2020.7.1 恐怖と不安に始まった今年の冬は、春がないまま、あっという間に夏です。もちろん、「国民的イベント」になるはずだった東京オリンピックなど雲散霧消で、東京都民でさえ、過半数が1年延長された来夏の開催を疑っています。新年に月一回更新と宣言した本サイトも、新型コロナウィルスCOVID-19につきあわないわけにはゆかず、結局月二回の「パンデミックの政治」8回連載を、「東アジアで最悪でもG7「モデル国」になった日本の不思議」で中締めしました。この半年で、地球上では、1000万人の感染者が確認され、そのうち50万人がいのちを失いました。その何倍もの人が、家族や友人を失い、直接コロナによる死ではなくても葬儀にも出られず、永遠の別れとなりました。私事に渡りますが、6月は岩手・盛岡で、実母の13回忌がありました。東京からの出席は諦めました。全国唯一の感染認定者ゼロ県岩手県では、「いつ何処で誰が最初の感染者になるか」で、誰もが神経ぴりぴり、戦々恐々とのことでした。岩手県知事と地元新聞が、「最初の感染者を責めません」「優しく迎え、見守りましょう」と訴えたとか。
しかし、世界では欧米先進国から中南米、南アジア、中東、アフリカへと感染爆発が広がり、貧しい国と人々、人種・民族的に差別されてきた人々、外国人労働者、スラム街や難民収容所など水も住まいも十分でない地域の人々に、犠牲が集中しています。6月30日朝日新聞の「データで読み解くコロナ感染 世界をどう侵食したのか」の下図が、問題をクリアーに表しています。日本でも、ウィルス感染と経済的・社会的格差が連動し、非正規労働者や医療・介護労働者にしわよせされ、カラオケや飲食業など接客業種への差別が、公然と行われています。「自粛警察」から「夜の街パトロール・自警団」、ついには「マスク警察」まで現れて、第二次世界大戦中の隣組・隣保組織を思わせる同調圧力・異端排除が強まっています。マスコミではほとんど報道されない、見放された外国人労働者や留学生の苦難が、この国の将来に影を落とします。
本サイトで、戦前731部隊の亡霊まで遡って問題にしてきた、政府の「専門家会議」が、安倍政権がもともと抱えてきた感染症軽視・経済再建優先政策のあおりで、6月24日、突然「廃止」されました。東洋経済オンライン「コロナ専門家会議が解散するまでの一部始終」が、釜萢敏日本医師会常任理事とのインタビューで、経緯を明らかにしています。政府のタテマエは「法律に基づくものでなく、位置づけが不安定だった」ので、新型インフルエンザ等対策特措法に基づいて設置されている「新型インフルエンザ等対策有識者会議」の下に、新たに「分科会」を設ける、となっていますが、実態は、科学と政治の矛盾に気づいた「専門家会議」メンバーがようやく自発的発言をはじめ、それをうとましく感じた安倍首相・官邸官僚・厚労相医系技官グループが、用済みとして使い捨てたということのようです。
「専門家」釜萢敏氏のインタビューには、いくつか重要な証言があります。2月17日の第1回会合で「受診・相談の目安」についても議論され、その内容が「検査難民」を生み出したと後に大きな問題となるが、「当時はそこまでの認識はなかった。というのも、インフルエンザの流行時期にあり、症状が急激に発現するインフルエンザと比較して、発症から症状がだらだら続くことが鑑別に役立つ可能性を考慮した。発症から4日以上経過しないと相談・受診できないという運用につながるとは予想できなかった」と。政府の弁明よりは正直です。
政治介入で「無症状者による感染」が削られたというNHK報道もありますが、釜萢氏は「東京オリンピック・パラリンピックの招致の問題があり、延期が決まった3月24日まで、出入国管理の話題は扱いが微妙だった」「もっと早く出入国規制に踏み切ることができていれば、感染者は少なくて済んだと思う」と率直です。「入院医療のパンクを回避するうえで大きかったのが、4月2日付けでの退院基準の見直しだった。それまでに感染した人は症状の有無にかかわらず全員を入院させていたが、宿泊施設や自宅での受け入れも可能にした。当時、自宅療養は管理の目が届きにくく、家庭内感染のリスクがあるのでやめたほうがいいと申し上げたが、厚労省はむしろ積極的だった。その後、自宅で療養していた患者さんのうちで急に状態が悪化して救急搬送されるケースが相次ぎ、宿泊施設における健康観察が主流になった」。なるほど「専門家」の意見と厚生省の方針には、違いがあったようです。
だが、政府が不作為・後手後手対応だった故の、慢心もあったようです。「国民に直接訴えかけることの是非については、メンバーの中でもさまざまな議論があった。そもそも専門家会議は、国からの諮問に対して答申を行うのが役目だった。しかし、政府はクルーズ船への対応をはじめとした一連の対策にてんてこ舞いで、国民が求めるメッセージを十分発信できていないという感じが強かった」「政府の諮問に答えるだけでなく、公衆衛生や医学、医療提供にたずさわってきた専門家として、分析した情報を国民に直接伝える役目を担うべきではないかという議論になった。そのことについてメンバー全員の合意が得られたことから、「1~2週間が瀬戸際」という見解の表明につながった。このことは尾身茂副座長のリーダーシップによるところが大きかった」ここから、首相の記者会見にまで「専門家会議」が立ち会うことになったようです。
こうして「専門家会議」が、無為無策・無責任の安倍内閣の手で、感染政策立案の主役におしやられ、クラスター対策中心、重症者・高齢者中心のPCR検査制限等、大きな混乱をもたらしたことは間違いありません。そればかりか、人口あたりの死者数が欧米大国に比して少なかったことから、安倍首相によって「日本モデル」とまで持ち上げられ、「成功」と判定されました。今度は経済再建だからと言う口実で、体よく舞台から下ろされたかたちです。しかし、本来この「専門家会議」の議事録を含む第一波の本格的総括こそ、日本の第二波・第三波に備える準備になるでしょう。本サイトは、そもそも戦前防疫体制=731部隊に遡って「専門家会議」の構成を問題にしてきた上昌広さんの歴史的視角に、多くを学んできました。児玉龍彦さんの「日本の対策「失敗」 第2波へ検査拡充せよ コロナの実態把握訴え」という診断が、的確だと考えます。そして、人文社会科学の原点に立ち戻って、藤原辰史さんの4月のネットロア「パンデミックを生きる指針ーー歴史研究のアプローチ」の再読を、強くお勧めします。パンデミックは、終わっていません。これからも、いのちとくらし、基本的人権の重要問題です。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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