書評  知の宗教

20世紀最大の思想的事件はマルクス主義の解体であった。わたしたちは、1989年のベルリンの壁の崩壊やソ連邦の崩壊を体験したが、そのときの「あっけなさ」の感慨を忘れることができない。まさにそのためにこそ闘ってきたと信じてきた当の現実が、あたりまえのように、あたかも幻が消えるかのごとく、あとかたもなく崩落したのだ。政治的変革とはこういうものだったのかと改めて感じ入った。これは同時代を生きただれもが共有した感想にちがいないとおもう。その後、しばらくして心に残ったのは、ロシア革命や社会主義とは何だったのだろうかということであった。だが、それは何一つ回答が与えられないまま不問にふされ、いまや歴史の闇に埋もれようとしているのである。
にもかかわらず、わたしたちは、ここで歴史に対する皮肉な疑問につきあたることになる。はたして、ソ連邦の試みた社会主義は、マルクスやエンゲルスの思想の実現であったのかどうか、それともレーニンやスターリンなどが理想を歪曲したものとして位置づけられるのか、ということである。また、ほんとうの社会主義があるとすれば、それはどのようなものであるべきなのか、という微かな疑問である。この設問は合否があらかじめわかっている入学試験のようでもあるが、その論理のカラクリだけは検討に値するとおもえた。
マルクスは「自分はマルクス主義者ではない」と言ったそうだが、もし、そうであるなら、まず、マルクスのテキストの読みまちがいが社会主義を瓦解させたという事実から検証しなければならないだろう。たとえば、マルクスは宗教を否定したといわれているが、果たしてそうなのだろうか。マルクスは宗教の問題を取り上げる際、いかにもへーゲリアンらしい顔つきをしたブルーノ・バウアーを標的にした。バウアーは、当時、ユダヤ人問題をめぐる論争の渦にのみこまれていたが、強固なドイツの伝統哲学の窓をとおしてしか、この宗教の問題を取りあつかいえなかったとされている。
バウアーはユダヤ人解放の問題を純粋な宗教的問題に変えたとマルクスは言う。バウアーによれば、ユダヤ人の解放はユダヤ教からの解放とキリスト教からの解放以外ではなく、なにより、ユダヤ教徒が自身に対する、またはキリスト教に対する批判が解放の必須条件とされた。このため、ユダヤ人の解放のゆくえは、ひとえにユダヤ人自身の神学的な態度の問題であった。こういう要求は、マルクスからすると、現実的なユダヤ人やユダヤ教徒の存在そのものの否定にみえたのである。つまり、ユダヤ人がキリスト教に対する疑念や自己に対する見方の変更を信念にまで高めさえすれば、宗教はあとかたもなく消滅するのかというのが、マルクスが投げかけた第一の問いかけであった。
もし、バウアーのいうように、ユダヤ人の解放の鍵がユダヤ人自身の知的な成熟度にかかっているとするなら、ユダヤ人問題が存在するか否かすら、ユダヤ人自身の意識の中で決定されることになるのである。そればかりか、ユダヤ人問題はブルーノ・バウアーの主観の奥深く消えてしまうことにもなりかねない。つまり、マルクスは、バウアーにとってユダヤ人の解放とは抽象的な「当為」にすぎないと言っているのである。問題は、ユダヤ教やキリスト教という宗教観念の存在自体にあるはずなのに、バウアーには存在に対する主観的意識が先にあって、存在自体が二義的なものになってしまっている。
こう考えると、バウアーの神学的な立脚点からすれば、ユダヤ人は前もって頭の中で解放されてしまったあとではじめて論議の対象にされていることになる。現実的にユダヤ人がユダヤ人問題として存在し、解放を希求するユダヤ人が存在している事実がいつのまにか消え失せ、宗教の解放の幻想を後追いするかのように、主観的なユダヤ人の存在のみが残されてしまうのである。したがって、当然、バウアーの主観の中で宗教は消えても、現実の宗教は残る。
これに対してマルクスが述べているのは、ユダヤ人の秘密を彼らの宗教の中に探るのではなく、その宗教の秘密を現実のユダヤ人の中に探ることであった。彼は存在と主観の関係をひっくりかえし、ユダヤ教を廃棄するためには、彼らの現実的な存在様式そのものの社会的基盤を探る方角に切り替えたのである。ユダヤ教は現実世界としての近代国家が反映したものであるから、宗教の現実性は近代国家でこそ特別な色彩を帯びて完成する。だから、宗教の本質を探ろうとすれば、近代国家の内容である国家(政治的国家)と社会(市民社会)の二重性のあり方に下降し批判をくわえなければならないとするのである。こうしてマルクスが現実性としての近代国家をみいだすとき、ユダヤ教の秘密とその批判は、ほかでもなく政治的国家と市民社会をつらぬく原理として、ユダヤ教でいわれるところの利己主義にまでつらなって認識される。ユダヤ人問題の入り口は、まさに、現実と主観の関係そのものの中に伏在しているのである。
こうして、政治的国家、市民社会はマルクスによってはじめてとりだされる対象にかわった。マルクスの眼が現実をつくりだしたのではなく、現実がマルクスの眼をつくりだしたからである。ユダヤ教の現実性とは、近代国家、すなわち、政治的国家と市民社会の完成をもって具体化した。すなわち、ユダヤ教の利己主義は、類的生活としての共同性の紐帯を政治的国家という観念的生活に担保し、片や、個人的で感性的な人間生活の生存様式の中にあらわれる市民社会の利己的原理に即応するかぎりで自己実現するのである。だから、もし、ユダヤ教において精神的貧困というべきものがあるとすれば、政治的国家と市民社会の離反と二重化という近代的な国家・社会構造の貧困にこそ、その根源をもとめなければならないのである。それなら、ユダヤ教の貧困をなくすのも、近代国家の変革を射程におさめなければリアリティをもたない。こうしてマルクスの宗教批判は、政治的国家、市民社会の批判にのびていく。

≪民衆の幻想的な幸福である宗教を揚棄することは、民衆の現実的な幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてもつ幻想を棄てるよう要求することは、それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求することである。したがって、宗教への批判は、宗教を後光とするこの涙の谷(現世)への批判の萌しをはらんでいる。…中略…こうして天国の批判は地上の批判と化し、宗教への批判は法への批判に、神学への批判は政治への批判に変化する。≫『ヘーゲル法哲学批判序説』 マルクス著 城塚登訳

マルクスのブルーノ・バウアー批判の眼目は、バウアーの宗教批判が、はじめから神学的抽象性の先入観の枠内から、宗教をなくそうとする「当為」によりかかっているため、宗教の存在そのもののゆくえを見失ってしまい、その結果、論理的な現実性がすぐさま「批判的批判」の学として思弁的な「知」の運動に吸収されてしまう点に集中した。要するに、バウアーの方法だと、宗教はすでに彼の頭の中で解放されたあとに再び対象にのぼってしまうのだ。宗教からの解放は、とりもなおさず、宗教をかたちづくる存在そのものからの解放であるはずが、バウアーは自分の頭の中で架空に描いた解放のビジョンを無理やり押しつける結果、存在をとり逃がし、解放の幻想にふりまわされたほどには、現実に爪をたてることができなくなってしまう。それゆえ、ユダヤ人解放の主観的前提が堂々めぐりして一歩も前進ができないのだ。宗教の批判ではなく、批判の批判の学、いわば、「宗教」的知識になってしまっているのである。
バウアーが宗教批判を「政治的解放」のみの力にたよるのも、彼のこういう「当為」の自己円環的な発想にねざしていた。おそらく、「政治的解放」に宗教消滅の望みを託すバウアーには、後進国ドイツの彼岸へ越境するのは、宗教をのりこえられないのと同様、思想的に不可能であった。彼の視界に映るのは、政治と宗教が一体化したときだけ国家の存立要件がみたされるドイツの遅れた国家にすぎなかったからだ。彼の思考には、たとえ宗教が政治的解放によって国家の足元から離反していこうとも、依然、宗教の基盤は残ってしまうドイツの国境の向こうにひろがるイギリスやフランスのような政治的国家、市民社会のありようは理解できなかった。これに対して、思想の情景に映ろうと映るまいと、あるがままの現実は認めなければならないと自認するマルクスは、あらゆる軛をふりはらって政治的解放の問題に対面する。
政治が政治そのものとして表現されるための政治的解放は、人間の類的存在と個的存在の離反を政治的国家、市民社会の二重性のかたちで露出する。その際、社会は個的存在が個的存在としてとりだされるための条件として、類的存在としての政治的国家を市民社会の補完物としてうみだす。この場合、宗教は政治的解放の恩恵にあずかって消滅するのではなく、政治的国家の足元を離れ、国家の制約から市民社会がときはなたれるとともに、ますます市民社会の中で自在にふるまうことになる。
政治的解放は政治の解放であるとともに、市民社会が国家の軛から解放され自由になることでもあるのだ。つまり、宗教は国家の手中をのがれ、市民社会の中に流出し、自在に宗教的幻想をふくらませるのだ。バウアーの場合、現実の宗教を否定して自己の主観的願望の中に宗教を流し込み、余った宗教意識を論理学的思考にそって、政治的解放の概念にあてはめるだけだから(否定の否定)、その程度に応じて、論理学の前提事項が政治的概念の絶対化にのりうつってしまう。
こうしてバウアーも、ソ連邦や社会主義国が実際に宗教を弾圧したのと同じように、思弁的にしか現実をみることができなかったのだ。大切なことは、概念を超えた現実的な政治的国家、市民社会への遡及であり、どういう種類の解放が本質をとらえるかということである。マルクスの言葉を借りるなら、宗教の存在の批判や政治的解放の批判こそが、ユダヤ人問題の最終的批判になるのである。
こういうマルクスの考え方においては、のちのソ連邦、東欧圏、現在の中国のように宗教や政治的自由を妄想や幻想であるとみなし、抑圧・制限することは考えられないことだった。その種の弾圧は、宗教や政治的解放の形而上学からでた宗教的迷妄であることが証明されたのである。このことを理解するのに人類は膨大な時間を浪費した。

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