トラちゃんが死んだ。焼香におとずれた近所の人に、正座した息子たちは、涙をシャツのそででふきながらあいさつする。この場面に思わず、わたしはもらい泣きしていた。
猫のトラは、小学生の息子たちが成人するまで一家統合の要だったという。一家の主は、この小説の著者、南木佳士氏の分身のようだ。総合病院で人の死んでいく過程とつきあう臨床医で、またその業を開示する小説家なのだ。二足のわらじを履いて身によけいな負担がかかったのだろうか、38歳のとき、うつ病に襲われる。このまま動けなくなったら、妻子はどうなるのか。自宅の軒下から拾いあげたトラが、そんな彼の苦境を救ってくれるのであった。
彼の人生ドラマは、家族のそれでもある。妻は、自裁願望の夫の見張り役から、子どもたちの世話と義父の介護までこなし、とてもパワフルだ。2人の息子は、休日にも遊びにつれて出ない父に慣らされながら情緒豊かに成長している。
彼は、旧世代の芸術至上主義者ではない。普通の生活をそつなくこなし、村社会の一員として復活したいと願う。責任感と義務感という重荷をおろしては回復していく。実父が他界し、子どもたちも大学進学で都会へでていく。その経過で彼は実感する、出来事はふいに起こり、そのまま引きうけているうちに回復したり変容したりしていくものだ、と。
トラの動作を眺めていると、彼のほほがゆるんでくる。トラのすべらかな毛に触れれば、彼の封印された過去がほどけてくる。しかし、歳月とともにトラは衰えていく。トラが野良猫とのけんかに負けた。けんかを避けて生きのびてきた、自身の弱虫の過去がよびさまされるのだった。彼は、トラのけんか相手を認めるや小石を投げつけた。さらに追跡して田んぼのなかに踏みこんだ。ふと、われに返る。こんなに独りで遠くまできたのは初めてだよな。口を開いたまま、夕陽にみとれ立ちつくすのであった。
自然のなかで彼の五感は全開する。大いなる力に祝福された、貴重な時間だ。偏狭な性格というカラも破れたろうか。
トラは、彼の心身と過去を解き放ってくれた。子どもたちには、生きるうえでの大事なことを教えてくれた。50代の妻もいう、トラのお陰でどれだけ慰められたか、と。妻の言葉こそ深くて重いにちがいない。彼の家族に愛され命をまっとうしたトラは幸せものだ、と、わたしは思う。
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