新・管見中国8
前回は習近平が進めている独裁強化、個人崇拝と見える路線は、彼が自身を建国の父・毛沢東になぞらえているわけではなく、彼を取り巻く状況がその路線を進まざるを得なくしているのだ、という私見を書いた。では、その状況とはどういうものか。それについては諸説があるが、香港の「著名な時事評論員」とされる紀碩鳴氏の興味深い一文が目についたので、それを紹介しながら私なりの解説をしてみたい。
紀碩鳴氏は『超訊国際伝媒総編集』との肩書だが、私は寡聞にしてこのメディアは知らない。ここに取り上げるのは香港のニュースサイト『多維新聞』(4月3日)が載せたものによることをお断りしておく。
文章はこう書きだす。「空談義は国を誤り、堅実な行動が国を興す」を信条とする習近平は今、大きな盤で碁を打っている。しかし、この勝負には危険がいっぱいである。改革開放40年を経た複雑多岐な大碁盤には5つの罠と政治・経済・社会に3つの十字路が待ち構えている。
5つの罠とは「中所得の罠」「タキツスの罠」「ツキディディスの罠」「西側化と分裂の罠」「個人崇拝の罠」である。それぞれの命名はともかく、私が興味深いと感じたのは筆者の思考パターンがいかにも現代中国人らしいからで、それはどういうところかは後で述べることにする。
5つの罠の最初にくる「中所得の罠」。低所得の発展途上国が中所得国まで登りつくと、そこで経済発展モデルを新しい方式に転換することができず、成長のエネルギーを失って、停滞期に陥ってしまうことを言う。10年ほど前から言われるようになった概念であり、習近平が高度成長から中速度成長に移りつつある中国経済の現状を自ら「新常態」と命名したのも、中所得の罠を意識していることは間違いない。
中所得の段階に達すると、当然、経済は下向きになり、所得格差が広がって、両極分化・官民矛盾・腐敗などが表面化してくる。世界銀行が中所得国を対象に行った調査によると、1960年から2008年までの58年間に約101の国と地域が中所得に達したが、現在、中所得の罠を抜け出して高所得国の仲間入りを果たしたのは13に過ぎない。しかし、その中に香港と台湾は含まれる。
世界銀行がこれらの国と地域を総括して明らかになった、脱出成功の共通の経験は政府の強力な関与と威力であった。ラテンアメリカ、ブラジル、アルゼンチンのように政府の力が弱く、軍人のクーデターがたびたび起こり、社会が不安定では罠から抜け出せない。一方、シンガポールではリークアンユーの政治力が有効に働いて罠から脱出した。
つまり中所得段階では政府は強くなければならない。いかなる国家も中所得段階でそれまでの体制を民主的なそれに変えると、民主化はできても中所得段階を抜け出すのを20年は遅くする。民主政治の発展を優先すると、経済の改革が大幅に遅れ、場合によっては社会が崩壊する危険すらある。
2番目の罠は「タキツスの罠」である。タキツス(コルネリウス・タキトゥス)とはAD55年頃~120年頃―帝政期ローマ時代の政治家、歴史家〈ウイキペディア百科事典〉だそうである。政府が強引な政治を推進すると国民の政府に対する信頼は消失するというのが「タキツスの罠」である。中国では30年にわたった改革開放政策において政府は威信を失い、官僚の腐敗が進むだけ進んだ。民衆は根っから政府を信用せず、政府は利益集団であり、不公正の象徴であると見ている。習近平は失われた信頼を回復しなければならない。
次に来るのが「ツキディディスの罠」。ツキディディス(BC460年頃~BC395年頃)は古代アテナの歴史家。新興アテナとスパルタとのペロポネソス戦争を描いた『歴史』で有名。新興の大国は必ず既存の大国に挑戦し、既存の大国がそれに応ずる結果、しばしば戦争が起こる、というのが「ツキディディスの罠」である。
中国の急速な台頭はいつか既存の覇権国家である米国との間で衝突が起こるのではないか、という懸念に、習近平は2014年のインタビューで「われわれはツキディディスの罠に落ちないように心がけている。強国はかならず覇権を追及するという主張は中国には当てはまらない。そういう行動に出るDNAは中国にはない」と答えている。中国が経済の改革によって世界の文明国として台頭出来るか否かが3つ目の罠であり、習近平は中国が大国なるが故にほかの中所得国にはない課題を抱えていることを意識している。
「西側化と分裂の罠」は文字通り、中国を西側諸国と同じ体制の変えようとする勢力と中国を分裂させようとする勢力によるものである。ここでは突然、東西対立時代の枠組みが復活してくる。中国は世界最大の発展途上の社会主義国であるから、西側勢力は今なお中国を西側化し、分裂させようという政治的働きかけをやめておらず、共産党の指導と社会主義制度を放棄させ、独占資本の操る多党制と私有制の国家にしようとしている。彼らはまた中国を分断して統治するために、硝煙なき戦争に勝利しようとしている、というのである。
最後の「個人崇拝の罠」も毛沢東時代を経験している中国にとっては説明するまでもない。それが今、習近平の身に起こっていることは衆目の見るところである。前回、私は彼の置かれている状況が独裁と個人崇拝を必要としているのだと述べたが、紀碩鳴氏はすでに政策遂行権限を習に集中するといった段階を超えて、文化大革命時代の毛沢東崇拝のように歌に歌ったり、バッジをつけたりといったところにまでエスカレートしてきた。これは彼の本位でもないし、また危険でもあると説く。いわゆる「ほめ殺し」で習近平の地位を脅かそうとするのに利用されたり、脛に傷もつ人間がそれを隠すためにことさらに習近平への忠誠をひけらかすといったマイナスの作用も見逃せないから、個人崇拝もまた罠だというのである。
ここに列挙された5つの罠にはそれぞれ説得力がある。言われてみればその通りと頷くことも多い。しかし、私がこの一文に興味を覚えたのは、また別のところである。それは次回に述べることにする。(160407)
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