闘う向田邦子を紹介したいと、著者の高橋行徳氏はいう。邦子は51歳で直木賞を受賞し、翌1981年に飛行機事故で他界している。
著者は、邦子が30代から書いてきたテレビの脚本に注目し、創作活動の転機となった「冬の運動会」をたんねんに解読する。ドラマの展開は、著者の平明な文章によって、テレビで見ていない人にも活字で読んでいない人にも、よくわかる。著者の解釈のおもしろさ、邦子の人間的魅力もまた、あざやかだ。がん手術後の人生を賭けた邦子がホームドラマからシリアスドラマへ転換するその気迫は、すごい。邦子はシングルライフを優雅になぞ過ごしてはいなかった。邦子はこの作品で、家族どうしの葛藤という現実問題にとりくみ、人物の内面をふかく描出する。著者は、邦子再出発の脚本の文学性を評価し、小説家転身の可能性を認めるのである。
登場する祖父、父、子の三世代の男たちは、厳格な家から脱出し、外にやすらぎの隠れ家を持っている。なかでも、元軍人の祖父「健吉」の老いらくの恋が印象的だ。彼はかなり年下の女「加代」が住む棟割長屋にかよう。ちゃんちゃんこ姿で家事をする彼は、ありのままの自分を受けいれてくれる彼女がいとおしい。彼女も、相手の幸せをねがう彼とのあったかい触れ合いだけで満足する。
著者はいう。邦子は脚本を書き進めていくうち、この年齢を超越した恋に心を傾けるようになった、と。そうか? わたしの考えるには、このいっぷう変わった男女関係は、邦子の実体験ではなかったか。邦子にも年上の人とのやすらぎの空間があった。大病後、邦子は執筆をとおして世間の結婚とはちがう自分自身の愛のありようを検証し、これでよいのだと追認しているのだと思う。健吉に愛され死んでいく加代には、邦子の心情が投影しているはずだ。義父、夫、息子の帰宅を家で待つだけの主婦「あや子」の生きざまと対比すれば、邦子のその確信はより明瞭になろう。さらに、加代と同じように邦子も肉親の情愛を断てずに苦しんできた。
向田邦子は、実人生、作品、演出家、そしてライバルの女性脚本家と必死で闘い、わが人生を切り開いてきた人であった。だからその文学力が、今日のわたしたちにつよく訴えかけてくるのである。
(「信濃毎日新聞」2011年7月3日付より許可を得て転載)
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