北のアジアを向く東チモール
東チモールにとって来年2012年は5年に1度の国政選挙の年である。はじめに大統領選挙、次に国会議員選挙(一院制)が行われる。二つの選挙がつつがなく終わり、平和と安定が東チモールに根付くことをわたしは願う。
2006年に勃発した「東チモール危機」によって大混乱に陥ったなかで行われた前回2007年の選挙は、暴力が止むことを国民がひたすら願う選挙であった。「危機」を防ぐことができなかった当時の与党フレテリンはこの選挙で野党に下野し、反フレテリン勢力で構成される連立政権を率いるシャナナ=グズマンが首相となった。シャナナ連立政権は「危機」からの秩序回復に成功し、「紛争よさらば、ようこそ発展」と高らかに謳いあげた。もはや国連の軍も警察も、オーストラリアの軍隊も、お役御免、ご苦労様、来年で独立10週年の節目を迎える東チモール民主共和国は自分の足で立つのだと指導者は意欲を示している。
国政選挙の前年に起こった2006年の「危機」とは、国際社会のいうことをきかないマリ=アルカテリ首相率いるフレテリン政権の退陣を狙ったものだといわれ、チモール海の天然資源が背景にあるといわれる。シャナン=グズマン首相は、フレテリンによって2006年の「危機」の首謀者だと非難される一方で、まるでマリ=アルカテリ元首相の怨念を晴さんとばかりに「危機」外部陰謀説を示唆している。それは国政選挙を来年にひかえる今、「危機」再発は許さないぞという決意の表れのように見え、それはまた、シャナナ=グズマンとマリ=アルカテリはなんだかんだいっても1970年代に解放闘争を開始した同志の絆で結ばれているようにも見える。
かつての解放軍最高司令官として今も国民的支持を得るシャナナ=グズマンとしては、人気絶不調だったマリ=アリカテリ元首相のように内向きにはならず、情報あるいは感情さえをもなるべく外に出すことにより、いまここで治安を脅かす何かが起こったらそれは外部要因のせいだと国民に理解できる環境をつくることこそが、「危機」再発防止策だと考えているのかもしれない。ともかく最近のシャナナ=グズマンは自己表現をするようになった。
それができるのは、中国の支援のおかげであろう。注文の多いオーストラリアをはじめとする従来の欧米支援に依存せずとも、中国は注文の少ない支援をしてくれる。もちろん、東チモール国内で圧倒する中国の存在は新たな問題を生じているが……。そして韓国だ。韓国は要所をしめる支援をしている。無償提供される予定の巡視艇二隻(あるいは三隻か*)、東チモール人労働力の国内受け入れ、そして東チモール・サッカー界への支援だ。子どもたちのサッカーチームや東チモール代表チームを韓国が鍛えている。(*)前回「東チモールVSオーストラリア、その3 苦慮するオーストラリア」で「三隻(あるいは4隻か)と書いたが、「二隻(あるいは三隻か)」の間違い。
東チモール政府とオーストラリアのウッドサイド社によるガス田開発交渉が決裂する可能性が出てくると、さらに新しい東チモール支援国が登場するかもしれない。
そして東チモールはアセアン加盟を強く希望している。加盟はすぐには無理だとしても、シャナナ首相とインドネシアのユドヨノ大統領との良好な関係が続くとなれば、そう遠くない時期に機が熟してくるかもしれない。いま東チモールの視線は南のオーストラリアではなく、北のアジア諸国に注がれているのだ。
こうした状況のなかオーストラリア前首相のケビン=ラッド外相が、7月9日、東チモールを訪問した。5月、シャナナ首相と会えなかったスミス防衛相はわずか6時間の東チモール滞在だったが、東チモール事情に精通するラッド外相は2泊3日とたっぷりと時間をとり東チモール重視の姿勢を見せたのである。ラッド外相は東チモール訪問の3日前、オーストラリア海外援助の見直しを受け入れた。インド・中国よりもインドネシア・パプアニューギニアそして東チモールなどのアジア太平洋諸国に重点をおいた。多額の援助金は一体どこに使われたかのか? 貧困は逆に増しているではなか! 東チモールだけでなく、おそらくオーストラリア国内でも同様だろう、批判が強まってきたオーストラリアによる海外援助の見直しに向き合うラッド外相を東チモール政府は歓迎した。首相を退いたとはいえケビン=ラッドは東チモールとオーストラリアの外交の鍵を握る人物といってよかろう。
国連代表不在の独立記念日
去年は大統領府広場で催された「5月20日」の独立記念式典は、今年は政府庁舎広場で行われた。去年から大雨の被害を東チモールにもたらしてきたラ・ニーニャ現象は終息し、今年の5月は普通の乾季の始まりを迎えた。独立9年目を迎えたこの日の午前は、野外行事にうってつけの気持ちの良い“五月晴れ”であった。
独立記念式典を仕切るのは大統領である。首相や閣僚、各界の要人や国賓はひな壇に座っている。シャナナ=グズマン首相でさえも出番はなく、横に座るオーストラリア人のグズマン夫人と私語を交わすでもなく、暇そうに座っているだけだ。そのひな壇を見て、オヤッ、と思ったのはわたしだけではあるまい。UNMIT(国連東チモール統合派遣団)の代表・アメエラ=ハク国連事務総長特別代行がいない。フィン=レスケ=ニールセン副代表の姿もない。国連機関の関係者はもちろん来賓席にいるが、独立記念日に国連を代表する人間がひな壇に座らないのは珍しい。実はこの時点でシャナナ首相とUNMITの間に緊張が漂っていたのである。
ことの成り行きはこうだ。週刊新聞『テンポ=セマナル』は5月15日、UNMITの内部資料を暴露した。そのなかにシャナナ首相を批判した記述があり、それに反発したシャナナ首相は独立記念行事の講演で痛烈に国連や国際社会を皮肉った。そしたら国連の代表が独立記念式典に無断欠席したというわけである。
日刊『インデペンデンテ』紙(2011年5月23日)の第一面に「UNMIT指導者、5月20日の式典に出席せず」というタイトル記事を載せ、そのなかで政府関係者はUNMITに招待状を送ったのになぜ欠席したのかわからないといい、シャナナ首相とUNMITとの間に対立があるとは思えないとも語る。しかし別の政府関係者は、UNMIT代表はシャナナ首相によるUNMIT報告にたいする発言に不満を抱いたから欠席したのだという。この記事によればUNMITのハク代表もニールセン副代表もこの日は東チモールにいなかったのだという。だが、招待を受けていながら無断欠席をするということは、この国連機関の代表はシャナナ首相に立腹したと考えてもよさそうである。
「シャナナは東チモールの民主主義の障害、UNMITが認識」
ではまず暴露されたUNMIT内部資料の内容をごく簡単に見てみよう(tempo semanal, exklusif, 15 May 2011から検索できる)。『東チモールにおける持続可能な民主的統治』と題名がついたこの資料は、表紙を入れてわずか9ページ、今年の1月24日に国連職員向けの説明会のような場で使用されたらしい。
まず初めに「2012年以降、予期される欠陥」として8分野(立憲制・地方行政・公務員改革・汚職対策・選挙支援・市民生活支援・メディア・民主的統治の文化、)における懸念がまとめられている。つまり国連が撤退したあと、各分野にはこんな心配がありますよというわけだ。そして各分野は、批評的作業、2012年終わりの状態、予期される欠陥、継続計画、監視機構などの項目に分けられ、こんな作業がされた、あるいはされるべきだ、2012年末にはこんな状態になっているだろう、あるいはなるべきだ、それにはこんな心配が予期される、したがってこんな計画を継続すべきであり、状態を監視するこんな仕組みが必要だと、箇条書きが並べられている(このうち「メディア」と「民主的統治の文化」はインターネットでは尻切れていて読めない)。面白くもおかしくもない、官僚的な机上の論理の、どの国でも当てはまりそうな一般的で陳腐な国家批判である。“だから国連機関が東チモールに必要である”といわんばかりの安っぽいセールス・プレゼンテーションだ。
では何が問題なのだろう。もっぱら新聞に取りざたされる表現は一箇所、「立憲制」の「予期される欠陥」のこの記述である。
「行政とくに首相は、国会と司法を犠牲にしてさらなる権力を追求している(国庫会計監査局は特定の政治的な敵意を引き起こすだろう)。このことは、2012年末までに他の二本柱の有効な役割を低下させてしまうかもしれないし、行政の責任と法の支配を首相の支配によってかなり低減させてしまうかもしれない。これは、2011年度の予算構造と、マテヌス(正しくはマテルヌス―青山)=ベレの釈放、国庫会計監査局による第一回目の意見書にたいする首相の敵意ある反応(2010年12月14日)、そして石油基金からの憲法に反する引き出しにかんして判定していた2008年の控訴裁判所(最高裁判所に相当―青山)にたいする行政の軽視に見てとれる」
要するに、行政(内閣とくにシャナナ首相)は、三権分立の立法と司法をないがしろにしているという批判だ。詳しい解説はここでは省略させていただくが、予算や石油基金にかんしては新聞や野党フレテリンがUNMITより厳しく政府を批判しているし、1999年の虐殺事件に関与した民兵のマテルヌス=ベレの超法規的な釈放にかんしてはインドネシアとの友好関係を重視した政府と大統領は大きな非難を浴びた。
UNMITによる批判は痛いところを突いたわけもない。こんな資料に目くじらを立てることもなかろうに。おそらくシャナナ首相は、「とくに首相が……さらなる権力を追求している」というくだりに、独裁者的なイメージを自分に植え付けようとするUNMIT側の意図を読み取ったのではないか。加えて、オーストラリア軍駐留の延期を勧める報告がオーストラリア側から出るという動きと考え合わせると、そう簡単に東チモールに自律した国家運営をさせてはなるものかという国際社会の意図も感じたからではないだろうか(いや、水面下で実際はその意図とシャナナは戦っているのかもしれない)。
UNMITはこの資料は個人的なもので公式なものではないと弁明するが、独立記念日特集号の『テンポ=セマナル』は「シャナナは東チモールの民主主義の障害、UNMITが認識」とタイトルをつけた。暴露された資料のなかに「シャナナは東チモールの民主主義の障害」という記述を見つけることはできないが、そう解釈できる表現をUNMITは他でもしていると同新聞のジョゼ=ベロ主宰はいう。これ以降「シャナナを東チモールの民主主義の障害とみなすUNMITの報告」という表現が定着し、そのような報告を受け入れることはできないという意見が多数登場することになる。こんなときに対立する両者を仲介するのがラモス=オルタ大統領であるが、「このような報告を書く人間は愚か者」(独立記念日特集号の『テンポ=セマナル』)と語って首相側に立った。なお、この資料はUNMITの内部告発によって得られたのだとジョゼ=ベロがわたしにいう。「内部告発」という表現が適切だと仮定すれば、シャナナ首相のイメージ低下という悪意あるいは陰謀を国連職員によって暴かれたとも解釈されよう。
矛先を向けられた国連
毎年、独立記念日(「独立回復の日」と呼ばれる)が近づくと、首都デリ(ディリ、Dili)では地方物産展示会が開かれるのが慣例となりつつある。物産展示会場に多くの出店が設置され、会場とその周辺はお祭り気分が否が応でも盛り上がる。2008年と2009年の独立記念日では、俗称「ラマ市場」という交差点にある文化センターを会場としてこの展示会が開かれたが、今年はその建物は改修されて「デリ・コンベンションセンター」として生まれかわり、物産展示会ではなく、首相や大統領など政府要人や国連関係者そして大勢の大学生たちが参加する会議集会が開かれた。シャナナ首相はそこでの講演のなかで、暴露されたUNMITの資料に言及し、国連や国際社会をたっぷりと皮肉まじりに批判したのである。
シャナナは「国の建設、国家の建設」と題するこの講演で、国家とは何か? 国とは何か?を語り、国家運営するための国家機関について、政治的メカニズム・社会的メカニズムについて、そして憲法や教育の問題ついて語る。そして「おしまいにわたしは市民権の構築について少し話そうと思う」といい、義務をともなう市民の権利の話をする。おそらく本来ならばこのへんで講演は終わりだったのかもしれない。国よりも大きな組織から給料をもらっている東チモール人市民は自分を独立した人間だと思う、その大きな組織とは例えば国連機関だ……と国連が登場し、国連では透明性と実効性そして予算の使い方に問題がある……と国連に話題を移し、「BBCの報告によれば、国連機関は何十億ドルもの資金を子どもたちの生活水準向上のためにアフガニスタンへもっていくが、金がなくなれば国連機関は去り、子どもたちは以前よりひどい状態に置かれる」と国連批判を始め、「わたしはここでちょっと寄り道をし」と、講演のいわば第二部に入り国際社会にたいする批判を展開するのである。
それではここで、普通の講演部分は割愛させていただき、シャナナ流独特の言い回しによる国際社会への批判の部分を少々長いが紹介したい(知らない固有名詞が出てくると思うが支障はないであろう)。
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わたしはここでちょっと寄り道をし、もう少し話をさせてもらいたい。きのう、わたしはUNMITによるすばらしい書類を読んだからだ。
わたしは、『テンポ=セマナル』紙によってきのう暴露されたこのチモール版“ウィキリークス”あるいは“国連リークス”なるものを読んで満足している。それは今年の1月24日、UNMITが「東チモールにおける民主的統治」という題で職員に示すための資料である。そのなかで、シャナナ=グズマンは東チモールにおける民主主義の発展にたいする大きな障害であるというのだ。
かれらがシャナナ=グズマンについて知らないことを示してくれ、わたしはとてもうれしく思う。そして今、わたしはここにいるみなさんすべてに言う。そしてこの機会を利用させていただき、かれらに知らせたい。それは2009年、わたしがなぜ中国から巡視艇を購入したのかと訊ねたオーストラリアの情報部に説明するようにである。
シャナナ=グズマンは以前、マルクス=レーニン主義者であり、1977年5月20日、ラニネにてフレテリンのイデオロギーとしてマルクス=レーニン主義を主張したフレテリン中央執行委員であった。この決定にかかわってまだ生きている人間は、アベル=ラリシマ、マ=フヌ、そしてフィロメロ=パイシャンである。
1981年3月3日、「闘争再編会議」が開かれたとき、そのときかれにとって選択肢が広がったときであるが、シャナナ=グズマンはフレテリン議長になれたかもしれず、東チモール民主共和国の大統領になれたかもしれないが、かれはそうしたくはなかった。なぜならかれの気持ちを占めていたのは、独立を勝ち獲るための戦略をいかに方向づけるかを学ぶことであったからだ。かれの影響のもと、そのときリスボンにいたアビリオ=デ=アラウジョ氏が(フレテリン海外代表―青山)に選ばれた。
1985年3月、シャナナ=グズマンは闘争にたいする解決計画を示した。それは国連によって1999年にようやく採用された計画である。
1986年、シャナナ=グズマンは1年かけて闘争のためのより良い戦略を研究し、フレテリンから身を引いた。そうすることで他の党を受け入れ、他の党に道を開くことができるからである。海外のフレテリン代表部の友人たちは、山にいるかれに手紙を書き、この戦略には同意できないといい、なかにはかれのことを裏切り者だといった……革命にたいする……今日に至るまで。
UNMITや国連機関は忘れてしまっている。2001年、すでに5月20日の独立回復の日への移行計画が適応されているときのことだが、シャナナ=グズマンがもうUNTAET(国連東チモール暫定統治機構)の手順には参加せず、制憲議会選挙の政治的手順にも参加せず、かれはただ大人しくし、在郷軍人たちを監督しつつ、FALINTIL(東チモール民族解放軍)の除隊にともなって世界銀行から支給される500ドルを受け取るだけであったことを。
東チモール人の専門家と外国人の専門家と一緒に仕事をしているUNMITは、シャナナ=グズマンが立憲制への最大の障害だと考えている。
2008年2月、われわれの主権が外国に譲り渡されないようにシャナナ=グズマンが合同部隊の結成を決断したとき、UNMITの非活動的な活動とISF(国際治安部隊)の非行動的な作戦を止めさせるべく東チモール民主共和国憲法を正確に読まなかった。その決断がなされなかったら、わたしは太鼓判を押すが、われわれは依然として危機的状況にあったかもしれないのだ。
しかしUNMITにとって、その方が都合がよいのかもしれない。もっとここに居られるからだ。そしてわたしはこう言わなくてはならない、あるチモール人はUNMITを擁護し、UNMITに去ってほしくはない。なぜならわれわれの人びとのためにおおいに経済支援をしてくれからで、もしUNMITがいなくなればわれわれの人びとが非常に貧しくなると主張するのだ。しかし次のことがすでに起こった。2000年から2008年にかけて、国際社会はおよそ80億ドルを東チモールで費やしたがわれわれはいかなる物理的な発展を目にしていないし、さらなる貧困が生じているとさえ言える。そしてUNMITが去り貧困が増せば、われわれの責任となる!
UNMITはまた、「2009年国家一般予算」(2011年の間違い?―青山)にたいするわたしの対応は非常に敵対的だったと述べている。つまりそれはわたしが裁判所への敬意に欠けているという意味だ。UNMITが国や国際関係の知識が豊富であることは認める。その知識のおかげでかれらは国会にたいするわたしの返答を正確に研究しなかったのだ。
UNMITの知識では、わたしはポルトガルにおける財政的・経済的な状況に注目していたので(これまでと同様、わたしは暗闇では戦わない)、東チモールの首相であるわたしが、裁判所が参照し頼っているポルトガルの政治家や学者の理論を受け入れなかったことを理解できないのだ。わたしは返答のなかで裁判所が法廷で参照する理論が正しいのならポルトガルは破綻していないであろうと述べた。今日ポルトガルは、1200億ドルの負債を抱え、欧州銀行とIMFへ援助を求めている。もしこれが(シャナナの対応が―青山)UNMITが敵意として格付けするならば、UNMITの“専門家たち”はまことにもって賢明である。
そしてUNMITはマテルヌス=ベレの件に言及した。外国人が抗議しろというから、ある東チモール人は抗議した。サダム=フセインは殺された。みんなが喜ぶ、正義が勝利したと。10年間で国際社会の基準に沿ってイラクは沢山の選挙をおこなった。そしてイラクでは戦争はまだ続き、オバマ大統領は選挙運動で戦争終結を約束した。今日、この件に関しては判断能力は存在しないとわたしは言おう。2006年1月、わたしがワシントンに行き、「戦略研究所」で講演したとき、「ブッシュ大統領は、任期満了までイラクのアメリカ軍の削減または撤退の日程を決めようとしなかった」と述べた。そしてわたしはアメリカ人にお願いした、「サダム=フセインを殺してはならない。イラクにおける和解に利用すべきだ、そうでないとイラク人は殺し合いを続けるであろう」と。そして今日、2011年5月、イラク人は殺し合いを続け、戦争は早期には終結しないであろう。オサマ=ビン=ラデンが死んだ今でもだ。
かれら専門家たちはリビアでの出来事を理解していない。みんな、ムアマ=カダフィに中近東の別の国へ出て行ってもらうべく説得しようと妥協案を探っている、ある者はカダフィに何も答えなくてもよいという約束をつけて。しかしながらこれは不可能だ。われわれがこのことを考えるとき、すべてを受け入れるかもしれない中近東のどの国でも自国の問題を抱えているという大問題が現れる。ホスニ=ムバラクに関連してエジプトからこのような試みが沸き起こってしまった。
すべてが関連しているからだ。ひとつは行動主義である!もうひとつは国益を守らなければならない政治だ。そして国益とは非常に広義にわたる、外交から実践上の分野まで、経済から商業まで、そして安全保障から主権まで。
わたしはまた国連機関に感謝している。わたしの提案はこうだ。UNMITや東チモール人の専門家たちは、イラク・アフガニスタン・パキスタンの状況を改善するために仕事をし、イエメン・シリアそしてリビアの民主主義を支援したらどうだろうか。
UNMITは、国連が東チモールに居続けてのみ、東チモールが改善できると今年1月に示した。
UNMITのための専門家となった東チモール人にわたしは言いたい。君たちは見せびらかす必要はないし、人の金に卑屈になる必要はないのだ。これは病気だ、いわゆる精神的植民地主義、あるいは知的植民地主義だ。ポルトガル語でいうところの精神病だ。われわれの憲法にこうある。われわれの主権を譲渡すべからず、われわれの主権をよその国の人へ売り渡すべからず、と。
UNMITによるわたしにたいする見解に、わたしはうれしく思う。たぶんかれらこそがわたしをUNMITにとって良い人間だと選んでくれたのだ。わたしがすでに国民の利益を譲り渡したと疑う権利は国民にはある。わたしはすでにわれわれの国の主権を譲渡した。したがってわたしはうれしく思う。UNMITの東チモール人も外国人もわたしをよく思っていないからだ。
われわれはある者たちがこの国で偉大な“専門家”になったことを知っているが、おそらく今かれらは、14兆5000億ドルのアメリカ債務の問題と、金融機関や銀行が2009年に世界中に示した巨大な不正行為の問題を解決するためにオバマ大統領と仕事をすべきであろう。
ある者はわれわれの国でマクロ経済と財政の“専門家”になった。かれらは、アイルランドとギリシャそしてポルトガルからの7880億ドルの負債があり、それにたいし欧州銀行とIMFがたった3220億ドルの“保釈金”しか提供できないという大問題を除去しヨーロッパに奉仕するためによく仕込まれていることを知らないでいる。
かれら専門家たちは今日、東チモール民主共和国の身分証明書をもっているが、世界の大国がかれらを必要としていることをかれらは知らない。アメリカやヨーロッパが愛情をこめて守ろうとする基準を正すべく、アメリカとヨーロッパがかれら東チモール人と外国人の専門家たちを必要としているのだ。
世界はまったくもって大きな改革を必要としている。世界の巨大な組織は、内からのゴミを掃除する大胆で明確な改革を必要としている。そうすればかれら専門家たちは他人の庭を掃除するための経験を得ることができる。国連そのものが大改革を必要としている。
2004年、わたしは現大統領である当時のラモス=オルタ外務大臣とドイツを訪問した。ドイツの大統領は東チモールに、国連改革と安全保障理事国の候補になることへの支持を求めてきた。わたしはドイツの大統領にこう言った。「国連改革はたんに安保理の新しい理事国によってはなされません。国連は大金を使う巨大な官僚組織なので真の改革が必要です……われわれみんなが世界中で貧困が増大しつづけていることを見ているのですから」。
国連機関全体の改革が必要だ。かれらは自分たちの間だけで意思の伝達をし、語るだけでめったに実行しないところの基準を守るのだ。豊かな大国は自分のルールを世界に押しつけてはならない。貧しい小国は大国の空虚な言葉を耳にして黙っていられないのである。
この2月、わたしはジャカルタで開催された「防衛国際対話」に出席した。これに出席したヨーロッパやアジアの市民・政治家・軍人たち、そしてアフリカや中近東の国連の代表者たちにわたしはこう強く訴えた。「なぜわれわれは毎年何十億ドルも費やす多くの戦争をやめる方法を探さないのか。戦争が止めば、国際社会は旱魃の場所に、そこはおもにアフリカだが、水を供給する計画を立てることができよう。戦争に費やすお金は何百万の人びとを救うことができ、このことが真の持続性を提供するのだ」と。
海外からの援助にかんする透明性の話題も持ち上がった。もちろん、わたしもこのことを訴えた、国際機関は大金を使う。ある所では、米を配給し、飢えから人びとを救ったという大作の報告書を作成する、それは米の配給を続けるためのさらなる資金を要求するためである。
このことと、われわれの愛すべき国のなかで今や新しい用語として専門家たちに知れ渡る“持続性”とつなげてみる。専門家たちやNGOが資金を募る、何かをするためにやって来る、金がなくなると政府に走ってやって来て援助を求め、援助がないと活動を止めるという。かれらは毎日われわれに“持続性”について説教する。専門家となった東チモール人もわれわれに毎日“持続性”について話すのだ。なぜか。もし声を出さなければ、人はかれらに金を出さないし、かれらは持続性を失うからだ。
みなさん。
このことゆえに、東チモールは今日、合計3億5000万以上の人びとを代表して話すために、あるいは、正確には、世界中で使われる現行システムを正すためにといえようか、17カ国が一堂に会するg7+を主導している。
われわれ東チモール人が必要なことは、理解し、ともに歩み、注意して耳を傾けることである。そうでなければ毎日われわれは東チモールは世界最悪と考えてしまう。われわれが知らなければ、東チモール人の専門家や外国人の専門家が正しいと思ってしまうだろう。かれらはわれわれにこう思い込ませるのだ、つまり世界中の人びとが仕事をもち、みんなが自由で、平和に暮らし、満腹で、警察は人を殴らず、犯罪もなく、刑務所も存在せず、病気がないので病院は閉まり、金持ちが貧しい者に一日三食を与え、政府には東チモールのような問題はないのだと。
われわれは依然としてわれわれには数多くの問題があると理解している。われわれは改善していくのだ。われわれ全員が努力を続けるのだ。わたしはインドネシアの大学でこの3月に講演し、こう話した。「先進諸国には悪しき文化がある。多様な必要性に応えようとする政府の努力を社会が評価しない。よその国々の福祉を強化するだけの努力を人びとは最小限にしたがる」、と。
しかし、国家が驚くのはこのことだけが理由ではない。国家は、一人や二人の個人のとるに足りない意見を評価できないのだ。国家は堅固であらねばならないし、国民のために正しく良い道を行かねばならない。
正しい道とはこういうことだ。戦争時代(解放闘争時代―青山)、われわれは一つの原則をもっていた。「おのれの力を頼れ」、つまり「おのれの能力を頼れ」という意味だ。われわれはまたもうひとつの原則を心に保っていた。「和解による国民の団結」、つまりそれは、平和をつくり平和に暮らしてこそわれわれは団結を築く、という意味だ。
われわれはわれわれが何を望むのかを知っているし、東チモールの国家は国民が何を望むのかを知っているのである。(終)
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大国や国際社会は、黙っていられなくなった東チモールにどのような対応をしていくであろうか。東チモールは無事に来年の選挙を乗り切ることができるだろうか。わたしたちは注視する必要がある。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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