「読もう」(2025.08.23)では結論の第13章だけにコメントした。「スターリン主義・ソ連=開発独裁」が主旨。それは「官僚制国家資本主義」&「官僚ブルジョア階級の独裁」とほぼほぼ同義、と理解し支持した。今回は(上)(下)に分けて、第1~12章にコメントする。
メインテーマはソ連共産党の第9~18回大会の党内闘争(スターリンが勝利し官僚制国家資本主義へ帰着)の総括である。渥美さんはこう要約している。
レーニン死去以後の党内闘争をスターリンの側からとらえ返せば、まず、永久革命のトロツキーをジノヴ
ィエフ、カーメネフと結託して排除した。トロツキー放逐後は、ブハーリンと一国社会主義派を結成して国
際主義護持のジノヴィエフ、カーメネフを排除した。次いで一国社会主義論内部で、工業化加速論をもって
農工均衡発展論のブハーリンと対決。反対派の人材を一部活用してでも工業化加速に向かう。(p243)
世界革命のトロツキーが一国社会主義のスターリンと闘争したが敗北しソ連が変質した、これが第二次ブンドと新左翼の常識であった。しかし、全くそうではないと分かる。
(1)トロツキーは一国社会主義の前にNEPと労農同盟をめぐる党内闘争で早々に敗退
1921~24年の第10回~13回党大会で、ジノヴィエフ・カーメネフ・スターリンの「三人組」に「労農同盟否定の反レーニン主義…農民の過小評価」(p146)と批判され、敗退した。
NEPは、クロンシュタット叛乱と農民の不満に直面して妥協した経済政策であった。農民の小商品生産と農村の市場経済を容認した。実質は、もともとレーニンが『二つの戦術』で展望していた、「プロレタリアートと農民の革命的民主主義的独裁」であった。
ロシアが直面した革命は民主主義革命であった。レーニンは、それを革命の第一段階とした。「プロレタリアートは…農民大衆を味方に引きつけて民主主義的変革を最後まで遂行」する。農民全体と同盟する「プロレタリアートと農民の革命的民主主義的独裁」(中国革命の「人民民主主義独裁」)。これは飛び越えられない段階であった。
だから、「プロレタリアートは…半プロレタリア大衆を味方に引きつけて社会主義的変革をやり遂げ」る、貧農=半プロレタリアと同盟するプロレタリア階級独裁、つまり社会主義革命は第2段階と展望されていた。「二段階連続革命」。これが真の「永続革命」である。
ところが、世界戦争の危機に迫られ、10月革命でプロレタリア階級独裁まで突進した。だから、内戦勝利後、飛び越えた現実に直面し、「戦時共産主義」からNEPへ退却した。
・トロツキーは「農民に依拠したプロレタリアートの独裁」(『永続革命論』)を主張
「プロレタリアートと農民の革命的民主主義的独裁」のレーニンに反対してきた。しかし、民主主義革命は、封建制に対する社会革命、農地を農民に分配する土地革命であり、農民が革命の主力・原動力である(プロレタリア階級はその農民を指導)。トロツキー「永続革命論」は、この農民の主体性と革命性の否定である。はっきり言えば似非である。
そこを批判された。それはロシア革命では決定的であり、ボルシェヴィキの支持は得られず、早々に敗北し指導性を失った(中国革命でも農民を組織できず無力)。
(2)一国社会主義と闘争したのはジノヴィエフ派 しかし根本問題で闘争できず敗北
その後、今度はボルシェヴィキが分裂する。NEPの市場経済から資本主義が成長し、農民は多数の貧農と少数の富農に階級分化する。そこで、社会主義の農業集団化へ前進する(NEPは再び前進するための戦略的退却)。農民全体と同盟⇒増大する貧農と同盟、労農同盟をこう指導する。これが問われ、これをめぐって分裂する。1925年の第14回党大会における党内闘争を、渥美さんはこう要約している。
…トロツキーの<農民軽視>を批判して結束していた労農同盟派が、農村へのいっそうの 密着を主張するブ
ハーリン、スターリンと、貧農を支持してクラーク・富農を排するジノヴィエフ、カーメネフに分解したので
ある。(p167)
「端緒はネップをめぐる対立」(p149)であった。ブハーリンとスターリンのNEP継続・拡大に対して、ジノヴィエフとカーメネフは「クラーク・富農や農民上層に譲歩するネップ拡大は誤り」(同)と批判し、「貧農中心の階級政策」(p164)を主張した。結局は、農民の階級分化に対応して、富農に反対し貧農に依拠する農業集団化と社会主義革命である。
ところが、ここで一国社会主義論争が勃発した1923年ハンブルグ蜂起が失敗しドイツ革命が敗北し、ロシア革命は孤立した。その中、ブハーリンが「ロシア一国でも農工の有機的な発展を経て社会主義が実現できる」と主張し(p151)、それをジノヴィエフが「レーニン主義からの逸脱」と批判した(p167)。党内闘争が一変した。渥美さんはこう表現する。
このとき、スターリン、ブハーリンの一国社会主義論は、思考を逆転させた。ヨーロッパでの革命がなくて
も…社会主義を建設できる。ロシア人民にはその力がある。ロシア人民は独力で社会主義を建設し…世界史を
けん引する。ロシアの時代が始まる。…社会を突き動かした…一国社会主義論は波及力をもった。…ヨーロッ
パ革命への期待は自国民・ロシア民族の力を信じない他者依存の発想であった。(p155~156)
こうしてブハーリンとスターリンが圧勝し、NEP継続・拡大が正当化された。
・一国社会主義は必要で可能 しかし根本問題はNEPから農業集団化への移行
ロシアでは工業の国有化は進んでいた。労農同盟を貧農との同盟へ転換し、国家をプロレタリア階級独裁へ転化し、農業を集団化する。ジノヴィエフ派の主張は結局はこうなる。これは社会主義の実現ではないのか? このロシアの社会主義がヨーロッパの革命に対する支援ではないのか? ジノヴィエフ派は、なぜそう主張しなかったのか?
なぜわざわざロシア一国の社会主義を批判したのか? 根本は、NEPの継続・拡大かそれとも農業集団化か、ではないのか? それは実は、資本主義かそれとも社会主義か、であった。この根本問題を、一国社会主義論争が吹っ飛ばした。だから、敗北した。
資本主義は「労働と所有の分離」(生産手段を資本家が独占し無産の労働者を搾取)、対して、社会主義は「労働と所有の再結合」(労働者が生産手段を共有し搾取を廃止)である。プロレタリア階級独裁があれば一国で社会主義を実現できる。逆に、一国の社会主義はプロレタリア階級独裁の経済的土台としても、世界革命の根拠地としても必要である。
なお、トロツキーは、「自分を対立の圏外に置くかのように沈黙を続けてきた」(p167)。農民軽視の「永続革命論」では、根本問題である農業集団化は、端から指導できない。
(上)はここで終わる。(下)は以下の予定。
・プロレタリア階級独裁の社会主義国家は複数or多党制 一党独裁ではない
(3) ブハーリン派が官僚制国家資本主義に抵抗したが敗北
「亀の歩み」でも「馬車馬の疾走」でもなく管理が中心問題
(4)「ソ連論」の重要問題はその他に民族自決権・第二次世界大戦などなど (おわり)