で変化しているのにたいし、ルップのそれは非常に狭い時間幅(百分の1秒単位の時間幅)でしか変化していない。別言すれば、ルップの打鍵は平準化された均一的なものであるのにたいし、バルトークの打鍵は一定の「間」をもっている。天才的な演奏家は、単純に音符を均一に演奏するのではなく、変化をつけて演奏し、曲の流れに自らの思いを込めている。平準化や均一性は精確さを表現するが、聴衆を魅了するのはそのような精確性より、演奏者個人が構想する曲想にもとづく「間」、あるいは予期せぬ「変化」だと考えられる。つまり、予期せぬ「変化」や「間」が新鮮な「驚き」を生み、聴衆に大きな印象を与えると考えらえるというのが、この二人の研究者の結論である。
これまでも演奏理論では、演奏者が意図した「変化」=「驚き」や、演奏者の「感情移入」が、演奏者の独特なスタイルをもたらすとされているが、ピアノの打鍵速度の変化からも、そのことが分析されたのである。
指揮者がオーケストラを指揮する場合、まさにソリストの演奏者と同じように、指揮者の曲想観にもとづく「間」や「感情移入」を込めることで曲目を完成していく。指揮者によって「間」の取り方が違うのは当然だが、たんに正確に演奏しているか否かより、「間」の取り方と演奏への「感情移入」が聴衆を惹きつける大きな要素になる。クラシック音楽の本場で、クラッシックとは無縁の日本から来た小林研一郎が特別の位置を保持しているのは、小林が持つ独特の「間」や「感情移入」である。
同じことはスポーツについても言え、たとえば野球の投手が単純なテンポで決まった配球しかできなければ、いかに球が速くても打ち込まれてしまう。ところが、ダルヴィッシュのように、多くの球種を使い、テンポ(間)を変えることができれば、打者を幻惑できる。それが好投手の条件である。
ヘンデルのオペラ「リナルド」のアリア「私を泣かせてください」は、囚われの身にある王女の悲嘆を謳うものだが、当代きってのメゾソプラノ歌手チェチーリア・バルトリが歌えば、悲しみが溢れ出る豊かな歌唱になる。ところが、ニュージーランドの歌姫ヘイリー・ウエステンラが歌えば、澄み切った青空の下で、明るく謳う一本調子な歌唱になる。感情移入の重要性を教えてくれる典型的な事例である。この二人の歌唱は、Youtubeで簡単に聴くことができる。
黒子か、それとも演奏者か
指揮者と言っても、常任指揮者と客演指揮者ではその役割が異なるし、音楽監督ともなればその役割は非常に重い。ピアノやヴァイオリンのソリストとして頂点を極めた音楽家が指揮者になる事例は多いが、小林のように根っからの専門指揮者もいる。ライブのコンサートにおける指揮者の役割と、レコーディングにおける指揮者の役割も、まったく異なる。だから、一言で指揮者の役割を語ることはできないが、大きく分けて、指揮者には二つの役割がある。
ヨーロッパの指揮者はオーケストラを鍛え、正確な音を出すことが求められる。もちろん、指導する常任指揮者あるいは副指揮者がそれぞれの曲想観にもとづいてオーケストレーションを目指すが、第一義的には楽譜通りの演奏をより高い技術で行うことを要求する。ハンガリー国立フィル音楽監督のコチシュは練習に厳しいことで知られ、練習が不十分で間違った音をだす演奏者を容赦なく批判する。ソリストとしてピアノの世界を極めたコチシュは、演奏者が間違った音を出すことに我慢できない。罵倒することもあったようだが、生死をさまよった動脈瘤の手術を経て、対人関係に気を配るようになった。手術の後遺症で声帯を痛め、大きな声を出せなくなったこともあって、手術前のようには怒鳴らなくなったが、スパルタ式の練習やリハーサルは今も続いており、本番前のゲネプロでもかなりの時間を費やす。こうした厳しい日頃の練習は、楽団員の技量を確実に上げることは間違いない。それはオーケストラの高い評価にもつながる。
他方、ライブコンサートでのコチシュの指揮振りには、なんの特徴もない。傍目にはただ突っ立って指揮棒を単調に振っているだけのように見える。少なくとも、オーケストラと一緒になって、演奏を鼓舞し、感情を込めてオーケストラを盛り上げるという意思は感じられない。すでに練習で十分に教え込んだことを、きちんと表現してくれれば、それでよいと考えているのだろう。彼はライブコンサートでは黒子に徹する。そして、これがヨーロッパの指揮者の常識なのかもしれない。
これにたいして、小林は音楽監督と言うよりは、客演指揮者に向いている指揮のプロフェッショナルである。客演指揮者の場合、通常、2回あるいは3回のリハーサルに加え、コンサート前のゲネプロの3~4回という短い時間でオーケストラと対峙し、オーケストラを自らの曲想へと導いていく。曲を作り上げるというよりは、基本的なオーケストレーションが出来上がっているところに、指揮者の味付けを加えるのに似ている。すでに存在するオーケストラの技術を前提に、オーケストラの潜在力を最大限に発揮させ、自らの曲想観をオーケストラに吹き込んでいく。短時間の内に味付けしなければならないところが、客演指揮者の難しいところで、小林のリハーサルを見ていると、リハーサルの最初の瞬間からハイテンションで、まさに「オケへの感情移入が行われる」と表現するのがぴったりなように、オーケストラを引っ張っていく。したがって、指揮の動作も、小手先で指揮棒を振るのではなく、声を出して歌ったり、体全体を使ったりする情熱的な動きになる。西欧のオーケストラにとって、このような客演指導は非常に新鮮で、小林の指揮を受けるのを楽しいと感じるメンバーが多い。そして、そのように準備されたライブコンサートでは、聴衆には、あたかも指揮者がすべての音を引き出しているかのように「見える」。
国立フィルの支配人コヴァチは、小林を称して「クラシックのショーマン」と名付けたように、まさに小林はクラシックを見(魅)せる芸術に変えたと言える。保守的な音楽界は、このような指揮者のあり方を必ずしも肯定しない。逆に、異端と感じるだろう。まさに、そこにクラシックのメッカ中欧における小林の存在意義がある。今でも根強いファンが存在する理由である。
コチシュは優れたピアニストであり、偉大な音楽家ではあるが、ライブの指揮者としては魅せものはほとんどない。それにたいして、小林は偉大な音楽家とは言えなくても、類い希なるライブコンサートの指揮者であると言える。コチシュが舞台でもあくまでオーケストラの黒子になりきっているのにたいし、小林はオーケストラの演奏者と同様に、一人の演奏者として振舞い、すべての音を導くような役割をもつ特別な演奏者になりきる。ここに、小林の指揮者としての特異性がある。
金子三勇士君も小林スタイルを取り入れ、コントラストの効いた打鍵と大きな動作を取り入れている。中国人ピアニスト、ワン・ユジャ(王羽佳)は、膝上10cmの深紅の袖なしワンピースで、やはり小さな体を大きく使った動きで、聴衆を魅了している。ライブコンサートでは、演奏者の一挙手一投足も、演奏のうちに入るのだ。もちろん、ライブ演奏がCDとして使えるかどうかは、また別の問題だが、それは聴衆を惹きつける講演(ライブ)が、論文(レコーディング)にならないのと同じである。論文には深い研究と精確な記述が要求されるからである。
小林とコチシュの違いは、教育者と研究者の違いにたとえることもできる。小林はクラシックファンを増やす音楽の伝道師だとすれば、コチシュはクラシックから現代音楽の新たな地平を切り開こうとするクラシックの開拓者なのである。こうやって比較してみるのも、たいへん面白い。
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