日高桃子が、もし標準語で話していれば、この小説はどうなっていたろう。『おらおらでひとりいぐも』の主人公が、東北弁でなく、標準語で話す。
想うに、日高桃子は、もっと魅力的な女性になっていなかったか。さらに、著者・若竹千佐子氏は、テーマとの格闘をよぎなくされていたはずだ。
東北弁をもちいて、著者は、新奇をねらったのかもしれない。作品完成という高いハードルへの挑戦を回避して。
〈あまり感動しなかったな〉〈ことばが読みづらかったわ〉。わたしの周辺の読者の感想だ。
長年「信濃毎日新聞」で書評を担当してきたわたしは、芥川賞受賞作でとくしたな、と正直思った。
しかし、さいごまで読ませるおもしろさとパワーは感じた。老女のこころのさまが率直に描けてもいる。なによりも、老いをどのように生きるか、普遍的な課題を提出している。そして、年齢相応の主人公を設定していることにも、好感をおぼえたのである。
*
1人の女性作家がどのように誕生したか。考察してみるのはたのしいことだ。作家志望 を果たせないまま貧乏や病気で死んでいった女性は、過去に何人もいる。
若竹千佐子は、じつにラッキーな作家デビューを果たした。昨年、文藝賞を獲得している。岩手大学教育学部を卒業後、臨時教員をするが、結婚後は専業主婦。夫と死別してから「小説講座」の教室に通いはじめたという。修業8年。今年の芥川賞受賞は、63歳の快挙だった。
新人賞に応募する。若竹千佐子は、投稿というストレートのボールをみずから投げた。大物作家や組織のちからを借りるのでもなく、自分のちからでとびらを開いたのである。過去にも、有賀喜代子という、岡谷市の主婦が「婦人公論」第1回新人賞に応募。「子種」は当選して、作家デビューを果たしている。49歳だった。(くわしくは、ちきゅう座の拙文「有賀喜代子ーわたしの気になる人⑪」を読んでみてください。)
しかし、同人誌の書き手でおわる女性のほうが多いのだ。たとえば、「女人像」の花田歌。「女人像」には、プロレタリア作家の若林つやも所属していた。花田は、作品を書きあげると出版社にもちこんだ。わかい男性編集者が読んで、さんざん悪評する。そのたびに噛みしめる屈辱感を、同人の大井晴にもらしたという。
花田は、同人の石塚あつ子とともに、作家の川端康成の家に出入りしていたともいう。2人は美人で、茶道の心得があった。湯を沸かし茶を点て、川端にふるまう。作家の牛島春子も証言したが、川端は〈気さくな人〉であった。花田のそばには、気さくな大物作家がいた。しかしこと文学にかんしては、自分の作品という実力に恃むしかないのだと思う。
*
わき道に沿れるが、ついでだから書いておきたい。
今年は、川端が1968(昭和43)年にノーベル文学賞を受賞してから50周年にあたる。受賞後の1971(昭和46)年4月、川端が〈ぼくは応援に行きたくないんだ〉という。〈先生、およしなさいよ〉と、花田と石塚はこたえる。川端は、都知事選挙に立候補した秦野章を応援するよう自民党陣営から要請されていた。ノーベル文学賞の受賞には、自民党政権のあとおしがあった、というのだ。川端には不本意な応援だったが、せわになったてまえだろうか、断れなかった。当時の新聞をみれば、川端の応援する写真は載っている。
秦野は美濃部亮吉に敗れた。川端が逗子のマンションで自殺したのは、その翌年4月のことだった。自殺の原因はいくつか絡みあっているのだろう。わたしは、大井から花田たちの話を聴いて、文学を組織にあとおしされた作家のこころのなかを、ちょっとだけ覗いたような気がしたものだ。
*
日高桃子は74歳。故郷をとびだして50年。高校卒業後、農協につとめるが、1964(昭和39)年、24歳で上京。結婚して主婦をしながら2人の子をもうけるが、夫が急死した。現在、都市郊外の新興住宅地で1人ぐらしをする。
「どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ」。しのびよる老いのなかで、桃子は思う。夫を失って15年がたつ。なくしたことで、得たことがある。気づいたこともある。本書には、彼女の1年間の日常生活が描かれるが、そこには、こしかたを反省しつつ、彼女が発見したことも気づいたことも織りこまれている。夫や子のためではなく「自分のために生きたい」。そうこころに決めるプロセスも追求されているのだ。
31年の変化のない主婦ぐらしが、なぜ、思考のとぶ原因になるのか。理屈っぽい彼女は、その意味をつくづく探したいとねがう。著者はさりげなく書くが、彼女は、カフェで書きものをしたり、図書館で調べごとをしたりするような、じつは知的な女性なのだ。こしかたを回想して今後を思考するのも、道理である。ただ、東北弁で語る彼女はなぜか、老けこんだ人に思える。しかし、気づきや決意の内容はおもしろい。
彼女は、長男の関係で250万円のおれおれ詐欺に遭った。「息子の生に密着したあまり、息子の生の空虚を自分の責任と嘆く」。そんな母親としてしか生きられなかったのだと、気づき、ふかく反省する。そして、「自分がやりたいことは自分がする」、全力でやりとおそうと、こころに決めるのだった。
夫のぼくとつな東北弁は、心地よかった。結婚したころから豊かになることがそのまま目標であった。自分の孤独とかれの孤独をかさね合わせた。かれの生きる手ごたえになろうとした。「身も心も捧げつくしたおらの半生」は「最高でござんした」。だが気づけば、知らぬまに居場所を夫にあけ渡していた。自分の存在の空虚を思う。自分よりも他人を大切にするのは「愛」ではない。他人のために生きるのは苦しい。羽をひろげて「空を自由に飛び回っていたい」と、彼女はこころに決めるのだった。
桃子は今後も、おもいがけない気づきと出会うにちがいない。老いて気づきという「心の友」を手に入れたのである。
彼女のひとりごとは、なおもつづく。こころの内側で大勢の人と自由自在に対話する。自問自答して、さまざまに思考する。だから、さみしくないという。
彼女の自覚のほどは、わたしにもわかる。しかし、生身の人との対話は避けてとおれぬはずだ。むしろ、老いて多くの人と直面せざるをえなくなるのではないか。彼女のひとりごとは、血縁、親族という身内のものとにかぎられる。身内を超える、他者へのまなざしは、本書にはほとんど認められない。人間が人間にたいして、その関係をどのようにきり結んでいくのか。その展望は感じられないのだ。
彼女はこれまでどおり自分の殻に閉じこもっていて、いいのか。今、現代人は他者とのかかわりをもたず、自分の殻に閉じこもりがちだ。彼女もその1人だとすれば、著者も、その社会的ありようを黙認しているのかもしれない。それは桃子の問題である、とどうじに、著者自身の問題であろう。
もう1つ疑問なのは、桃子の生活をささえる金銭はどこから生じるのか、ということ。金銭は老いにあって深刻なもの。桃子の年齢におよそ10年が足りない著者は、この点にペンが及ばなかったのであろうか。
わたしには2つの疑問点が読後も気になっている。著者が一歩ふかみに踏みだしていたら、作品は一層おもしろく、パワフルになったにちがいない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0625:180505〕