(上)は (1)トロツキーは…党内闘争で早々に敗退
(2)一国社会主義と闘争したのはジノヴィエフ派…
・一国社会主義は必要で可能… まで その続き
・一党独裁と党内分派禁止で「合同反対派」を圧殺
1927年の第15回党大会に向けて、スターリン・ブハーリンの主流派に対して、ジノヴィエフ・カーメネフとトロツキーが「合同反対派」を結成した。しかし、あっさり敗北した。
「合同反対派は…工業の集中化、貧農との連帯を強調し、党機関の官僚的変質を厳しく批判した。…一国社会主義論を批判し、ソ連における社会主義建設の勝利はヨーロッパにおける社会主義革命…の勝利と不可分の関係にあると主張した。…官僚、富裕な農民、ネップ・ブルジョアジーに対して労働者階級の利益を防衛する…党内民主主義のために働くと自己規定した。」(p191~192)
工業化は社会主義と一体、革命にかけた労農人民大衆の熱望である。ヨーロッパ革命に頼り、ソ連における社会主義の実現を否定したのでは、官僚主義を批判し党内民主主義を主張しても、支持は得られず敗北する。すでに25年第14回党大会で決着済であった。
だから、主流派は党内分派禁止(1921年第10回党大会決定)を利用し、党内論争を封じた。反対派を党外論争に追い込み(27年革命10周年で街頭行動)、組織規律で処分した。書記局で「一党独裁・分派禁止の一枚岩の党組織建設」(p196)を進めてきたスターリンが主導した。「党内闘争はスターリンの思惑通り新たな段階に移行する…ソヴィエト国家に敵対する活動…反ソ活動と断定し…反対派を反ソ分子として逮捕する…。」(p222)
「合同反対派」は「大会前に崩され」(p231)、ジノヴィエフもトロツキーも政治局員を解任され除名されていた。大会後、ジノヴィエフとカーメネフは屈服しトロツキーと決別を表明し、ジノヴィエフ派約2500人は転向書を提出した。屈服しないトロツキー派は反ソ分子として逮捕・投獄と遠隔地追放、トロツキーは中央アジアのアルマアタへ追放された。
・プロレタリア階級独裁の社会主義国家は複数or多党制 一党独裁ではない
「ジノヴィエフはもちろんのこと、トロツキーにおいても党内分派問題を労農大衆の自己権力であるソヴィエトと革命諸党の在り方に深く立ちかえって検討する志向がなく、分派禁止令に至るすべてを承認したのであった。反対派の組織的苦悶は苦悶するレーニン組織論の姿というべきであろう。」(p200)
党組織論の前に国家論であろう。NEPは、実質「プロレタリアートと農民の革命的民主主義的独裁」である。一党独裁ではなく、逆にプロレタリア階級を代表するボルシェヴィキ党の指導の下に、農民を代表する党などが参加するのが原則ではないか(中国の人民民主主義独裁は共産党の指導の下に多くの民主党派が参加)。
内戦には勝利した。その後は、ソヴィエト権力支持を条件に、エス・エルやメンシェヴィキなどを排除するボルシェヴィキの一党独裁を解除するべきではなかったのか。
また、プロレタリア階級の階級的利益は唯一絶対的に存在するが、それに対する認識は相対的である。社会主義革命のプロレタリア階級独裁も、一党独裁ではなく、逆にプロレタリア階級の党を自認する複数or多数の党の共闘と連合になる。
「三人組」とトロツキーの労農同盟とNEPをめぐる対立、スターリン・ブハーリンとジノヴィエフ・トロツキーの一国社会主義をめぐる対立、これはソヴィエト権力を複数or多党制とし、その内部における党派間の闘争にするべきだったのではないか。
(3)ブハーリン派は民主主義的反対派 官僚制国家資本主義に抵抗したが敗北
「しかし…一国社会主義論は、その建設テンポをめぐって分裂した。官僚の多数は当初、穏健なブハーリンになびいたが、急進的工業化で一国社会主義建設の早期達成を説くスターリンの方が青年党員やコムソモール構成員を掌握し、ロシア・ナショナリズムに鼓舞された彼らの行動力は官僚をも席巻し、彼らを追従させるまでにいたり…ブハーリンの均衡的発展論よりもスターリンの工業化優先論が党内を掌握したのであった。」(p400)
契機は1928年の「非常措置」。農民を収奪する安価な穀物で労働者の賃金を抑え、搾取を強めて工業化する。農民が反抗し穀物を退蔵する。穀物を強制調達する。これを工業化優先のスターリン派が主導し、農工均衡発展のブハーリン派と対立した。農民全体との同盟であるNEPの「存続にかかわる」(p238)対立となったが、スターリン派が勝利した。
ブハーリン派は、29年11月に「工業化への熱狂のなか…見解の撤回に署名し…自己批判書を発表し…誤りを正式に認め」(p287)、屈服した。スターリンは、30年6月第16回党大会を「全戦線での社会主義の全面的攻勢」(p316)とし、「社会主義への移行」を宣言した。 ・「亀の歩み」と「馬車馬の疾走」ではなく問題は工業を管理・支配する官僚による搾取・収奪
「スターリンの配下に集積した官僚は資本主義(※私的資本主義)への逆転を策動するブルジョア復古官僚ではなく、「一国社会主義(※国家資本主義)」論に染め上げられ…ロシアを偉大な工業大国に仕立て上げるという国家目標への尽力を義務とされる官僚である。工業化促進で西欧を追い越した工業大国ロシアの中で特権享受にありつくこと、これが…一国社会主義(※国家資本主義)官僚の願望である。」(p309)(※は引用者)
「スターリンの社会主義とは産業の国有化」(p378)。実際は官僚制国家資本主義である。NEPでは基幹的な工業は国有化され、官僚が支配した。官僚は、直接的な生産と労働だけでなく、蓄積と再生産・拡大再生産も専制的に管理し、労働者を搾取して階級化する。
スターリン派は工業を基盤とする官僚ブルジョア階級を代表した。急進的工業化(「馬車馬の疾走」)は、工業化を熱望する人民大衆を「社会主義」の名で実は官僚制国家資本主義へ動員した。工業の内部蓄積(労働者の搾取)だけでは不足し、農業分野の蓄積も回した。農民を収奪する「資本主義的原始蓄積」である。1928~32年の第一次五ヶ年計画は、富農絶滅(中農にも拡大)と強制的な農業集団化、「農民との戦争」(p304)」であった。
ブハーリン派は、工業と農業の内部蓄積による均衡発展を主張した(「亀の歩み」)。NEP=市場経済の資本主義化で台頭する富農を代表しても、官僚制国家資本主義に対しては、農民収奪に反対し、民主主義的反対派である(中国の胡耀邦・趙紫陽と同じ立場)。
トロツキー派も民主主義的反対派である。スターリン派の急進的工業化に対して、「国有化=社会主義」論で共通なので、「見解がまとまらず」(p401)、半分が支持に転向した。「労働者国家擁護」と「補足的第二政治革命」は改良主義である。
(中)はここで終わる。(下)は以下の予定。
・社会主義的な原始蓄積と工業化 ・一党独裁は官僚ブルジョア階級の独裁
(4)「ソ連論」の重要問題はその他に民族自決権・第二次世界大戦など (おわり)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14498:251103〕













