沖縄の現実に向き合うこと

ここのところ沖縄米軍機のトラブルが絶えない。東京新聞1月9日付の記事と「沖縄タイムス+ニュース」などを参考にしながら、沖縄における最近の米軍機事故のあとをたどってみる。

2013年5月 28日、沖縄県国頭村沖に米軍嘉手納基地のF15戦闘機が墜落。30日、31日に
      は同型機が連続して緊急着陸(米軍は緊急着陸ではなく予防着陸であるとし
      た)。エンジン・トラブルとみられる。原因が明らかにならないまま訓練を再
      開した米軍に対し、沖縄市、嘉手納町、北谷(ちゃたん)町の各市町議会は
      同31日、相次いで抗議決議と意見書を可決。県議員団は6月6日、嘉手納基
      地第18航空団司令部と沖縄防衛局を訪れ、事故原因の徹底究明や原因が
      分かるまで飛行を中止するよう求めた。要請議員団によると、同司令部は
      事故原因の調査結果が30~90日でまとまるとの見通しを示した上で、「ちゃ
      んと公表できる分はやる」と説明したという。議員団はその後沖縄防衛局と
      外務省沖縄事務所にも同様に要請した。
   8月 5日、キャンプ・ハンセン(宜野座村など)でHH60救難ヘリ2機がキャンプ
      ・ハンセン内の山火事の消火活動中に墜落。乗員4人のうち3人が脱出、1人
      が死亡。
15年 8月 12日、うるま市沖で陸軍ヘリH60が米艦船の甲板に墜落。同乗の陸上自衛隊
      員2人を含む7人負傷。25日、県議会の代表が沖縄防衛局を訪れ、原因究明や
      再発防止などを求めた。県議員団はアメリカ総領事館などにも要請を行った。
16年12月 13日、名護市沖で輸送機オスプレイが夜間の空中給油訓練中に不時着し大破、
      2人負傷。同じ日に別の機体が米軍普天間飛行場(宜野湾市)で胴体着陸。稲
      田朋美防衛相は14日未明、マルチネス在日米軍司令官に対し原因究明や安全
      が確認されるまでの飛行停止について、電話で申し入れを行った。米政府は
      「困難な気象条件下でのパイロットの操縦ミスが原因」という最終報告書をま
      とめた。22日、この事故に抗議する大規模な緊急集会が名護市の屋内運動場
      で開かれ約4200人が参加。主催は翁長知事を支える「オール沖縄」。しか
      し、日本政府は6日後の米軍の飛行を容認。
17年 1月 20日、うるま市の伊計(いけい)島の農道にHI攻撃ヘリ不時着。米軍側は
      「警告灯が点灯したために予防着陸をした」と説明。現場は島南部の住宅街に
      近く、最も近い住宅までは約130メートル、農道までは約60メートルの距離
      だった。
    6月 6日、伊江村の米軍伊江島補助飛行場にオスプレイ緊急着陸。米軍は操縦席の
      警告灯が点灯したため「予防着陸」したと説明。米軍の乗員4人や地元住民に
      けがはなかった。県は沖縄防衛局と在沖米海兵隊に口頭で抗議し、原因究明
      までのオスプレイの飛行中止、再発防止策と安全管理の徹底を求めた。小野寺
      五典防衛相は30日、記者団に「しっかりとした安全の確保をした上で、飛行
      していただきたい」と述べた。なお、同型機は8月28日には岩国基地で白煙を
      上げて離陸不能に陥り、翌29日には大分空港でも緊急着陸し、エンジン付近
      から炎が上がったのが確認されている。
   10月 11日、東村の牧草地で普天間飛行場のCH53E大型輸送ヘリ不時着、炎上、
      大破。消防や米軍が消火に当たった。住民や乗組員にけがはなかった。同型
      のヘリは2004年8月に米軍普天間飛行場近くの沖縄国際大学に墜落する事故
      を起こしている。米海兵隊は「飛行中に火災が発生し、緊急着陸した」と発
      表。翁長知事は那覇市内で「昨年のオスプレイが大破した事故から1年も経
      たないうちに、再び県内で事故を起こしたことに強い憤りを感じる。基地があ
      るゆえの事故。事故原因の徹底的な究明と早急な公表、原因が究明される
      までの同型機の飛行中止を強く要請する」と記者団に語った。事故現場を訪
      れた東村の伊集盛久(いじゅせいきゅう)村長は「起きてはいけない事態。
      遺憾だ。関係機関に強く抗議したい」と話した。
 12月 7日、普天間飛行場近くの保育園で米軍ヘリ部品と同一の落下物見つかる。
      この報道に対し、幼稚園に「自作自演だろ」という電話があった。12日には
      東京MXテレビのネット番組「真相深入り!虎ノ門ニュース」に出演した作家
      百田尚樹氏が、米軍ヘリの部品が屋根に落下したとみられる緑が丘保育園
      の事故について「調べていくと全部うそだった」「誰かがどっかから取り出し
      てきて屋根の上に置いた可能性が高い」と述べた。同園には「でっちあげて、
      よくそんな暇あるな」などと連日、中傷の電話やメールが続いた。
 12月 13日、普天間飛行場に隣接する普天間第二小学校運動場にCH53E大型ヘリ
      の窓落下。米軍はその事実を認めたにもかかわらず、小学校に「やらせだろ」
      「基地のそばに造ったのはあんたたちじゃないか」などの誹謗・中傷の電話が
      相次ぎ、さらに教育委員会に対しては「学校を移転しろ」という電話があり、
      「土地がない」と答えると「住宅地をつぶせ」と返してきた。市教委の担当者
      は「やらせなどとんでもない話。移転や学校ができた経緯についても、事実
      関係をちゃんと調べてほしい。学校職員の精神的負担になっている」と話し
      た。 小学校と教育委員会に対する中傷は22日までに31件に及んだ。
18年 1月 6日、伊計島の砂浜にUHIヘリ不時着。河野外務大臣は、訪問先のモルディブ
      で記者団に対し、「被害の情報は入ってきていないが、さまざま情報の収集を
      しているところだ。安全運航は、沖縄県民の安全もそうだし、実際ヘリを飛ば
      してる米軍にとっても大事なことだ。しっかりと安全運航できるように心がけ
      てもらいたいし、申し入れはしていきたい」と述べた。また、沖縄県の謝花知
      事公室長は県庁で記者団に対し、「アメリカ軍の軍用機の整備に対し、県民
      は大きな不信感を持っている。アメリカはもっと真摯に考えるべきだ。連休明
      けに、外務省と沖縄防衛局の担当者を呼んで厳重に抗議する」と述べた。うる
      ま市は11日午前、臨時市議会を開き、普天間飛行場に所属する全機種の飛行
      停止と整備点検など安全管理の徹底を求める抗議決議と意見書の両案を全会
      一致で可決。同日午後に沖縄防衛局を訪れ、意見書を手渡した。このほか、
      全軍用機の住民居住地域上空での飛行の全面禁止、原因の徹底究明と再発防止
      策の実施、在沖米海兵隊の整理・縮小、日米地位協定の抜本的改定を要求し
      た。
   1月 8日、読谷村の廃棄物処分場にAHI攻撃ヘリ不時着。警告灯が点滅したため
      沖縄県は9日、6日に不時着したヘリとともに原因究明まで同型機の飛行中止
      を要請したが、9日にはUHI、AHIと同型機の飛行が確認されている。防
      衛省はマルティネス在日米軍司令官(空軍中将)に、在日米軍が運用する
      すべての航空機の整備、点検の徹底を要請した。翁長知事は県庁で記者会見
      し、「日本国民である沖縄県民がこのように日常的に危険にさらされても何も
      抗議もできない。当事者能力がないということについて恥ずかしさを感じて
      もらいたい」と政府を批判した。また小野寺五典防衛相は9日午前(日本時間
      10日午前)、米ハワイを訪問し、ハリス米太平洋軍司令官とキャンプ・スミ
      スで会談した。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属のヘリコプターが
      同県で相次いで不時着した事態を受け、小野寺氏は「住民の安心のため安全
      な航行をお願いしたい」と述べ、再発防止を徹底するよう求めた。ハリス氏は
      遺憾の意を伝えた。

さらに遡ると、復帰前の1959年に石川市(現うるま市)の宮森小学校に戦闘機が墜落し、児童11人を含む18人が死亡、210人が重軽傷を負った事故があり、2004年には沖縄国際大の本館建物にヘリが接触、墜落し、炎上した事故があった。沖縄県知事公室基地対策課の統計によれば、1972年5月15日の沖縄返還から2016年末までに県内で発生した米軍機関連の事故は709件で、墜落事故は47件である。

上記の度重なる事故に対する沖縄住民の反応は当然のことながら、恐怖・基地に対する反感・基地撤去の要求になり、沖縄県当局としても県民の安全な生活を保障することが中心となる。米軍にしてみれば、事故多発は軍に対する信頼を損なわせるばかりでなく、軍の任務遂行に著しい支障をきたす結果となる。特に傷害・死亡事故となれば、県民の反基地運動に火が付く。上記の事故に対する米軍側の対応をみてもその戸惑いぶりが伺える。特に2016年12月13日の名護市沖におけるオスプレイの不時着・炎上事故に関して、ニコルソン四軍調整官が「住民に被害がなかったのは感謝されるべきだ」と発言したという報道がなされ、一気に米軍批判がたかまった。ただ、調整官の真意が「誰も死ななかったんだからお前ら感謝しろ」というのではなく、「けが人も死亡者もなかったことを神に感謝している」というものだったと私は受け止めたい。さもなければ、ベトナムやイラン・イラクで戦死した何万もの兵士たち、ベトナム戦争のとき基地の町コザで毎晩飲んだくれて死の恐怖を振り切ろうとした兵士たち、キューバ危機の際、核兵器を積んで沖縄から飛び立つことになっていた兵士たち、そして戦争が終わって母国へ帰ってから自殺していった多くの兵士たち、それらの兵士たちの上に立つ軍人としてあまりにも理不尽ではないか。それとも、そう受け止める私が甘すぎるのか。
日本政府の対応はいずれも事務的・形式的にみえる。本気で取り組んでいるとは思えない。それは日米地位協定を含む日米の安全保障関係が主従関係にあり、日本としてはどうすることもできないからであろう。

上記に列挙した事故・事件あるいは基地反対運動に関する報道は日本本土では極めて不十分であるうえに、本土で生活する者にとって遠く離れた小島の「できごと」は生きていく上での課題とはなりにくい。その半面、沖縄の米軍基地問題に関する沖縄県民の反応や現地報道に対して中傷・誹謗する勢力があり、その勢力が広く沖縄問題を解決する上で大きな障害になっている。その勢力は地元マスメディアや基地反対運動を攻撃し、デマを拡散させ、多くの人に誤解や偏見を植え付ける。
その結果、仮に沖縄の人々が米軍基地に関連する問題に一切文句を言わず、地元新聞が潰れ、本土の保守的な新聞にとって代わられたとしたら、私はどういう日本をイメージすればいいのだろうか。私がうっすらと想像できるのは日本がもはや民主主義国家ではなく、ある特定の価値観・イデオロギーのもとに統制された管理的な国家主義国家になっているだろうということである。そして(あえて飛躍を恐れずに言えば)安倍総理大臣はひたすらそういう国家の実現を目指し、着実にそのための手を打ってきたしこれからも打ち続けるであろうということである。
そこでここはひとまず、沖縄の置かれている現実に向き合い、沖縄の人々の声に耳を傾けてほしい。米軍機が自分の庭や学校に墜落した時のことを想像するだけでもいい。日本にはそういう心の豊かさを尊ぶ伝統があるはずだ。(2018.1.11)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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