なぜ、『人間失格』を書いたあと太宰治は心中しているのか。20代の自殺・心中未遂事件は、生活上の不如意が原因だった。だが1948年、家庭的にも作家的にも安定していたとき、家庭の幸福こそ諸悪のもとと主張し、心中している。その衝動は何によるのだろうか。著者、加藤典洋氏は、こんな問いを投げかける。
井伏鱒二は戦前、自作のなかに、太宰と同せい相手で、心中未遂後に別れた小山初代の姿をあからさまに書いた。太宰は戦後、その短編に気づく。こんなことを書いていたのか。太宰の衝撃と激怒を想像しながら著者は、『人間失格』は井伏にあてた返歌ではないかと指摘する。もし自分が死にそこないの人間を失格した存在なら、では、あなたは何なのか。情熱の浪費をきらう、ずるい人だ。
自分をこんなふうに見ていたのか。『人間失格』を読んだ井伏はおどろき、怒りを感じたはずだと、著者はいう。
太宰は1947年半ばころまで、戦死者たちへの思いと、生きのびた人たちの生の苦しみとの、2つの葛藤をもちこたえていた。だが翌年になると、この構図が崩れる。そのきっかけが、井伏の短編に書かれた初代の存在だった。葛藤を支えていたダムが決壊していらい、太宰は、家庭の幸福を否定するようになる。その太宰に死の衝動を強いたのは、戦死者への同情、文学者としての責任感、生き残った者のうしろめたさから、家庭の幸福を享受しうる自身を罰する欲求であったと、著者は推察する。
太宰のそんな死の意味が、年長の井伏には、歳月とともに了解されてきた。井伏は、最も力を注いだ『黒い雨』のなかに、原子爆弾をとりあげている。「戦争はいやだ。はやく済みさえすればいい」というメッセージには、自分の前から太宰を奪いとっていったものへ抗議がこめられる。太宰の返歌に、井伏は正面からこたえていると、著者の読みはふかい。
著者は、太宰の年譜的事実を洗いなおし、さらに作品に踏みこんでいる。次々に問いかけを設けて読者を誘導しつつ、想像と推察をたくましくして解答していく。太宰の心中への行程における分岐点が、どのようなかたちで生じているか。そのダイナミックな検証が興味ふかい。はじめて明らかにされた、太宰と井伏の真剣勝負からは、文学のたのしさが認められた。(講談社刊 本体価格1500円)
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