渥美文夫著『大ロシアへの開発独裁に変質』  (武久出版)を読もう

 渥美さんは第二次ブンドの指導者である。副題は「スターリン主義の歴史」。「ソ連論」研究の成果である。616ページの長大作(¥4,000+税)なので、結論である第13章「大ロシアへの開発独裁」(p567~616)を先に読んだ。

 後発国が急進的な工業化(開発)にあたって独裁制を採ることは特異でもない。歴史的には、工業化のための独裁、すなわち「開発独裁」には、一党独裁型(たとえば中国・ベトナム)もあれば、軍部独裁型(朴正煕時代の韓国等々)、あるいはイスラム圏のように宗教独裁型(たとえばイラン)もある。天皇制強化の下…国有・国営企業を基軸に「殖産興業」「富国強兵」を掲げた明治維新の後発日本は天皇制開発独裁、と表現できなくもない。レーニン死後、ボリシェヴィキ内部から台頭したスターリン理論…その核心的内容は、一党独裁制の行政指令的工業化論である。スターリンは、工業大国ロシアの建国を掲げて労働者、農民にムチをふるった。・・・一党独裁の開発をスターリン専制の開発独裁に煮つめあげた。(p612~613)

 「異議ナシ!」 この結論に基本的に賛成する。第1~12章は、1921年の「NEP(新経済政策)」~ 39年の共産党第18回大会の歴史的経過である。これはこれから頑張って読む。

①スターリン主義は官僚制国家資本主義 20世紀の後発資本主義 開発独裁と双生児

 かってのソ連や現在の中国・ベトナム・朝鮮などは、官僚が、国家所有の生産手段を独占的に管理して労働者階級を搾取し、階級化している(蓄積と拡大再生産の管理を官僚が独占し労働者階級はそこから排除)。官僚制国家資本主義である。それがスターリン主義である。

 後発資本主義は国家の強権を必要とする。19世紀のドイツと日本は専制君主制(絶対主義のボナパルティズムへの転化)であった。20世紀の典型が、共産党一党独裁の官僚制国家資本主義と韓国・台湾式の開発独裁の国家資本主義、この2つである。とりわけ後者は、ASEANとインド、アジアから中東とアフリカに拡大している。「グローバル・サウス」。

 もともと、「資本は頭から爪先まで毛穴という毛穴から血と汚物をしたたらせながら生まれてくる」(マルクス『資本論』)。資本主義は、「本源的蓄積」で、農民を収奪し土地から切り離し無産の労働者に転化して誕生する。ソ連や中国・ベトナム・朝鮮などの「社会主義革命=工業化・国有化と農業集団化」は、実際は「資本の本源的蓄積」になった。

②「反帝反スタ」はスターリン主義を生産関係で批判していない 宙に浮いた観念論

 1970年前後、第二次ブンドは、ソ連も中国も「労働者国家」と規定した。基本は「擁護」であった。「ソ連論」は誤っていた。「反帝反スタ」はソ連を革命の対象とする。中核派に理論でも負けた。第二次ブンドへの「反帝・反スタ」の流入はそう総括せざるをえない。

 「反帝反スタ」は、「スターリン主義=過渡期の歪曲」と規定する。官僚主義の批判だけで、経済的土台=生産関係における官僚制国家資本主義の批判がない。本書は「開発独裁」と規定し、ほぼほぼ「官僚制国家資本主義」規定である。「反帝反スタ」に勝っている。

・・・一国社会主義の建設は、生産手段の国有化のもと、行政的指令によってロシアを西欧に      比肩する工業大国に押し上げようとする開発独裁に変質していく。(p615)

 ただ、本書はトロツキズムの「スターリン主義=一国社会主義」が散見される。それは清算してほしい。スターリン主義の原因は官僚主義である。一国社会主義ではない。しかも一国における社会主義は、プロレタリア階級独裁の経済的土台として必要かつ可能である。

③現下の情勢は迫りくる中ロと米欧日の第三次帝国主義世界戦争の危機 「中国論」が喫緊

 『前進』は「米日の中国侵略戦争」と批判している。しかし、これでは、中国は「反侵略・祖国防衛」になる。つまり中国擁護になる。「反帝反スタ」は中国が資本主義・帝国主義であると認めないから、こうなる。これでは全人民的な反戦闘争は闘えない。

 第二次ブンドは中国文革に共感し支持した。文化大革命は官僚制国家資本主義に反対する社会主義革命であった。しかし、最後は「私心と闘う」など、観念論の主観主義に転落して内部崩壊した(連合赤軍の「共産主義化」)。生産と社会が崩壊した。

 それを官僚主導で再建した(「改革開放」)。官僚制国家資本主義は1989年天安門事件で確立した(ソ連の「大粛清」)。その後、中国は帝国主義化し、後発の超大国として登場し、先発の超大国帝国主義・アメリカの覇権に挑戦している。これが現下の情勢である。

 レーニン『帝国主義論』は、第一次大戦は両方が帝国主義戦争と批判した。全人民的な反戦闘争には、米国だけでなく、中国も帝国主義戦争と批判する「中国論」が喫緊である。

④敗北の連続でもプロレタリア階級は最後の勝利まで闘争 もうひと踏ん張り「中国論」も

 ベトナムも中国に続き変質した(1986年「ドイモイ=刷新」は中国の「改革開放」)。20世紀の革命は全てブルジョア革命に終わり、資本主義化した。「南」の「民族解放・社会主義」が後発資本主義へ転化し、「北」の先発資本主義に対して不均等発展し、グローバリズム、資本主義の世界化と世界の資本主義化が出現している。社会主義革命の客体的条件である。

 文化大革命の総括は革命の主体的条件に不可欠である。官僚主義の廃止は即時にはできない、労働者階級が官僚を統制して管理を学び(「陣地戦」)、やがて官僚に取って代わって自主的大衆的に管理する(「機動戦」)、そういう持久的な階級闘争を組織できなかった、などなど。          渥美さんには次にそういう「中国論」も期待したい…… (おわり)