― クーデター後のエジプト(5)-
苦しい1か月のラマダン(断食月)の間も、ムスリム(イスラム教徒)が1年間、最も楽しみにしてきたイード・アルフィトル(ラマダン明けのお祝い)の間も、クーデターで権力を奪われ、拘束されたままのモルシ大統領の復権を求める支持者たちは、7月3日以来、カイロはじめ全国で何万人もの座り込みを続けている。クーデター後、軍が作った暫定政権は、座り込みの強制排除を警告しており、実行すれば大規模な流血の惨事になる危険が大きい。米国とEU、カタールなどが話し合いによる解決を求め粘り強く調停工作を続けたが、暫定政権のマンスール大統領は7日、「外国の調停は失敗した」と発表した。国内では、暫定政権に加わった政治勢力にも、親モルシ派の政治勢力にも、最悪の流血だけは避けたいとして、さまざまな動きがあるが、親モルシ派はあくまで「選挙で選ばれた正当な大統領の解放と復権」を求めて暫定政権の受け入れを拒否。軍、暫定政権、治安警察は、モルシ氏の基盤であるムスリム同胞団を力でねじ伏せる姿勢で、最悪の事態は避けられないかもしれない。
▽「この辺でいいんじゃないか。またやればいい」
鈴木登さんという、カイロに長年住んできたムスリムのアラビア語研究者(65)がいた。朝日中東マガジンに「カイロの横丁から」という連載記事を書き、下々のエジプト人の日常や意見を伝えてくれる、すぐれたリポートだった。わたしも、2005年から08年にかけてカイロにいたとき、親しくして、しょっちゅう議論したり飲んだりした仲だった。その彼が、6月から帰国していて、7月13日に研究会で詳しく話を聞き、議論した。なんとその鈴木さんは翌週、京都に住む夫人の下で、持病が再発して急死されてしまった。葬儀は25日に、代々木上原のモスク・東京ジャーミーで行われ、遺体は山梨県のイスラム墓地に埋葬された。
その鈴木さんの最後となった研究会と飲み会では、当然ながらクーデターについて議論が交わされ。彼の言葉で一番印象に残ったのは、彼が住んでいるカイロの街の親方衆が、“モルシはよく頑張ったよ。でも、治安も悪くなるし、物価もあがるし、デモもこんなにひどくなった。選挙で大統領に選ばれ、1年間務めたのだから、この辺でいいんじゃないか。また、選挙で勝ってやればいいんだよ”といっているということだった。鈴木さんも親方衆も、同胞団メンバーではないし、批判もするが、好意的な人たちだ。
また、カイロに在勤していた親しい友人は、7月に日本に招待したカイロ時代のお手伝の女性の話について、「彼女のように貧しい庶民で、モルシ政権の貧困対策の恩恵をうけた人が、いまは“もうたくさん”といっているのには意外だった」と伝えてくれた。
毎年2回もエジプトで現地調査を続け、親しい大学の研究者や政府機関の担当者たちがいるK教授は、鈴木さんの葬儀で会ったさい「みんな(モルシが倒れて)良かったって言っているんだよ」といった。
エジプト人の友人(有力研究者)はもともとリ世俗派の有力政治家の支持者だから、モルシ政権打倒を喜び、軍の行動を支持しているが、同時にこれ以上の流血を避けるよう強く求めている。
▽世論調査での支持率低下
エジプトで最も信頼できそうな世論調査(BASEERA)によると、設問「もし明日、大統領選挙が行われたら、モルシに投票しますか」への回答は、大統領就任後100日の調査では78%が「投票する」だったが、今年4月には47%に低下。また、クーデターの半月前の6月下旬に行った国際的なギャラップ世論調査では、「モルシ政権を信頼している」と回答した人は29%に過ぎなかった。モルシの出身母体ムスリム同胞団の政党である自由公正党の支持率は、立法議会選挙が行われた11年11月に支持率は67%だったが、今年6月には19%に低下していた。
そして、クーデター後の7月20,21日、上記のBASEERAの世論調査(電話、回答者2,214人、推定誤差率3%)では、クーデター以来続いているモルシ支持派のデモを支持する人は20%、不支持71%、わからない9%だった。
しかし、政権への信頼が低下し、反政府デモが拡大していたからといって、民主主義を破壊するクーデターを合理化することは、できない。同時に、クーデターを許してしまった世論の背景を否定することもできない。
だが何より、ムルシ支持派の平和的なデモへの支持率が低いという世論調査が、軍と暫定政権、治安警察が大量虐殺になりかねない強制排除を強行するのを、後押しすることがあってはならない。最悪の事態を避けるために、エジプト人たちも、国際社会もさらに努力しなければ。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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