書評  倫理と支配の根拠

著者: 宮内広利 みやうちひろとし : 批評家
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わたしたちのかつての共同体の倫理は、ときに軋みや異和を発して、ともすれば、なだらかな発生の神話をつき崩そうとする。『古事記』神話の中ではじめて「罪」という概念が登場するのは、スサノオが高天原(タカマガハラ)から二度の追放を受けたときにはじまる。イザナギは死んだイザナミを追って黄泉の国へ行ったのだが、思いが届かず、帰ってすぐ禊(ミソギ)をおこない、体を洗ったときたくさんの神々を産み落とす。そのうち左の目を洗ったときに現われたのは天照大御神(アマテラスオオミカミ)、鼻を洗った時には建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)が生まれた。イザナギは姉のアマテラスに高天原を支配することを命じ、弟のスサノオには海上を治める権限を与える。ところが、スサノオはそれを拒否して、母のいる黄泉の国に行きたいと、青山が枯れ山になるほど泣きわめいたとある。そして、とうとう怒ったイザナギから高天原を追放されるはめになる。これが一度目の追放である。

そして、スサノオはイザナギが隠退したのをみはからって、アマテラスを頼って高天原にのぼる。アマテラスに不信感をもたれているスサノオは、おもてむき恭順の意を示すのだが、姉との誓いのしるしとして生まれた神々について自分の神の方が勝っていると逆らい、田の畔をこわし、稲を踏みつぶしたり、溝を埋めるなど乱暴をはたらきはじめた。それでも、最初はアマテラスがそれを善意に解釈して咎めなかったことから、姉の好意に甘え、図にのってますます乱暴になった。しかし、神の衣服を作っている機織場の屋根から穴をあけて斑駒(マダラゴマ)の皮を剥いて落として機織女が死んだときには、さすがにアマテラスは恐れを抱き、とうとう天の岩屋戸(アメノイワヤト)に籠ってしまう。

アマテラスは日の神(太陽の神)だから高天原は暗くなり、葦原の中つ国(アシハラノナカツクニ)も永遠の闇につつまれ、あらゆる禍が起こり始めた。なんとかアマテラスに岩戸から出てきてもらおうと八百万(ヤオヨロズ)の神々は思案して、岩戸の前で祭りを行い、鏡や玉飾りを作ったり、祝詞を唱えたりしてアマテラスの興味をひかせる計略を練る。とりわけ、猿女(サルメ)の祖、天宇受売命(アメノウズメノミコト)の狂おしい歌舞によって、一瞬、不思議におもったアマテラスが岩戸から覗き見したところで、ようやく岩戸から引き出すことに成功する。

神々はスサノオに対して壊した物品の弁償をさせるとともに、鬚と手足の爪を切って祓(ハライ)を受けさせ、高天原から永久に追放した。これが二度目の追放である。追放されたスサノオは下界に向かい、出雲の国の肥の河上(ヒのカワカミ)鳥髪(トリカミ)というところに降り立った。スサノオは暴風の神とも呼ばれるのだが、出雲に降りた折に、蚕や稲、粟、小豆、麦などの穀物の種を最初に発見したといわれており、以後、農耕民の始祖としての役割をあたえられる。

スサノオが犯した田の畔を壊し、溝を埋めるなどの罪に対して祓(ハライ)をおこなう償い方は、まだ、法がひとを裁くのか、ひとの行為を裁くのか不分明な時代の宗教的儀礼にのっとったものである。このような歴史的段階では個々の人格が問題なのではなく、のちに農耕民の始祖になるスサノオという象徴的存在が、そのバックボーンともいえる農耕生活の共同規範を破り、処罰の対象になったことに意味があった。この場合、アマテラス直系の天つ神が出雲系統の土着農耕民であった勢力に対してスサノオという人物を代表させ、それに罪を負わせたという見方ができるからだ。土着農耕民の始祖が農耕生活の罪を負ったということは矛盾であるが、その矛盾をとく鍵は、宗教が法として整備されている過程において、原始的な国つ罪の概念と天つ罪の概念がすれちがいざま、同化したり離反したりして摩擦を生じている場所にあった。

このスサノオが高天原から降り立った(追放された)天つ神でありながら、出雲系統の土着農耕民の始祖であるという立場の二重性は、罪概念においても前農耕社会以前の遥か未開社会までさかのぼる国つ罪と、農耕が定着して氏族制の紐帯がくずれて部族的な共同性がつくられ始めた段階の天つ罪の二重性を反映するものであった。動物や植物を採って狩猟生活をしていた先住族がもっていたとおもわれる血族集団の罪意識は国つ罪のカテゴリーである。そこに新たな農耕技術をもたらした勢力によって部族社会が次第に大きくなり、さらに統一部族国家の輪郭を表わしはじめたとき、天つ罪の概念が次第に色濃くなっていく。だが、この天つ罪と国つ罪の発生は、歴史的な時間の継起とみなされるべきではない。もともと統一的な部族国家が形成されていない段階においては、天つ罪と国つ罪の概念が明確に見分けられようもなかったはずであり、それにくらべて『古事記』が編纂された時点であらわれたスサノオの犯した天つ罪は、比較的新しい解釈と言わなければならないからである。

スサノオの犯した天つ罪の意味合いは、まず、スサノオが天つ神でありながらその規範を破ったということであり、彼は法の侵犯において自ら天つ神の立場の矛盾を背負わなければならなかったことである。だが、この矛盾は、まだ、直接的に天つ神と国つ神の間の争いをひきだす誘引にはならない。わたしたちの古代解釈は、ともすれば、天つ神を擬した大和勢力と農耕土民の出雲勢力に代表される国つ神との間の対立図式と、天つ神による国つ神の平定という単調なシナリオにおさまりがちである。だが、実は、天つ神と国つ神の矛盾にはある段差を含んでいるため、本来、天つ神と国つ神の対立が見えにくいのである。そのため、この第一段階の矛盾においては、スサノオは天つ神でありながら、出雲系統の土着農耕民の始祖であるという立場は、単なる武力によっても、政略結婚によっても解消するものではなく、ある媒介をとおしてのみ、この天つ神の矛盾を転位させることができるのである。

スサノオが禊の対象として一度目に追放されたのは、黄泉の国にまで行ってさえも母親のイザナミに逢って、もう一度、濃密な血族集団生活に戻りたいという願望を象徴していた。いわば、近親相姦の願望であるから、「醜悪な穢れ」である国つ罪に該当している。つまり、スサノオは、一度目は国つ罪によって追放され、二度目は天つ罪によって追放されたことになり、二度目は国つ罪に抵触した前歴をもっていたことになる。したがって、スサノオは、黄泉の国に接する出雲の農耕土民の始祖として、もともと天つ罪であることがそのまま国つ罪でもある二重性を含んでいたのである。

禊のもっとも原初的な意味として、「醜悪な穢れ」を忌むことからはじまり、それが宗教という形をとって現れたものとみなされている。すなわち、あらゆる宗教的な共同幻想の根幹には、黄泉の国につながる「醜悪な穢れ」を忌んで、それを禊の対象として天上に預け、それと同時に現実生活の自由を獲得したいという願望が隠されていた。もし、『古事記』の作者が、天つ罪であり、国つ罪であるという矛盾を天上に預けるという意志をもっていたのであれば、この「醜悪な穢れ」の対象として、黄泉の国や近親姦だけではなく、そこにあらたに出雲の国に象徴される国つ神の支配する原初的な土着農耕民の共同的な宗教性が加えられてもおかしくない。つまり、スサノオの罪が象徴しているのは、単に、天つ罪の概念が国つ罪の上に覆いかぶさったというのではなく、その天つ罪自体が、また、国つ罪の「醜悪な穢れ」をもたらし、それを忌むものとして、さらに天つ罪との対立が生じたと考えられなければならないのである。こう見れば、国家は天つ罪を法規範としてとりだした段階で成立したのではなく、その天つ罪が国つ罪に変異していく過程ではじめてその全貌をあらわしたことがわかる。その意味でわたしは、大和勢力が地方の部族国家を平定していき、統一部族国家ができる前にも、当然、国つ罪だけではなく、土着農耕民の間で天つ罪概念が成熟しており、原始的な狩猟生活をおこなっていた氏族制社会と農耕技術がもたらされた後の部族国家の間には、幾重もの屈折がともなわなければ、統一国家形成までの道のりを俯瞰できないとおもっている。

ともすれば、わたしたちは神話を前にして逆立ちした時間の経過を見守っている。神話においては国産みの天つ神からはじまり、国つ神を媒介してというのは、天つ神が同時に国つ神になることで、今度は、この国つ神が天つ神として国つ神を従えるという順序に見誤ってしまう。しかし、ほんとうの歴史はその真逆で、国つ神が天つ神になり、同時に国つ神でもありながら、更に、その上に天つ神を仰ぐ位相のちがったふたつの三角形(トライアングル)の構図を示しているのである。しかし、『古事記』編纂の時代には、すでに天つ神が国つ神であった時代の記憶がぼやけてきており、いきなりどこからともなく現れた神を天つ神そのものとして仰ぎみたにちがいなかった。一旦、こういう錯誤が生まれてしまうと、あとは、この出生不明ではあるが確固たる天つ神が国つ神を平定するだけの単調な過程にすり替わる。ただ、スサノオが天つ神であると同時に土着農耕民の始祖であるところに、わずかに倒錯の名残りが見えるだけだ。

わたしは、わが列島の統一部族国家の成立については、天つ神と国つ神の入り組んだ葛藤があずかっていたことをみてきた。だが、入り組んだ関係という視点は、わが列島だけに当てはまるのではなく、たとえば、エンゲルスやレーニンの国家暴力装置論やホッブス流の社会契約論を批判する際にも応用できるとおもっている。いずれにしても、広い市民社会の活動領域の全体からすると、国家は狭苦しく数量化できないほど、とても薄っぺらな組織である。にもかかわらず、わたしたち個々人には担いきれないほど重いものという迷信を植えつけたのにはそれなりの理由があったと考えなくてはならない。その証拠には、氏族社会から部族社会へ移行し、部族社会がその閾値を越えると、はじめて国家が誕生したといえるような分水嶺が土器や石器の後ろに透けて見えてくるわけではない。わたしたちのいう国家の基準は、法整備ができてなくても、微かにではあっても個人の負担と禁忌(タブー)によって無理強いする権力構造が発生して、心のメカニズムをとおして曇った澱の実在が確かめられる場所そのものを指している。わたしたちの倫理観ではわかっていながら、ほんとうはとても軽いと予感させる国家の本質は、ともすれば、現在でも生きることの誤解さえ生んでしまうのである。

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