はじめに
ちきゅう座編集子は、この間、3度に亘って「井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)」のHP記事を転載し、井上明久東北大学前総長の研究不正疑惑内容と、それを追及するフォーラムの活動を紹介してきた。最近では、『週刊金曜日』誌の連載記事の転載をおこなった。今回は、名古屋大学秦誠一教授の内容虚偽の陳述書を紹介する。秦教授は群馬大学工学部出身でオリンパス光学工業(現オリンパス)に入社後、1995年7月から1997年3月まで東北大学金属材料研究所の井上研究室で「非常勤の研究生」としてバルク金属ガラスの応用分野の研究に従事したという。井上氏とフォーラム関係者との名誉毀損裁判で井上氏側から提出された陳述書に唯一外部から加わった研究者である。裁判所に提出した学者研究者の陳述書に虚偽があるというのは驚きだが、今回の転載にあたり、ちきゅう座編集子はフォーラム世話人で事務局担当の大村泉東北大学名誉教授に裁判との関係をはじめ、問題を発見したいきさつ、公開質問を出されているが、その狙いなど、聞いてみた。
井上明久東北大学前総長との名誉棄損裁判
質問(編集子):
フーラム関係者と井上明久東北大学総長との間では20010年6月以後、名誉毀損裁判が係争中と聞いているが、裁判が始まったのはどうしてか?
回答(大村):
お答えします。まず名誉毀損裁判の経緯について述べます。
2009年に井上明久東北大学総長の研究不正疑惑に関する告発書を本HPに掲載したことで、私たち(日野秀逸、大村泉、高橋禮二郎、松井恵)は、井上総長(当時、以下、井上先生と呼ぶ)及び Y氏(東北大学金属材料研究所准教授、当時)から名誉毀損で仙台地方裁判所に訴えられました。仙台地裁と仙台高裁で私たちは敗訴し、現在、最高裁への上告審が審理中です。
この井上先生の研究不正疑惑は2007年の匿名投書に端を発します。東北大学は当時研究担当理事であった庄子哲雄先生を委員長とする匿名投書への対応委員会を組織し、投書を根拠なしとして葬り去りましたが、その処理は余りにも杜撰で恣意的でした。この杜撰な報告書を破棄して徹底した疑惑解明をしないと、東北大学の学術への信頼やその名誉回復はあり得ないのではないのか。こうした立場から、私たちは井上先生らを研究不正で告発しました。
地裁判決では、私たちの研究不正告発の対象論文が、匿名投書が扱った論文と重なっていたこともあり、庄子報告書が随所で肯定的に利用されていました。このようなことから、私たちは高裁の控訴審では、庄子報告書の杜撰さの解明に取り組みました。これには、自分自身の非を認めて共同原告を降りたY氏の協力を得ることができました。その結果、例えば、庄子報告書が、裁判の争点となっていた30mm直径のバルク金属ガラスの再現性が確認されたと称した写真(砲弾型)は、捏造写真であったことも明らかになりました。Y氏によれば、この写真の試料は「文鎮にでも使って下さい」と言って上司の井上先生に渡した金属塊であって、X線回折実験などによって、金属塊がバルク金属ガラスであるか否かさえ、調べていないとのことです。(大村泉「井上明久東北大前総長との名誉毀損裁判」、『日本の科学者』、Vol.50,No10,pp.42-45, 井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)HPの最新情報98,参照)。
Y氏はこのほかにも多数の陳述書を高裁に提出し、庄子委員会報告や私たちの告発を不受理とした東北大学の報告書の問題点を明らかにしました。もし、ちきゅう座編集子氏が閲覧を希望されるなら、いつでも私たちはY氏の陳述書を提供する用意があります。
名大大学院工学研究科教授秦陳述書(甲第16号証)の問題
質問(編集子):
なるほど。では、今回問題にしている秦誠一名古屋大学工学研究科教授の陳述書の問題と名誉毀損裁判との関係は如何?
回答(大村):
仙台高裁では、Y氏や金属ガラスの専門家らから陳述書が多数提出されていて、最近私たちを取材したフリーのジャーナリスト、三宅勝久氏によれば、学術論争で「勝利」したのは私たちであった、とのことです(週刊金曜日、2015年11月20日号)。しかし、実際の判決は高裁でも私たちの敗訴でした。その際、敗訴の主要な理由の1つになったのが、東京工業大学という超有名大学の現役准教授(当時)で、金属ガラス分野の専門家である秦先生の陳述書でした。
秦先生は、陳述書で「私も、添付する論文で発表したように、1996年から1997年ごろアーク溶解吸引鋳造法により、直径約15㎜のZr基バルク金属ガラスを作製し、それをサンプルとして金属ガラスの過冷却液体域での精密成形を行いました。」と述べ、続けて「その経験と自らの実験結果から、専門家として以下の2点を陳述いたします。」(引用終了)と記されています。ここで秦先生が「その経験と自らの実験結果」とおっしゃるとき、念頭にあるのは当然、上記の「私も、添付する論文で発表したように…(途中省略)…精密成形を行いました。」の添付論文の内容を指すのは明らかです。そしてこれに続け、秦先生は
「(1)当時の技術レベルで、確率的であるが、少なくとも直径15㎜レベルのアモルファス単相のZr基バルク金属ガラスは作製可能であること。
(2)再現は極めて困難と推測されるが、確率的に直径30㎜のサンプル作製も不可能とは考えられないこと。」
と述べられたのです。仙台高裁判決は、疑惑論文と同一合金組成の試料を吸引鋳造法により作製したと秦先生が報告する研究論文を添付した陳述書に注目し、そこに記載された、上記の「確率的」や「不可能とは考えられない」という文言をほぼそのまま踏襲して私たちに敗訴を言い渡しました。
ちなみに、今回の秦先生の「回答書」では、この(1)、(2)における「確率的」再現可能性の主張を、陳述書の文脈から完全に切り離して紹介し、恰も秦先生が陳述書(甲第16号証)でこの2点を、先生の研究実績(アーク溶解吸引鋳造法で実験を行い、論文を書いたという先生の研究実績――それが真実存在した業績であるかどうかが問題なのですが)から全く独立して主張したかのように書かれています。この点は、ミスリードを惹起する可能性があります。なお、秦先生のこの「主張」に対する問題点の指摘は、日を改めて行います。
秦陳述書における内容虚偽の箇所
質問(編集子):
そうですか。経緯は分かりましたが、陳述内容に虚偽がある、というのは、具体的には如何?
回答(大村):
秦先生の陳述内容は、添付した研究論文に裏打ちされたもので、説得力があると判断されたと考えられます。上告審に臨むに際し、私たちは金属ガラスの専門家の協力を得て井上先生が裁判所に提出した文書を徹底して再検討致しました。その中で、秦先生の陳述書に内容虚偽の箇所があること、しかも裁判の行方を左右したと考えられる極めて重要な箇所を見出しましたので、秦先生宛に4月10日付で書簡・質問書をお送りして、ご返答をお願いしたのでした。秦先生の陳述書に内容虚偽の箇所があると判断した理由は、以下のとおりです。
秦先生が、陳述内容を補強する資料として添付された「金属ガラスの精密・微細加工に関する研究(Zr基金属ガラスの過冷却液体域における成形性)」と題する論文(秦先生を筆頭著者とし井上先生らを共同執筆者とする共著論文:日本機械学会論文集(C編)65巻633号(1999-5))は、高周波溶解法による銅鋳型鋳造法で金属ガラス試料を作製した論文に関するものであって、秦先生が陳述書で「私も、添付する論文で発表したように、」と強調されている「アーク溶解吸引鋳造法」ではなかったのです。この点がきわめて重要です。
それにも拘わらず、秦先生は「その経験と自らの実験結果から、専門家として以下の2点を陳述いたします。」とされています。しかし、この2つの金属ガラスの作製法は本質的に異なります。この点は学術的も明確です。本フォーラムHPの「最新情報99」で、図解入りで詳しく紹介しているように、アーク溶解吸引鋳造法は、その原理や手法が高周波溶解による銅鋳型鋳造法と全く異なります。従って、高周波溶解による銅鋳型鋳造法による金属ガラス試料の作製経験をもってして、アーク溶解吸引鋳造法による金属ガラス試料の作製経験を語ることは、虚偽説明であり、決して許されないことです。
秦先生がそのような虚偽説明をするとは信じられないので、私たちは秦先生が添付論文を間違えたのではないかと考えました。すなわち、アーク溶解吸引鋳造に関する秦先生の公表論文があるのではないかと思ったので、私たちは秦先生に「アーク溶解吸引鋳造法に関する論文があるのかどうか」を尋ねたのです。しかし、今回、ちきゅう座HPに転載して頂く秦先生の回答書では、この肝腎要の私たちの質問に何一つ答えておられません。
吸引鋳造法(suction casting method)を主題にした論文は、私たちの知る限り3報だけで、いずれも井上先生を筆頭著者とし、1995~1996年に公表されています。このような公表論文数の少なさから推断しても、アーク溶解吸引鋳造法は非常に特殊なバルク金属ガラスの作製法だと思います。
学術論争なら我々の「勝利」だと述べた前記の三宅氏は、同じ記事の別の箇所で、次の(東北大学)工学部元教授の言を紹介しています。地裁、高裁が井上先生側を勝訴にしたのは、「素人の裁判官をうまくだました」。私たちは、秦先生が裁判所をだまそうとして内容虚偽の陳述書を書いたとは考えたくはありません。しかし、上記3報の井上先生を筆頭著者とするアーク溶解吸引鋳造法に関する論文には、秦先生のお名前は共著者として入っていないのです。
公開質問の内容
質問(編集子):
それで公開質問に移った?
回答(大村):
そうです。秦先生のお手許に該当する論文があれば、こうした自己矛盾を抱えた(このことは秦先生自身も認めていますが)陳述書をそのままにしておくことはない、と思います。その場合にはご自身の非を謝罪し、差し替えを裁判所にも申し出られるのではないでしょうか。ところが、秦先生の回答書はこの点が全く曖昧です。わざわざ「添付する論文で発表したように」 という文言は、修正後の二つの 鋳造法いずれでもなく、最後の「金属ガラス……」「にかかっているとご理解下さい」と、日本語の普通の読み方を全く無視したものになっています。
秦先生は当該の論文があることを否定されていません。そして秦先生は問題の箇所を「添付する論文で発表したように,1996年から1997年ごろ高周波溶解法による銅鋳型鋳造法およびアーク溶解吸引鋳造法により,直径約15 mmのZr基バルク金属ガラスを作製し,……」に修正されました。そこで私は、この部分を日本語の普通の読み方に従って読み、秦先生は「高周波溶解法による銅鋳型鋳造法」だけでなく「アーク溶解吸引鋳造法」によっても「直径約15㎜のZr基バルク金属ガラスを作製」し、そのことを論文にまとめていると書かれています、アーク溶解吸引鋳造法による研究成果を発表した論文を示して下さい、と公開質問したのです。
名古屋大学にも他の国立大学法人と同様役職員の倫理規程があります。そこでは、第2条の第一項で「役職員は,職務上知り得た情報について一部の者に対してのみ有利な取扱いをする等不当な差別的取扱いをしてはならず,常に公正な職務の執行に当たらなければならないこと。」が謳われ、第四項では「役職員は,職務の遂行に当たっては,公共の利益の増進を目指し,全力を挙げてこれに取り組まなければならないこと。」が明記されています。秦先生の内容虚偽の陳述は、両項に抵触するのは明白です。既に提出済みの陳述書が内容虚偽です。この上さらに該当する論文が存在しないのなら、事柄はさらに深刻です。うっかりミスの虚偽陳述ではなく、意図的な虚偽陳述という批判や指弾を免れないでしょう。秦先生には一刻も早く当該の論文をお示し頂きたいと思います。
補足(編集子):
読者の皆さまにご注意いただきたいことは、金属ガラスサンプルを得る実験は、a.金属ガラスの元となるZr基合金(母合金)を作製する ⇒ b.それを用いてZr基合金の金属ガラスを作製作成する、という2つの手順からなることです。a.の手順では高純度の金属元素の原料を所定の組成になるように密度を計りながら調整する。この高純度の金属元素の溶解を酸化や汚染されないように注意して例えば高真空下、あるいはアルゴンガス雰囲気下で加熱し溶製して母合金とする。ポイントは母合金の作製段階で既に一度溶融・凝固させていることです。こうしてa.の手順で得た母合金は当然金属ガラスではありません。ここまではあくまでも準備段階です。つぎにこの母合金を加熱して溶解させて液体にしてから急冷凝固させることで金属ガラスが作製します。
裁判官を含む素人の皆さんは、母合金製造プロセスと金属ガラス製造プロセスを混同しがちです。アーク溶解鋳造法は、アーク溶解のみでaおよび b の手順が達成できるように工夫した実験方法で、井上氏らは特許を取得しています。これに対して、秦教授の添付論文にある実験方法は、母合金を石英管の中で高周波誘導により液体にしてから銅製の鋳型に注入する方法で、ごく一般的なものです。アーク溶解鋳造法とは全く異なる実験方法です。
以下に「井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)」HPから最近の動向を紹介いたします。
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最新情報(100)(2015年12月16日)
名古屋大学大学院教授 秦誠一氏の回答書と、秦氏への公開質問を公表します
名古屋大学大学院工学研究科秦誠一教授は,本フォーラム大村泉世話人の本年4月10日 付け質問(ファイル:2015年4月10日付け、秦教授宛書簡_質問書))に対し,本年11月29日付けの回答書(ファイル:秦教授回答書_15_11_29)を返送した。回答書 の公開を了承するとのことなので,同回答書を本ホームページで公開する。秦教授はこの回答書で,同教授がフォーラム関係者と井上明久東北大学前総長との間 の名誉毀損裁判に関して提出した陳述書に内容虚偽の記述があったことを一部認めた(秦 教授自身の表現では,当該箇所は「不明確」で「誤解を生じさせるような文章であった」。秦教授「回答書」,参照)。しかし,教授は上記4月10日付け同教授宛の質問書の肝腎の質問事項には沈黙している。そこで私たちの質問を 再度,公開質問(ファイル:秦誠一氏宛公開質問_2015年12月16日)として秦教授の回答書と同時に公開する。秦教授には,1週間の期限で回答を要請することにした。今回の質問の内容は,前回と同じで,秦教 授の陳述書に記載の「私[秦教授-引用者]も, 添付する論文で発表したように,1996年 から1997年ごろアーク溶解吸引鋳造法により,直径約15㎜のZr基 バルク金属ガラスを作製し,……」 という一節に対応する学術論文を,秦教授に公表した事実があるのか否かである。
本文内の3つの文書は以下からPDFで入手出来ます。
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最新情報(99)(2015年9月23日)
名誉毀損裁判で提出された秦誠一氏(名古屋大教授)の陳述書を公表します
最新情報(98)で、日本科学者会議編『日本の科学者』Vol.50,No.10(2015年10月号、pp.42-45)に掲載された大村世話人のレポート「井上明久東北大前総長との名誉毀損裁判―最高裁は学術の常識に従って判断することを期待する」が、pdf版で公表されています。
このレポートで大村世話人は、仙台地裁、仙台高裁は、いずれもこの名誉毀損裁判で井上氏を勝訴とする際、秦誠一氏(当時東工大准教授:現名大教授)が提出した陳述書を主要な論拠の1つにしたこと、しかしながら、この陳述書には看過しがたい虚偽部分があることを述べています。すなわち判決理由の前提になっている秦氏の陳述書は、自らが井上氏の論文と同じ実験法を用いて金属ガラス試料の作製を行った経験に基づく形で主張が展開されていますが、その根拠となる添付論文は秦氏の主張と矛盾が認められると指摘されていました。同誌の読者から、この秦氏の陳述内容の詳細を明らかにされたい、という要望がありましたので、コメントを付して問題の陳述書全文を公表します。なお、大村氏らは、秦氏に本年4月10日付けでこの虚偽部分に関する問い合わせをされていますが、本日時点でも秦氏からの回答はない、とのことです。
フォーラムコメント:秦氏陳述書の根本問題.pdf
コメント図解:コメント図解(別紙1-1,2;2-1,2).pdf
秦氏陳述書:秦氏陳述書.pdf
初出:「井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)」より許可を得て転載:https://sites.google.com/site/httpwwwforumtohoku/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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