東京ステーションホテル

―平成おうなつれづれ草(8)―

昨年の12月20日。その日は東京駅開業100周年に当たるのだそうで、記念に売り出されたSUICAを求めて人々が殺到し、さばき切れなくなったJR当局が発売を中止するという騒動があった。なるほどテレビに映し出された駅舎ホールは人、人、人の頭で埋めつくされ、立錐の余地もない。SUICAを手にした少年は「嬉しいです。これだけのために福岡から来たんで」とにこにこし、一方には、JRの処置に不満を抑えきれず、カメラとマイクに向かって怒りをぶっつける人々がたくさんいた。禁止?にもかかわらず、深夜から列ができ始め、朝7時には9,000人以上、800メートルの列ができていたのだという。
世の中には「東京駅はとくべつ」、と思う人々がたくさんいる。そのことをこの事件は物語っていた。

そう、私にも、東京駅にはとくべつな思い出がある。といってもそれは、駅舎に組み込まれた旧ステーションホテルでのできごと、とくべつというよりは、信じられないできごとの記憶というべきなのだが。
ときは今から十余年前、2001年の春のことである。そのとき私は広島から那須塩原へ大移動をしようとしていたが、高齢の母を連れているため、途中で一泊することに決め、泊まり先に(旧)東京ステーションホテルを選んだのであった。何よりも便利、それに「一度は泊まってみたいホテル」として呼び声の高いホテルである。楽しみでもあった。

その客室はどことなく厳かで、しかしさびしい感じがした。始めて見るほどの高い天井! そこにとりつけられたたったひとつの照明が、部屋を青白く照らしていた。白い壁、マホガニー調の腰板、色調をおさえたベッドとカーテン。なんだか玉三郎の映画『外科室』(1992年制作、監督:坂東玉三郎、原作:泉鏡花)のようだった。あれは悲恋がテーマのせいか、大学だの病院だのの室内がやけに暗かったっけ。
泊り客は朝食を、同じ駅舎の2階にある喫茶室でとることになっていた。客が7,8組も入れば満席になりそうな、小さな喫茶室である。私と母は小さなテーブルに差し向かいに座り、隣りの同形のテーブルには中年のご夫婦がこれも差し向かいに座った。2つのテーブルはくっついており、間には高さ20センチほどの仕切り板が、申しわけ程度にあるばかりである。母の右隣が男性、私の左隣が妻らしき人である。「信じられないできごと」はそこで起こった。

「お前はそれでも〇〇銀行の〇〇支店長の妻か!」
母の右隣の男性は、正面の妻に向かい、大声でそう言った。ひどい濁声である。赤ら顔の猪首。親戚の結婚式にでも出てきたのであろうか、白ワイシャツに黒の礼服を着ている。
濁声は切れ目なく続き、お前のふるまいは、〇〇銀行の支店長の妻にふさわしくないと言いたてた。どうも、何かの不始末があったというわけではないらしい。ただただ、心得がなっとらんというばかりである。店の構造上、そこにいる全員がののしりを聴くはめになった。妻たる人はうつむいて、一言も発しない。
文句があるなら家に帰って言えばよさそうなものだが、どうもそうではないらしい。田舎の小都市から東京に出てきたら、急に「俺は〇〇銀行の支店長だ!」と叫びたくなった。そうとしか思えないなりゆきである。聞くに堪えないののしりは止まず、そうやってたぶん、10分くらいが過ぎた。

「いい加減にしてください! 失礼だと思いますよ!」
突然、凛とした声が店内に響きわたった。
――私は愕然とした。なんとその声は、私の口から発せられたのであった。

「ね~ぇ」
男性の妻は同意するかのように私に向かってそう言い、立ちあがると店を出て行った。
男性も立ちあがり、私に向かってぺこぺこと頭を下げると、やはり店を出て行った。

私はへなへなとなった。声が、私本人の許しを得ずに勝手に飛び出したのだ。私は他人の声のようにそれを聞き、突然われに返ったのだ。
「あのとき、店中の人がほっとしたと思うよ。」
部屋に戻ると母はそう言ったが、私の心は落ちつかなかった。私の口腔器官が、私の意志とは無関係に動いてしまったのだ。無意識とか、潜在意識とか、そんな概念を生半可に知ってはいたが、これがそれなのか―。
自分で制御しているつもりの自分の外に、もうひとりの自分がいる―そのことに脅えた。

2007年に始まった東京駅舎の復原工事は2012年に完成し、同年10月1日に全面再開業した。また、復原工事に伴って2006年から営業を休止していた駅舎内「東京ステーションギャラリー」も同日に拡大再開業し、翌々日の3日には「東京ステーションホテル」も規模を拡大して再開業した。地下には新規にレストランが開業した(Wikipediaによる)。
その翌々年、つまり2014年に私は、ある人の招きを受けて地下レストランのひとつを訪れた。そこには明るくお洒落な空間が広がっていた。ホテルには行ってみなかったが、きっとそこも、モダンな空間に生まれ変わっていたことだろう。
ふと、あの支店長と奥さんのことを思った。申し訳ないことをしてしまったが、今頃どうしているだろう。私はと言えば、不意に飛び出すかもわからない不埒な自分が体内にいると知らされたまま、生きてきたのだった。
ほかの人はどうなんだろう。ときどきそう思うのである。(2015.2.12)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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