猛暑のラマダンに続く抗議デモ、同胞団弾圧への国際的非難

著者: 坂井定雄 さかいさだお : 龍谷大学名誉教授
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―クーデター後のエジプト(2)―

イスラム教徒の聖なるラマダン(断食月)に入った。カイロの郊外都市ナセル・シティでは、7月3日のクーデター(武力による権力奪取)に抗議し、軍が拘束したままのモルシ大統領とムスリム同胞団幹部の釈放を要求する数万人の座り込みが、続いている。座り込みは市内各所でも断続的に行われ、16日には催涙ガスと放水、威嚇発砲で解散させようとする治安警察部隊と3か所で衝突、市民7人が死亡、250人以上が負傷した。その前夜、軍が任した暫定大統領が指名したバブラウイ首相以下の内閣が発足した。
カイロではこの季節、日中の市街地では50度を超える猛暑。イスラム教徒にとっても、ラマダンの断食、とりわけ今年のように真夏に重なるときは非常につらい。座り込みを続けている市民たちは、敬虔なムスリム(イスラム教徒)たちだから、日中は一滴も水を飲まずに、耐え続けているのだ。
前回(7日)、「最良と最悪のシナリオ」について書いたが、軍は各国のクーデターで何回も見たような、悪いシナリオを強行してきた。
権力奪取後、軍は機を逸せず、二つのことに着手した。一番目はムスリム同胞団への弾圧。2番目は、暫定大統領の任命に始まり、暫定内閣の発足から憲法改正、議会選挙、大統領選挙に至る政権移行プログラムだ。本稿ではまず、クーデターだったことを実証した、ムスリム同胞団への弾圧について書き、2番目とその見通しなどについては、次稿以降に連載します。
シーシ軍最高評議会議長以下のエジプト軍は、モルシ大統領の拘束に続き、モルシ政権とムスリム同胞団の主要幹部16人をはじめ全国約650人の幹部を、法的な命令書、令状なしに、一部は「暴力行為を煽った」という理由、一部は理由を示さずに逮捕、拘束した。その一部は拘束場所も不明で、いまだ連絡が取れない。カイロの同胞団本部を閉鎖したのをはじめ、同胞団の事務所を全国各地で閉鎖や破壊した。
権力奪取とほぼ同時に、黒服の軍特殊部隊が同胞団系のテレビ局「ミスル25」を襲い、25人のジャーナリストやスタッフを拘束したのをはじめ、イスラム系のテレビ局のスタッフを拘束して、放送中止にし、内務省は翌日、「暴力を扇動している」として、法で定めた裁判所命令なしに放送中止を命じた。また軍はほぼ同時に、エジプトでも中東全体でも最も視聴者が多いといわれるアラビア語と英語の衛星テレビ局「アルジャジーラ」のカイロ局を襲い、カメラはじめ放送機材を押収、局長と技師長を逮捕、不在だったアラビア語放送部長を「扇動的ニュース」を放送したとして指名手配した。
モルシ政権下の1年間に、テレビ、新聞などマス・メディアも街頭に氾濫しつくした壁書きも、全く自由で、“百家争鳴”。テレビでモルシ大統領や敬虔なイスラム指導者をあくどく茶化したり、攻撃する有名評論家などが、名誉棄損の容疑で警察に一時拘束されたり、映画監督が憲法に反してイスラム教を誹謗した疑いで取り調べられたりしたことはあった程度。一度、自由化したメディアから自由を奪うことはできない、とここでも以前に書いたことがあるが、今回、エジプト軍は実行がむずかしいネット以外の同胞団系のメディアをすべて閉鎖して、クーデターの本質を露呈した。
8日未明には、モルシが拘束されているといわれる大統領警護隊本部前の広い道路に集まったモルシ支持者たちに対して、警備する部隊が銃撃、52人が死亡、多数負傷する事件が発生した。英BBCは「カイロでモルシ支持者たちが撃たれ死亡した」と特報した。
支持者たちと同胞団は軍が一方的に銃撃したと強く抗議。軍はデモ隊が突入しようとして迫ってきたので反撃したと釈明した。しかし現場を撮影してテレビ映像をBBCでみると、警護隊本部前の路上に張り巡らせた鉄条網の後ろに配置した装甲車上にたった兵士たちが、銃を乱射しており、デモ隊側は夜明けの祈りの時間で、鉄条網を突破しようとしている攻撃的な様子は全く見えない。

BBCの記者たちは翌日、カイロ中央死体置き場で、集まった家族や友人たちから丹念に取材。死亡原因、補償要求などを一切問題にせず、“一件落着にする”ことを約束する家族や友人だけを遺体置き場場の中に入れ、遺体の引き取りを許したという「軍によるカバーアップ(もみ消し工作)」を報道した。
このような事実から、「民主的に選挙で選ばれた大統領を拘束し軍が権力を奪ったクーデター」だとして、国連機関、国際人権団体、西欧諸国、米国内から非難が高まった。しかしオバマ政権は終始、「クーデター」と呼ぶことを避け、「対話による平和的、民主的政権移行」を呼びかける一方、エジプト軍が最も恐れた年間15億ドル(うち軍事援助13億ドル)の援助を停止しないこと示唆。15日にはバーンズ国務省副長官をカイロに派遣して、シーシ議長と会談、援助継続を約束した。米国はこれまで、選挙で選ばれた大統領を打倒したクーデターで成立したアジア、アフリカの政権に対して、援助を停止した。オバマ政権は、その前例を議会やメディアから追求されるのを避けるため、何としても「クーデター」とは呼ばなかったのである。
米国歴代政権は、1979年のエジプト・イスラエル平和条約以降、中東政策の支柱としてエジプト繋ぎ止めるため、毎年、イスラエルへの30億ドルとともに、エジプトに15億ドルの援助を供与し続けてきた。民主,共和両党双方に巨額な政治献金を続けている親イスラエル・ロビー団体が、この援助継続を求めている。
ムスリム同胞団のスポークスマンは、この米国の姿勢を「米国は、エジプトで初めて民主的に選ばれた大統領に対するクーデターを支持し軍事援助の継続を是認した」と非難した。(続く)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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