新・管見中国(31)
注目された中国共産党の第19回全国代表大会が終わった。10月24日の閉会に続いて、翌25日に開かれた第19期第1回中央委員会総会で、中央政治局、中央軍事委員会、中央紀律検査委員会のメンバーが決まり、習近平総書記体制2期目の5年がスタートした。
この大会を報じた各メディアが申し合わせたように強調したのは“習一強体制固まる”であった。しかし、この言葉にはすでに近未来に待ち受ける不安定が含意されていることに注意しなければならない。
中国が中国共産党の一党支配のもとにあることの是非は、ここの主題ではないが、その一党支配のメカニズムがまたきわめて不安定である。統治の最高責任者を決める手続きが決まっていないのである。
内戦という武力闘争に勝利して権力を掌握した直後には、党のトップの毛沢東が国政の全権を握ったのは自然であるとしても、以後の権力継承についてのルールはいまだにない。その間、権力をめぐって多くの悲劇と政治の混乱が起こった。
ルールがないといっても、形の上では党大会で選出された約200人の中央委員の投票で、25人ほどの中央政治局のメンバーが決まり、その互選で総書記、常務委員が決まることになっている。しかし、その過程は一切明らかにされない。一般党員も国民も結果を知らされるだけである。
―鄧小平方式―
このブラック・ボックスに多少光を当てるようにしたのが、1980年代から90年代にかけて、副首相のポストにいながら全権を掌握して「最高実力者」と言われていた鄧小平であった。彼自身、権力を陰で握りながら、その矛盾を気にしていたのであろう。
多数の死者を出した1989年の天安門事件の後、鄧小平は当時、上海のトップだった江沢民を総書記に抜擢したが、1997年の党大会ではその後継者として若い胡錦涛を政治局常務委員に入れた。そして、2002年に胡は江沢民から総書記を引き継いだ。
胡錦涛もまた2007年の党大会では習近平、李克強の2人を常務委員に入れて、2012年に習近平、李克強体制が誕生した。
かつての林彪、劉少奇の悲劇、あるいは「四人組逮捕」といった混乱なしに、ここ4半世紀、中国の政治が動いてきたのは、「総書記10年、後半のスタート時に後継者候補内定」という鄧小平方式のおかげである、といっていい。
2012年の習近平総書記のスタート時にもこの方式は生きているように見えた。中央政治局員25人のうち、常務委員7人を除いた18人の中に孫政才(重慶市トップ)、胡春華(広東省トップ)という1960年代生まれの若い幹部が登用されていた。17年にこの2人が常務委員になれば、後継候補として広く認知されることになる。
もっともこの配置は総書記に就いた習近平の、というより、辞めてゆく胡錦涛の発意であったろうから、今、思えば、習近平は自らの任期を10年に制限するようなこの人事には当初から反発していたであろうことは想像に難くない。
―トラもハエも、軍、共青団―
さて、その後の習近平の施政を見るに、特筆すべきは経済政策でもなければ外交活動でもなく、「トラもハエも叩く」のかけ声で展開された腐敗摘発である。これまでに末端幹部を含めて153万人という対象の裾野の広さもさることながら、前胡錦涛時代の党中央弁公庁主任の令計画を手始めに、前政治局常務委の周永康、重慶市トップの薄熙来、軍トップの徐才厚、郭伯勇と大トラを次々とお縄にかけていった。これには大衆が快哉を叫ぶ一方で、政権内に「習、恐るべし」という空気を生むことになった。
2015年9月2日、抗日戦勝利70周年記念軍事パレードの式場で、習近平は「30万人の人員削減計画」を明らかにして、大規模な軍の再編に手をつけた。トップ2人を射落とされた軍には抵抗するすべもなく、2年のうちに八路軍以来の伝統の組織は大きく改編され、その過程で軍人事は習の自家薬籠中のものとなったことは間違いない。
習近平はさらに共産党の下部組織でエリート幹部の養成機関である共産主義青年団を批判の標的とした。その体質が「機関化、行政化、貴族化、娯楽化」しているというのである。「かけ声ばかりで、実体がなく、四肢は麻痺している。・・・決まりきった話をするだけで、広汎な青年のリード役どころか、尻尾に成り下がっている」(習『青少年と共青団の仕事について』2017)と悪罵を浴びせたほどである。そして、今年9月には共青団のトップ、秦宜智第1書記を国家質量検験検疫総局副局長という閑職に異動させ、翌月の共産党大会への出席資格も与えなかった。共青団出身でも幹部になれるとは限らないことを実例で示すとともに、同出身の若手政治局員、胡春華(54)に引導を渡したものであったろう。
もう1人の若手政治局員、孫政才(56)はずばり処分された。7月、任地の重慶から北京へ出張し、そこで拘束されて以降、公の場から姿を消した。腐敗で規律検査委が調査中というだけで具体的な罪名は明らかにされていない。後任には習直系の陳敏爾(57)が貴州省のトップから転じている。
こうして第19回党大会は10月18日の開会を迎えたのである。結果として出てきた最高幹部の常務委員7人の顔ぶれを見ると、習近平、李克強以外の新任5人のうち人脈的に100%習派ではないのは汪洋、韓正だが、いずれも習との関係は悪くないし、残りの3人、栗戦書、王滬寧、趙楽際はいずれも習の身内と言っていい。後継候補と目される人物はいない。
さらに18人の政治局員をみると新任15人のうち、かつて習の部下だった者が5人、習の学友が2人もいる。反習近平派と目されるような人間はいない。
江沢民、胡錦涛が従い、自分もそのおかげで今日がある鄧小平方式を、習近平は大きな議論を起こすことなく有耶無耶にすることに成功したのである。世間はそれを「習一強体制の強化」などとこともなく呼んでいることは、習近平にとっては願ってもないことであろう。
では、このまま5年が過ぎた暁にどうなるのか。習がそのまま居座ることを中国社会は認めるのか、それとも・・・。「満つれば欠くるは、世のならい」ではある。
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