難波田節子氏の描く小説集からは、心と心の触れ合いが浮上してくる。私たちは自分が、他人からうける影響は手につかめても、他人にあたえるそれはわかりにくいものだ。日本と異国を舞台にしながら、人と人との交流をとおして、6編のドラマは展開する。
「夕映えとりんどう」に登場する「浜江」は、老人ホームで死を待つだけの生活がふがいないと思う。部屋の壁にかかった父の八ヶ岳の絵。何のために父はあんなに真剣に描きつづけたのだろう。
ある日、入居者の知人がその絵をみて、若いころ父に絵の指導をうけたと話すのだった。希望のない生活のなかで父の厳しさに引っぱってもらった。いま、もうひと踏ん張りして絵を描こうと決めた、とも。
父は、家出して結婚した娘の明日を祈りつつその絵を描いたという。勤め人として昇進できずにいた口惜しさを紛らすように夢中で描いた。絵は父の生きた証しなのだと、浜江は気づく。身勝手な人であったが、いま、父の孤独を思い知るのである。
表題作の「雨のオクターブ・サンデー」も、感銘ふかい。イギリスに住む「香織」は、教会にオルガンのレッスンにかよう。そこで異国の初老男性と出会い、厳しい忠告をうける。音楽一筋できたけれど、それでよかったのか。迷いは消えていく。だが、目標を確認させてくれた彼は急死するのであった。死後、彼の娘から、あなたは父をしっかりうけとめてくれた、と言われる。香織はいま、交通事故でオルガン奏者の夢を断たれた彼の無念さを知り、一人で頑張っていこうと決意するのである。
全編に登場する男たちはみな、無口で人付き合いが下手だ。生前に自分の思いを相手にぶつけていれば、ドラマの展開も変わってきただろう。両者のあいだに、葛藤も衝突も生まれただろう。文芸評論家の勝又浩が本書の解説のなかで、著者の突っこみの足りなさを指摘している。しかし著者は、他人にあたえた影響が死後に明瞭にされる、という着想で描きたかったのだ。「女友達」にしても、夫の死後に彼を好きだったと、同級生が妻の前で告白している。
他人の存在を軽視して自分を中心にする、一方的な人間関係の現実社会にあって、著者がこぢんまりした短編世界に描いた、うけてあたえる人間的交流は、貴重だ。
(「信濃毎日新聞」2013年3月17日付より転載)
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