最悪の結末をかろうじて免れた錦織選手

著者: 盛田常夫 もりたつねお : 在ブダペスト、経済学者
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 リオ五輪テニスで錦織選手が銅メダルを獲得したことに、ほとんどすべてのメディアは、「96年振りのメダル。今後の活躍に大きな収穫」と賞賛しているだけでなく、テニスの専門家も一様に「偉業」を称えている。ゲームの流れが変わった中で勝ち切れたことは高く評価されるが、日本国内の評価はあまりに我田引水的で、プロテニス選手への言葉としてあまりに情緒的すぎる。日本代表を背負って頑張ってくれた錦織選手の戦いを称えるだけでなく、プロ選手として頂点を極めるための今後の課題を明確に指摘すべきだろう。植田日本代表監督は、「今後のテニス人生にすごく大きなものをもたらす」というが、数多くのスリリングな試合をこなし、確固とした地位を築いている選手への言葉としてはあまりに平凡だ。あたかも駆け出しの選手へのありきたりの言葉は、世界のトッププロへの言葉としてはいささかアマチュア的な印象を拭いきれない。「東京五輪への弾みになる」という馬鹿なコメントをしている人もいるが、プロの選手は五輪のために戦っているわけではない。
 そもそも、現在のテニス界のレベルの高さや競技の厳しさは、100年前の高等遊民のボール遊びとは比較できないし、五輪テニスの成績がプロテニストーナメントに影響することはない。そのことは錦織が一番よく分かっている。とりあえず、ナダルに負けなかったことは救いだが、逆にマレーに完敗した事実やデル・ポトルの復活は、これからのトーナメントの厳しさを感じさせるものになった。
 
 五輪はプロテニス選手にとって、息抜き的なエキジビション・マッチに過ぎない。ゴルフや野球と同様に、選手の真剣度はかなり劣る。それでも、プロテニスの世界ですべてのタイトルを獲得した選手にとって、4年に一度しかめぐってこない金メダルの称号は、最後に取るべきタイトルであることは間違いない。歴代最高の選手と評価されるフェデラーは、テニス五輪復活が全盛期とわずかに外れたことで、その獲得チャンスを失った。ともあれ、五輪金メダルはプロテニス選手としてすべてのことを成し遂げた後に得られる最後の称号なのである。
 今時のリオ五輪で、すでに北京五輪でシングルスの金メダルを獲得しているナダルは、故障明けにもかかわらずダブルスとミックスダブルス(棄権)にもエントリーし、五輪タイトルの勲章の総なめを狙った。ダブルスは見事優勝したが、シングルスは準決勝でデル・ポトル選手に負けてしまった。この試合を見る限り、ナダルの状態は全盛期の8割程度の出来だった。しかも、前日にはシングルスとダブルスの試合をそれぞれ2時間ずつ戦っていたからなおさらである。故障明けで状態が悪く、かつ試合の連続で疲労が溜まっているナダル相手なら、錦織がストレートで勝利して当然である。
 案の定、錦織はそれを達成する寸前だった。第1セットを6-2でとり、第2セットも2度のブレークで5―2とし、サーヴィスゲームを迎えた。ふつうなら、サーヴィスゲームをしっかりとものにし、6-2、6-2の完勝で終えるはずである。ところが、このゲームを取り切れず、さらに次のサーヴィスゲームも落とし、ゲームカウント5-5と並ばれただけでなく、次のナダルのサーヴィスゲームで逆に5-6とリードされ、ゲームの流れは完全にナダルに傾いてしまった。最終的に、錦織はこのセットのタイブレークを簡単に落としてしまい、嫌な流れになってしまった。というのは、今年、ナダルとの試合は3度目だが、前2試合とも、前半を圧倒しながら、後半に巻き返されて負けているからである。この試合に負けていれば、対ナダル戦の悪い流れを断ち切ることができず、何とも後味悪い五輪参加になっていた。
 幸い、ナダルの状態は良くなく、最終第3セットでは第2セットでみせた勢いが止まり、錦織が勝利した。錦織もこの勝利にホットしたことだろう。対ナダル戦の嫌な流れを断ち切ったことは大きい。しかし、2セットで完勝するはずが、自らのサーヴィスゲームで試合を決めきれなかったところに、現在の錦織選手の弱点が露呈されている。勝敗を左右するポイントで、自らのサーヴィスゲームを取りきれない弱点が克服されていないのだ。
 錦織選手とは対照的に、手首に故障を抱えているデル・ポトル選手が初戦で盤石のジョコヴィッチを倒し決勝まで進出したことは、大きなトーナメントでいかにパワーが必要かを教えている。このトーナメントでデル・ポトル選手は破壊的なフォアハンドと高速サーヴィスだけで勝負した。左手首の状態が良いのか、これまでよりは力を入れてバックハンドをスウィングしていたが、それでもバックハンドは球を繋ぐことだけに徹し、機を見て、バックサイドに来たボールを回り込んでフォアで打ち返して、ポイントを重ねていた。コートの半分以上ががら空きになるこの戦法は、ストローク1本でポイントを決めないと簡単に逆襲を食らってしまう。短期決戦でフォアハンドの調子が良ければこの戦術は生きるが、グランドスラム大会のようなタフなトーナメントでは、この戦法には限界がある。しかし、今大会、とにかくデル・ポトル選手の高速サーヴィスと破壊的なフォアハンドは有効で、ジョコヴィッチ、ナダルを破り、マレーにも肉薄した戦いは賞賛されるだろう。
 錦織選手の課題は一にも二にも、サーヴィスである。もちろん、錦織陣営はサーヴィス強化に取り組んでいて、ファーストサーヴィスはコーナーを付いてエースをとれるように、またセカンドサーヴィスは球の回転を変えて簡単にレシーヴエースを取られないように工夫している。しかし、如何せん、サーヴィススピードそのものが不足している。サーヴィススピードだけで見れば、女子のトップ選手のそれとほとんど変わらない。これを克服しない限り、グランドスラム大会はもちろん、マスターズ1000大会で優勝することは難しい。

 トップテンに入って2年を経過した錦織は、すでにテニス史に残る選手になっている。日本の中で見ると、彼の才能は50年に1人、選手何万人に1人に割の確率でしか現れないものだ。スポーツに限らず、音楽でもゴルフでも、年に数度のコンクールやトーナメントのどこかで優勝することは天才的な才能がなくても可能だが、年間を通してトーナメントが開催され、年間を通した成績で評価される競技で、常に世界の10指に入るというのは、とてつもない才能と能力を必要とする。たとえば、ピアノやヴァイオリンなど、何百何千万のアマチュアやプロの奏者のなかで、世界のトップテンの演奏者として評価されるためには、天賦の才能がなければ叶わない。現在の世界のテニス界の厳しさはまさにこれに匹敵する。一流のスポース選手や音楽家が皆、錦織選手を高く評価しているのは、世界で戦うことの凄さを体で感じ取ることができるからだ。
 しかし、その天才錦織にして、いまだ叶わぬものが、グランドスラム大会とマスターズ1000での優勝である。世界のテニス界は長らくフェデラー、ナダル、ジョコヴィッチ、マレーの4強に支配されてきた。2014年に錦織が全米決勝に進み、チリッチと戦った時には、4強時代から新たな若い世代への転機が語られ、錦織、チリッチ、ラオニッチ、ディミトロフが次の時代を切り開くと予想された。しかし、ディミトロフは恋物語の話題と比例して、ランキングも下がり続けている。チリッチとラオニッチも今一つコンスタントに力を発揮出来ず、錦織だけがトップテンに留まるも、4強の壁を破ることができないまま、ここまで来た。
 今、錦織-チリッチの世代は「谷間の世代」と呼ばれつつある。引退が囁かれ始めたフェデラーとは年齢的にも差があるから、これからは有利な戦いになるが、ジョコヴィッチやマレーとは年齢的に余り差がなく、錦織が27歳を迎える2016年になっても、このトップ2はますます強さを増しているように見える。
 上位に絶対王者が君臨し、他方で下位から次々と新星が現れている。すでに17歳~19歳の才能あるプレーヤーがトーナメントに登場し始め、20~22歳の新世代のプレーヤーが上位に進出し始めている。彼らはジョコヴィッチやマレーとは10歳ほどの年齢的な違いがあるから、いずれ彼らの中から新世代のトッププレーヤーが生まれることは確実である。この若い新世代とビッグフォーの旧世代とに挟まれた錦織世代が頂点に立てる時間は非常に限られている。ここ1~2年が世界の頂点に立てるかどうかの時間だ。手負いのナダルに勝利したことを喜んでいる暇はない。まして、「東京五輪の弾みになる」という脳天気に構えている時間などない。

 リオ五輪ではマレーに惨敗した錦織だが、本年初頭のデ杯対英国戦では、マレーと5時間近い接戦を繰り広げている。この時のプレーはYoutubeに30分ほどのダイジェスト版で見ることできるが、今年の最高ゲームの一つに評価されるほど、息詰まる熱戦だった。敵地で、しかも球速が早い室内コートでの試合である。敵地でも物怖じしない勝負度胸と速いサーフェイスでの適応能力を見せてくれたゲームである。このような戦いがコンスタントにできれば、念願のマスターズ1000だけでなく、グランドスラム大会での優勝が見えてくる。そのためには、もう1ランク、フィジカルな強さを上げる必要がある。

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