書評  ベンヤミンとマルクス

 生きた言語とは何か、というより、言語の生死という問いかけがあるとしたら、それは何を根拠にし、わたしたちをどこへ向かわせるのか。概念なるものは脱概念というところから逆にたどることもできる。もし、概念をぼやけさせることができるなら、よほど指の先にも神経をゆきわたらせるように意識的にならなくてならないことだけは想像できる。つまり、言語と言語の連結装置をはずし、それらの細いすきまをこじ開けるような芸術と融合した哲学の技術を要するとおもえる。それに応えられる技術によってのみ、概念の輪郭を壊し、再構成することができるにちがいない。

≪諸種の大規模な哲学は世界を、諸理念の秩序のなかに叙述するだが、そこで用いられる概念の輪郭はどれもこれも、いまではとっくに崩れてしまっているのが通例なのだ。…中略…いいかえれば、現在のこれらの試みはすべて、経験世界ならぬ理念世界に関連づけられている場合にすらもなお、共通して、自身の感覚を手離そうとしない。いやそれどころかしばしば、自身の感覚をいよいよ強調して繰り拡げている。じっさい、これらの思想的構築物は、諸理念の秩序を記述するものとして発想されたのだけれども、そのなかに現実的なものの像をえがこうと思想家たちが強く意図すればするほど、それだけますますかれらは、後世の解釈家が心底から意図してわがまま勝手に理念世界を叙述するのに好都合とならずにおかぬような、概念の秩序をあれこれと作り上げる羽目になったのである。≫『認識批判的序説』 ヴァルター・ベンヤミン著 野村修訳

 なるほど、これをみるとベンヤミンは、必ずしも概念というものに否定的ではなく、プラトンの理念論やライプニッツのモナド論、また、ヘーゲルの弁証法による世界の記述に匹敵する思想の建て直しを哲学者に求めているように読める。まわりをみわたすと、哲学とは名ばかりで、実際は、概念によって世界を細切れに解釈し、経験世界(事実世界)を理念世界と混同するような、みすぼらしい研究者の群ればかりが跋扈している。これは哲学の方法が小手先の器用さだけで演繹理論をまねきいれ、細切れになった概念で、継ぎはぎだらけの世界像しかつくれなくなったことへの嘆きにつながる。だが、ベンヤミンは、あくまでも嘆きという悟性的な認識にもとづく感情とは無縁である。彼の認識論的切断はもっと乾いている。なぜなら、経験世界に依拠した概念の限界を感じたとしても、その前に、そもそも、なぜ、哲学者はそういう理念世界への接近をしなければならないのかという問いかけが、その認識論には含まれているからである。
 彼は「自然」や「運命」なる概念の由来を正確に押さえているばかりか、もしかしたら、「国家」や「反国家」という仮構の建築物の正体の上に安住している哲学者の思弁にも気づいていた。彼は哲学の縦横無尽な文体にこだわり、言語が動き、歩き、止まりといった身振りをまじえて持続する意志を肯定する。そして、この意志は自ら作り出すものではなく、理念という別の意志に動かされるものでなければならなかった。彼の独自の理念論においては、理念は「真理」と名をかえて、人間の意図や経験とはまったく無縁のモノと考えられている。そのような人間の意図の介入を許さないモノは「存在」の根源に触れるものであり、いろいろな要素に分解した目に見える経験世界の現象の総和ではない。であればこそ、このモノは哲学者の思惑によって他のものと比較されたり、肯定や否定されたりの関係を結ばないのであり、自分自身に向けた力そのものとして姿をあらわす。だが、その自分自身へ向けた力は、スピノザのような「神」の必然性や運命であってはならず、モノによって動かされているという有限や無限の、その実、有限の意図があってはならないのだ。また、理念を語る手際はヘーゲルに似ていても、絶対知の自己円環を完遂したヘーゲルの理念と決定的にちがうのである。
 同じ理念という言葉を使っていても、ベンヤミンがヘーゲルとちがうのは、「概念の概念」の再生ではなく、概念そのものの破壊を企てようとしているからだ。理念は事物の象徴や法則であったり、平均であったりするのではない。理念は事物の共通性や差異性を集約した概念ではないから、概念によってつかまえることができないとされている。事物現象は概念に従属するが、理念はそうではない。それは、概念が事物に従属する場所といっても同じことで、その区別において理念はきわだっている。理念は、一般的な思考の習慣である学問的認識の演繹の体系や、逆に、個別学問の精緻さではとうてい歯が立たない代物である。
 そこで次のような問いかけがうまれる。では、哲学者は理念とどう向きあえばいいのか。ベンヤミンにとって哲学者は、言語が認識し、理解し意味づけることに迷いこまず、理念の発語そのものを聞きとるなかで、理念の言語を叙述することでなければならなかった。それは、いわば、言語誕生の初めに言葉ありきの命名に近いものであって、理念が語として現れてきた瞬間をとらえるものである。だが、決して遊びや恣意性を介するものではない。このような理念の表現は、仏教の瞑想や観想に似て、わたしたちには馴染みのない世界にみえるため、とりあえず、言語の発語が意味づけることから隔てられる受動性に第一の眼目がおかれているのはうたがいない。人はおうおうにして、認識論の手前でためらっているのだが、彼は認識の階段を一足飛びに越えた。
 もっと、近代的な言い方で言うと、哲学を探求することは、言語の「所有」から距離をおくことだった。彼は理念の真理は認識の領域に導きいれようとした途端、姿をくらましてしまうと言っている。なぜなら、認識とは知の「所有」にほかならないからだ。哲学者の認識は、その対象を所有しなければならないという至上命題をもつ。しかし、いったん「所有」されてしまってからでは、自分自身に向けた力そのものである理念は何も語らない。彼の理念の美へのエロスとして細やかな愛の表現をもってすれば、所有物にとって、みずからを叙述されることは副次的なことになる。つまり、所有の手をのがれようとする理念は「所有」された時点で死んでしまい、自ら発語することも自らの言語を哲学者にとどかせることも不可能になってしまう。この理念の特性をベンヤミンは、「所有」され、意味づけされたら、もはや叙述することができない「存在」そのものの属性とみなした。
 そこには認識が、問いかけの限界を前にして立ち止まり、中断し、途方にくれる一瞬が訪れる。こうした「存在」のあり方は概念の整合性や統一性とはちがって、対象への問いかけの届かない世界であるからだ。ここではじめて、わたしたちはベンヤミンが概念をどのように料理していたかつきとめることができる。彼にとって概念は、経験的な対象を自らの意志で意味づける悟性のはたらきによって統括されているということだ。それに対して彼がやろうとしていることは、より形而上学的な取り組みということになる。彼の形而上学においては、部分と部分は切断され、極端と両極端は並べられ、中断と継続が文体へ共鳴する、そのような無垢な不連続の連続性の文体へ誘惑する。時間と空間の交わり自体、いうなれば、悟性が「ここ」と「いま」とを組み合わせた世界にすぎず、対象を「所有」しては、そこに投げ入れるくもの巣の糸にほかならないと言っているようにおもえる。細部と全体が共時的に振動する空間や継続と中断を同時に組み上げる母胎があるとすれば、それこそ理念をみちびきいれる場所であった。
 このようなベンヤミンの方法は、ドイツロマン派やバロック劇やの作品批評に適用されている。しかし、わたしたちは、彼の力を借りて、知の所有ということや文学言語の出自に関して、もっとイメージを膨らませることができるにちがいない。わたしは、所有されてしまった知こそ概念を意味すると前述した。つまり、その時点で概念の言語は伝達機能を不可避にまとってしまう。だが、知の永続性や未完成を意識し、ただ、「志向性」において言語が立ち現れる場合、そういう死後の世界までふまえられた言語においては、言語の伝達機能は制限される。そこから、ベンヤミンの「純粋言語」という類型がうまれた。
 彼は模写理論に見向きもしないで、翻訳について触れながら外国語の作品を母国語になおすには、言語の親縁性や類似性は関係ないとして、言語作品の本質があくまでも永続性と言語の不断の生長に内包されていると考える。だが、諸言語においては、語でも文でも文脈でも、意味するもの、意味されるものなど個々の要素をみれば互いに排除しあう関係にある。それでも、現在においては互いに拒み、拒まれているものの、お互いの言語を含む作品が、死後のあるいは発語された時点の「志向性」において、親和してゆくところにおいて理解されるなら、翻訳はその意味するものの制約を越えて、ある水準にたどり着くことができる。それこそが、伝達機能をとりはらったあとの高次の言語を予感することができるとされるのである。この高次の言語こそ、「純粋言語」と呼ばれた。
 ここでベンヤミンが言っていることを、わたしの概念の破壊という問題意識に照らして考えるなら、概念のレベルにおいては、二つの言語相互の交換は可能であるが、それでは外国作品に刻まれた歴史の総体と、母国語の言語の移り変わりの線分を除外しており、ただの伝達になってしまうというほどの意味に受けとれる。たとえば、ひとつは、意味されるものを「家」と「house」の違いとして表わすなら、この場合、一対の同質的相異において空間的な距たりを意味する。そして、もうひとつは、なぜ、同じものを表現するのにふたつの違いがうまれるかという点に着目すると、意味するものの時間的違和感を示すというわけである。だが、それでもこれらが互いに補完しあう認識の次元にのぼれば、言語は別の側面をみせる。つまり、自他の言語表現がめざしている到達点からふり向いてその「未完成」の段階がおのずと明らかになるそういう別の次元が想定されるということである。その次元が「純粋言語」というものの足場なのである。
 ベンヤミンの言語表現の到達点が理念世界に正確に照合しているのは容易に理解できるが、それを言語表現のなかに繰りこむのは容易なことではないようにおもえる。なぜなら、それには二つの異なる言語の時間と空間の違和のすき間をくぐりぬけることが求められているからだ。これは二つの異なった言語のあいだの交換関係に限定されない。母国語同士、「家」と「海」との関係においても違和感は同じように表現されるにちがいない。
 ベンヤミンに近づけば近づくほど、わたしたちの概念で覆われた煩わしさの世界から離陸したような気持ちになって小気味よいのだが、すこし反省的になると、「私」の存在を抜きにして言語概念は語れないのではとおもってしまう。ベンヤミンの虚空に吊るされた理念が、突然、降ってきたりする神秘体験におもねると、なぜ、わたしたちが、リンゴが「赤い」と形容されてわかったつもりになったり、アバタがどうしてもアバタに見えてしまう理由が心にとどかないからだ。つまり、一般的な概念が、どうして「私」の概念になるのかの説明がつかないのだ。その回答を与えたのはマルクスだった。

≪普通の人は、リンゴやナシがあるといっても、すこしも異常なことを云うとはおもわない。だが哲学者がこれらの実存を思弁的なやり方で実現するときは、なにか異常なことを云ったのである。かれは奇跡をおこない、「くだもの一般」という非現実的な悟性物から、リンゴやナシなどの現実的な自然物をうみだしたのである。いいかえれば、自分の外にある絶対的主体として、ここでは「くだもの一般」として、思いうかべられたかれ自身の抽象的悟性から、かれはこれらのくだものを創造し、かれが云う一つ一つのくだものの実在のうちに、かれは創造行為をおこなっているのである。≫『聖家族』 マルクス著 中野正訳

 ここでマルクスの言っていることは哲学者だけの問題なのだが、どんな人間でも「くだもの一般」から目の前のくだものに触れたり、匂いを嗅いだりしながら食べているにちがいない。ただ、哲学者とわたしたちがちがうのは、「くだもの一般」という抽象的悟性が生まれた経路については、個々人があずかり知らないことである。つまり、マルクスにおいては、哲学者は目の前の実際のリンゴやナシから「くだもの」という一般的表象がつくられ、その「くだもの一般」それこそが実在するリンゴやナシの本質であり、特殊な感覚的な区別は、もはや必要ないとおもってしまう思弁的理性の働きにつまずいたとされている。そして、マルクスは実際のくだものから抽象的表象である「くだもの一般」をつくりだすのはやさしいことだと述べている。しかし、今度、「くだもの一般」から実際のくだものを編み出すことは難しく、そのカラクリは哲学者の思弁の中に隠されている。思弁的理性はさまざまな個別の属性をもったくだものから「くだもの」という抽象物をつくったのだが、その概念が実際にいきいきとした内容をたもつためには、その概念から具体物であるくだものそのものにまで戻らなければならない。
 そこで、哲学者は抽象物を放棄することになるのだが、実際は、放棄するようで放棄しない、放棄しないようで放棄する、より巧妙な手口をためすことになる。この際、たどりついた概念から元の道に引き返すのは、ためらいや自責の念がうまれるはずなのだが、思弁哲学は、実際のくだものは、「くだもの一般」という本質の現象であると考えてしまった。つまり、実際のくだものは「くだもの一般」の生命のそのときどきの現われであり、その化身であるとみなされるのである。そうでなければ、「くだもの一般」はただの抽象物になってしまうから、生命の契機にかえるためには、どうしてもそのような解釈が必要だったのだ。こうして、今度は上記の引用のように「くだもの一般」の方が、不断に実際のくだものの区別を産出しはじめる。
 しかし、マルクスにとっては、そこから生まれた実際のリンゴやナシの属性は、悟性的認識が産みだしたヘーゲル的な弁証法の幻想にすぎなかった。ベンヤミンの理念よりはるか手前において、悟性的認識が人間にまとわって、概念を産みだすにとどまらず、その概念は実際のモノやヒトを操り、いわば、「概念の概念」をつくりだす世界がある。この折重なった思弁の罠をマルクスは、認識が「実体」を主体にして「絶対的人格」をとおしてしか世界を理解できない倒錯した思考方法とみなした。マルクスが、このような「絶対者」を必要とするキリスト教の神学にとりかこまれたヨーロッパという風土の中で、力ワザを要したのは、単に、哲学者の頭脳の中で展開される抽象的概念の拡張をおしとどめるためでも、リンゴやナシの特性を直感によってたしかめられることを言いたいためでもなかった。人間の社会や関係がいかようにも転倒され、歴史の重さや営みが、歪んだ像を当たり前のように呼吸する事実に、憎悪をもって抵抗しようとしたからだ。
 わたしたちの土壌は、「赤いリンゴ」と言うだけのことに、重層的な意味をくみとったマルクスの憎悪の大きさを正確には測るにはあまりに貧しい環境しかなかった。かつて、江藤淳は、サルトルの『嘔吐』を病者の文学と呼んだことがある。このとき、江藤はこの病者の憎悪が必要である認識論や存在論の系譜が、彼地にはどれだけうずたかく積まれているかについておもいをはせることができなかった。それは、のちに、彼がほんとうの「日本的なるもの」とは何かを探る手間を惜しんで、「日本」という概念の「実体」のもと、そこから流れくだる「日本的な」ヒトやモノの「定在」を与えながら、「有機的な共時的時空間」の系列をなした一連の絵巻物を描いたことで十分に証明された。

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