日暮れて途遠し ― ダライ・ラマ亡命60年の今

――八ヶ岳山麓から(278)――

毎年3月になると、中国では全国人民代表大会(全人代)と全国人民政治協商会議が開かれるから、北京は厳戒状態になる。ところが、私が住んでいた中国西北の青海省も、3月には警察と武装警察と軍隊が町や村に進駐してきた。
いまから60年前の1959年3月17日、チベット仏教の最高位にしてチベット国王だった十四世ダライ・ラマが、中国共産党工作委員会と中国軍のやり方に耐え切れずインドに亡命したからである。さらに北京オリンピックを控えた2008年3月10日には、民族独立とダライ・ラマのラサ帰還を求めるチベット人僧俗1万余による大規模な「暴動」が起きた。
こういうことがあるからチベット人地域は毎年3月には厳戒状態になるのである。

とりわけ今年は、チベット反乱60周年だから、新聞の全人代の記事にはいずれもチベット問題が登場した。3月6日海外メディアに公開されたチベット分科会は、自治区の代表約20人が出席し、政府活動報告を審議した。そこで目立ったのは、チベット自治区の経済成長が急速であったとの報告と、民族問題とりわけダライ・ラマ批判である。

昨年の自治区域内総生産は、前年比9・1%増と全国平均6・6%を大きく上回り「全国の先頭を走った」と報告された(東京新聞2019・3・11)。似た報道はすでにこの1月人民日報にあった。いわく、全自治区で15万人の貧困人口および19の貧困県が全て貧困から脱却した。2018年、自治区農民の一人当たり可処分所得の増加率は13%。25の貧困県が貧困状態から脱却し、全自治区での貧困発生率は8%以下まで低下した(人民日報ネット2019・1・11)。
同分科会では、チベット族男性の果果(グオグオ)代表が「ラサの安定を守ってくれたのは共産党だった」と評価し、チベット族女性の次仁措旦(ツレンツォダン)代表も「(自治区)党委員会は庶民の生活を改善してくれた。すばらしい報告だ」と述べたという(毎日ネット2019・3・6)。
もしチベット人の生活が大いに豊かになったのならば、漢民族に少数民族を融合させ「中華民族の大家庭」の一員にするという、歴代中共政権の目標に一歩近づいたといえるかもしれない。生活向上は、チベット人の中共支配に対する嫌悪感をやわらげる効果があるからである。
だが、国有企業であれ私企業であれ、2000年からの「西部大開発」を主導したのはおもに漢人である。その事業で豊かになったのは漢人事業家と官僚である。一般農牧民に多少のおこぼれはなかったわけではないが、貧富ごちゃまぜの統計ではチベット人地域の貧困状態は表わせない。
習近平政権が次期貧困対策地域として、青海のチベット人地域を挙げているのは、まさに高度経済成長から取残された地域がチベット人地域であったことを物語っている。私はチベット人の貧困の象徴は肺結核だと思う。もしこれら地域で医療制度が改善され栄養状態が向上し患者数が減ったのならば、たしかに農牧民の生活が向上したと喜びたい。
さらに少数民族の若者にとっては就職差別の問題がある。彼らの母語はチベット語だから、そもそも漢語(中国語)が下手であることが不利になるうえに、漢人企業はチベット人を雇いたがらない。チベット人に対する根強い差別、嫌悪感があるからだ。民族問題かなにかで悶着を起こされたら面倒だと思っている。

全人代報告では、新たに民族教育強化が明記され、融和路線からの転換が鮮明になったという。
ここに民族教育というのは、少数民族の歴史や文化について教育し学ぶことではない。むしろ学校教育で徹底的に漢語を学ばせ、漢民族の歴史を自民族の歴史として教育し、中華民族の一員であることを自覚させ、中共支配の正当性を教育することである。チベット人地域での民族教育強化は、漢民族への同化を早めることに他ならない。
このモデルはある。モンゴル人である。内モンゴルは漢人の移住によって、モンゴル人は10数%に減少したうえに、民族産業の牧畜が制限され、学校教育によってモンゴル語人口が急減し、チンギス汗以来の輝かしい歴史の記憶も薄れ、モンゴル文化はかろうじて観光資源として存在しているにすぎない。

習近平政権は2015年以降、「宗教の中国化」を掲げ、チベット仏教をはじめイスラム教・キリスト教など宗教に対する統制を強めている。チベット人地域では、寺院の活仏の存在や管理委員会などすべて政府の承認を必要とし、寺院の中に監視カメラが置かれ、寺僧の行動は逐一監視される仕組みになっている。
だが、党・政府による宗教支配を徹底しようとすれば、どうしてもチベット仏教のなかからダライ・ラマの存在と影響力をとり除かなければならない。自治区党書記呉英傑は「ダライは逃亡以降、チベットのために何ひとつよいことをしたことがない」と発言したという。呉英傑は漢人である。漢人高官ならば本心からそういうだろう。ダライ・ラマの存在自体が中共にとって悪だからだ。

そうはいっても、ダライ・ラマ崇拝は想像以上に強固である。チベット分科会の記者会見では、海外メディアの記者が「チベット族がダライ・ラマを熱愛するのはなぜか」と質問した。この質問の背景には彼の活動によって、欧米では仏教といえばダライ・ラマというほどになったという事情がある。
代表らは「私の知る限り、熱愛している人はいない」と否定したそうだ。ところが、チベット人高官やチベット人代表がダライ・ラマを非難しても、チベット人の多くはまともに受け取らない。「あれは言わされているだけのこと、本心とは違う」
本心からダライ・ラマを否定するチベット人がいるとしたらチベット民族ではないという。なぜなら、ダライ・ラマはチベット仏教の至聖の地位にあると同時に、身は海外にあってもチベット民族を代表していると考えるからである。
チベットの一般農牧民のなかにはダライ・ラマを「いきほとけ」「菩薩」といった存在だと信じている人がいるかもしれない。だが大学や寺院でダライ・ラマやパンチェン・ラマなど転生活仏の存在について質問すると、現人神ではなく最高級の修行者として崇拝しているという答えが返ってきた。
中国にいたとき、日本の天皇崇拝について、チベット人のダライ・ラマ崇拝と比べてどうかを聞かれることがたびたびあった。第二次大戦以前の天皇は行政的に神格性が付与され、民衆にとって「恐れ」が付きまとったが、今日天皇に対する尊敬の念はごく自然で、ダライ・ラマ崇拝に似ていると答えるとおおかたは納得した。

チベット人地域と同じ深刻な問題が新疆にもある。
新疆ウイグル自治区代表団の会議もメディアに公開された。多数のウイグル族が「再教育施設」に不当に収容されているとして国際社会の批判が高まるなか、自治区幹部は政策を正当化する言葉を繰り返した。自治区ナンバー2のショハラト・ザキル自治区主席は、会議後の記者会見で英メディアに「新疆の再教育施設には一体何人収容されているのか」と問われ、「新疆には『再教育施設』といったような施設はない。捏造(ねつぞう)された間違った考え方だ」と答えた(朝日デジタル 2019・3・13)。

安倍首相は、この2月ベネズエラの混乱について「平和的解決を望む」と発言した。1ヶ月後日本共産党の志位委員長も、マドゥロ政権を人権と民主主義を踏みにじったと非難する声明を発表した。私が知る限り、ほかの政党は何も言っていない。
どうして日本には、遠いベネズエラについては発言する政治家があっても、隣国の人権状況について発言する政治家や政党がないのだろうか。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8500:190321〕