東京五輪で問われるレストランでの喫煙 ー喫煙とプロフェショナリズム ナショナルトレセンの喫煙に見るスポーツ界の意識の低さ(2)-

著者: 盛田常夫 もりたつねお : 在ブダペスト、経済学者
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 ナショナルトレセンでの喫煙で処分されたハンドボール日本代表選手8名が、代表復帰したという。JOCではトレセンでの喫煙問題が討議され、山口香理事が喫煙所廃止の後も、屋外で喫煙スペースが確保されていることに異議を唱えたのにたいし、山下泰裕理事は「仕事のペースが上がる人もいるから、スペースは残した方が良い」と発言したと報道されている。
 日本のスポーツ界における喫煙問題は根が深い。とくに柔道のような封建的上下関係が支配する世界では、アスリートの自己管理という観念が著しく欠如している。山下理事すらこのように発言するのだから、この問題で意見をまとめるのが難しいことがわかる。
 心肺機能を使うスポーツ選手にとって、喫煙は嗜好の問題ではない。自らの体調を整え、競技に向かう基本的な自己管理の問題である。たばこの煙が声帯を痛め、タール分が肺の細胞に付着することによって、酸素摂取量が減退していく。だから、スポーツ選手のみならず、歌手にとっても喫煙は禁忌のはずである。しかし、日本では喫煙の弊害にたいする認識は非常に甘い。

野球選手に喫煙者が多い訳
 野球はスポーツの中でも特異なスポーツで、練習は別として、試合中に球がまったく飛んで来ない守備位置もある。それにたいして、投手には過度な負荷がかかる。しかし、その投手の負荷も、主として腕と肩の筋力や肘にかかる。投球動作も1-2秒と短いので、心肺機能にはほとんど関係しない。打者の場合も同じである。短時間の瞬間的な動作から構成される野球では、心肺機能より、筋力や捕球感覚を鍛えることが中心になる。したがって、野球選手の喫煙が問題にされることはほとんどない。
 だからといって、喫煙が野球選手にとってプラスになることはない。走るという動作が重要な要素である限り、心肺機能の鍛錬が不要なはずはない。第一線で息長く活躍しようと思えば、禁煙で自己管理を徹底しなければならない。自己管理ができない選手はプロ意識に欠けると言われても仕方がない。紙一重の実力差で競っているプロ野球で、喫煙のハンディを自ら背負うほど、馬鹿げたことはない。

喫煙しながらできるゴルフ
 最近はあまり見かけなくなったが、一昔前のゴルフ中継で、青木功氏がアウェイを移動しながらたばこを蒸かし、ショットの前にキャディーにたばこを渡し、打った後にまたたばこを吸い続ける光景が良く映し出された。たばこを吸いながらプレーできるのは、心肺機能を使わないからである。ゴルフはスポーツでなく、一種の遊戯だと考えれば説明がつく。この光景を勘違いして、スポーツ選手はたばこを吸っても問題ないと考えてはならない。
 ゴルフに肺活量や心肺機能はほとんど関係しない。ゴルフのスウィングは高々、10分の1秒単位の動作である。100回スウィングしても、2分の運動に満たないから、そのエネルギー量は高が知れている。お遊びだから、たばこを吸いながらでもできる。吸うか吸わないかは、それこそエチケットの問題にすぎない。
 ゴルフが体に良いというのは、普段歩いていない人が、広いゴルフ場を歩くから、少しは健康に良いという程度のこと。しかし、だらだら歩くのでは体力増強にはならないし、カートに乗って移動すれば僅かに残された運動効果もない。ホールアウトした後のビールは、ただ無駄なカロリーとして体に蓄積されるだけだ。

相撲取りの喫煙
 元大関貴ノ浪の音羽山親方が43歳の若さで急逝した。現役時代から心臓病を抱えていたにもかかわらず、毎日たばこ40本を蒸かし、日本酒を三升も飲み干していたという。音羽山親方の例に留まらず、相撲取りには喫煙者が多い。
場所前の稽古は別として、本場所の勝負は短いもので数秒、長いものでも2分程度の運動だ。短時間の勝負なので、心肺機能よりは、筋力がものをいう。力士は四股で足腰を鍛えているから、短距離走はけっこう速い。しかし、50mを超える距離になると、スピードは急に落ちる。足腰が疲れる前に、息が続かない。距離が伸びるに連れ、体重が負荷となり、心肺機能がダウンする。
 相撲取りにとっても、心肺機能を高めるように禁煙で節制した方が良いに決まっている。しかし、それより、体重を増やし、筋肉を付けることが先決で、心肺機能の強化の優先度は低い。長距離走をやるわけではないから、減量も不要である。
 他方、柔道選手の場合は、5~6分勝負を1日で何試合も行うから、早く息が上がっては勝負にならない。だから、心肺機能を高め、禁煙で節制することが不可欠だが、それを実行できないのが日本の柔道界。山下JOC理事の発言が、この問題を象徴している。
 合宿所での寝起きが義務づけられている競技や上下関係が強い競技の世界では、自己管理とは別の論理や規則でチームが動いている。高校や大学の合宿所における上級生と下級生は天皇と一兵卒のような関係にあり、上級生が酒を飲んだり、たばこを吸ったりするのは、上に立つ者の特権になっている。日本のスポーツにおける合宿所システムや相撲部屋のような上下関係が厳しい世界では、純粋なスポーツの論理ではなく、支配-被支配の人間関係が幅を利かしている。こういう世界で育った人々が指導者になるのだから、指導者にも必然的に喫煙者が多くなる。喫煙の弊害を教え、自己管理の重要性を教えることなどできない。スポーツにおける喫煙容認は、日本のスポーツ界の封建的体質の一つでもある。

このように、日本のスポーツ界は、選手の故障と喫煙にかんして、きわめて意識が低い。さらに、柔道のような伝統的スポーツには軍隊的な指導を是とする風潮が残っており、選手同士の上下関係や、選手と指導者の封建的関係という負の連鎖が再生産される。だから、協会組織と指導部の民主化が必要なのだ。まず協会幹部自らが襟を正し節制し、喫煙がもたらすハンディを自覚し、自己管理を徹底することの重要性を教えなければならない。
日本のスポーツ界の封建制を考えれば、たんにトレセンを禁煙にして終わりではなく、スポーツ選手に喫煙の弊害を教え、選手としての自己管理の重要性を教えることも、トレセンの一つの課題にしなければならない。

歌手の喫煙
 歌手にとって、声帯を守り、肺活量を高めて声量を維持することは最低の自己管理である。もっとも、軽音楽や歌謡曲の歌手の場合には、それほど神経質になる必要はないもしれない。ほとんどの歌手は節回しのテクニックで、声量をカバーできるからだ。しかし、クラッシック音楽の歌手は小手先のテクニックで歌唱力を誤魔化せない。肺活量や声帯は歌手の命だから、喫煙は声楽家にとって禁忌である。
ところが、クラシックの声楽の世界にも、稀にヘヴィースモーカーがいる。ドイツのバリトン歌手だったディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウはテレビインタビューでもたばこを蒸かすヘヴィースモーカーだった。彼もテノール歌手であれば、喫煙は致命的だっただろうが、幸い、バリトン歌手で、しかもドイツリートを得意とする歌手だったから、喫煙の弊害が顕著にならなかった。ドイツリートなどは、ドイツ人にとって演歌のようなものだから、テクニックで十分に勝負できたのだろう。外国人がドイツリートを歌うのとは訳が違う。そこを間違えて、喫煙は歌唱に何の障害もないと考えてはならない。喫煙は確実に肺活量を減退させ、声帯を傷つける。
ハンガリーのソプラノ歌手、シャッシュ・スィルヴィアもヘヴィースモーカーとして知られていた。若くして、国際舞台で活躍したが、華やかな現役生活はそれほど長くなかった。彼女の場合には、喫煙が確実に歌手生命を縮めた。
実は、ハンガリーのプロの合唱団でも、喫煙常習者が少なくない。とくに男性団員の1割以上は喫煙者である。指揮者の小林研一郎氏はたばこの煙を非常に嫌い、合唱団員が加わったレセプションで、会場内の喫煙を叱責することがある。声で勝負し、声で生活する者が、喫煙によって自らの仕事道具を壊すことは許されない。肺活量を必要とする金管楽器の奏者にも喫煙者が少ないとは言えない。プロの音楽家の自覚が足りない。プロの仕事をしようとすれば、禁煙するのが最低限の自己管理である。それができない人に、良い仕事は期待できない。

 EU内のホテルとレストランでは禁煙の措置が取られるようになっているが、この面で日本は遅れている。東京五輪で禁煙措置を取るか否かは検討中のようだが、日本に帰国して気になるのは、小料理屋や食堂が喫煙可になっていることだ。たばこの煙が蔓延すれば、料理の味が消されてしまう。
居酒屋ならいざしらず、味で勝負するレストランは喫煙を許してはならない。幸い、寿司屋の多くが禁煙措置を取っている。煙を吸いながら、寿司ネタを味わうことができないからだ。甘味料の入ったコーラ類を提供しない寿司屋が多いのも、繊細なネタの味を堪能できないからだ。寿司屋でコーラを注文したり喫煙したりする人は繊細な味覚に鈍感だから、寿司や日本食の本当の旨さや良さを堪能できない。外国の客人に和食を嗜(たしな)んでもらおうと思うなら、レストランはまず禁煙にし、日本食を味わう作法から学んでもらわなければならない。そのためにも、ホスト都市が禁煙措置を取ることは、最低限のおもてなしなのだ。
 スポーツ選手のみならず、一般人も喫煙の弊害をもっと意識して、生活習慣を変える必要がある。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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