10日程前の『朝日新聞』(10月7日,金曜日,朝刊)には興味深い記事が掲載されていた。それは経団連会長の榊原定征氏による「『憲法は後でいい』経済最優先を提言、放置なら日本消滅」の見出しのもとでの現状認識を公表したものだった。氏は今日の日本経済の危機的状況について以下のような点を指摘していく。まず日本のGDP(国内総生産)は1993年からの20年間で減少を続け、世界シェアにおいても低下したため国際社会における経済的プレゼンスは半減したこと、人口も減退しはじめ、2060年には国を支える生産年齢人口は現在の6割から5割に減る見通しであること、他方で年間の国の社会保障給付は増えつつあり国の予算を上回りつつあること、なかんずく高齢者向けのそれが大幅に増えこれに関連して医療費が増えているため国と地方を合わせた長期債務残高はGDPの2倍を超えつつある。この流れを変えないと、日本はまさに消滅してしまう恐れがある。06年以後の日本の6名の首相達は常にさまざまな成長戦略をかかげてきたが、現実にはGDPは全く増えていない。こういう社会になってしまった。こうした現状を国民も政治家も経済人もはっきりと認識すべきであると論ずる。そして安倍晋三首相の宿願は、第一には憲法改正問題にあると思うが、危機の時代にあっては、経済を最優先すべきであり、それ故「経済界からすると、優先順位は憲法ではなく、経済再生であり、社会保障改革であり構造改革である」ということを強調している。
さて、「財界総理」といわれる立場の人がこれ程の強い危機感を表明されているということに驚きをもたざるをえないというのが、率直な印象である。憲法改正問題云々を除外すれば私も同様の危機感を抱いているためである。とくに日本国は財政面での債務累積によっていつ破綻してもおかしくない状況にある。
一方で今日の経済体制の存続に対して、これは不可能であるとみて危機感を感じ、素早く政策転換を行わねば、国家が消滅してしまうと提言を行う財界人がいる一方で、現在の保守政治家といわれる人たちは何を感じているのだろうか。保守政治家といわれる人達の言説を聞いていると、日本は古代の時代から美しい山村に恵まれ、これによってまた古来から豊富な農産物に恵まれてきたので、そうした美しい日本社会の伝統を維持していかねばならないといった類の古代あるいはそれ以前から続く社会の経済体制と現代の体制との相違(例えば奴隷制社会、とか封建社会と現代の市場経済体制との相違)に全く言及しないで言説を述べる人がいるが、こうした言説は、それであれば現代社会より封建社会の方がよかったのか、という質問に答えられない限り、とり上げるに値いしないと思う。現在の安倍総理は保守政治家であるとはいえ、そうした古い時代の社会に固執しているわけではなく、単に第2次世界大戦以前からの近代社会(資本主義社会)に固執しているのだろうが、とくに3年半前からのアベノミクスの時代に固執する姿勢は根強く、このアベノミクスの経済戦略さえ成功裡に達成されるなら、すなわち首都圏のみならず、地方経済のすみずみにこの戦略がうまく機能し地方、農村の経済が活性化するなら、保守の思想が貫徹したとみられると考えているかに思われる。他方で、最近民進党の代表となった蓮舫氏なども「自分は保守政治家だ」といっているようであるが、それなら日本はこのまま従来型の経済政策を続けていっても、持続可能な経済社会だと思っているのか、という疑問を投げかけたいと思う。
実際には現代の保守政治家でも日本は政策が変わらねばならないと思っている人は多いのではなかろうか。ただその場合、変わらねばならないのは、単に政策だけなのか、あるいは経済体質まで変わらねばならないのかという問題が残る。
たまたま上記に引用した『朝日新聞』に掲載されている論稿に、佐伯啓思氏が書いた「保守とは何か」というそれがある。氏は近代社会の中心として生み出された、自由、平等、民主主義の理念をかかげるアメリカについて論じ、アメリカとの価値観を共有する者を「保守派」だとする。すなわち「さて、それでは日本はどうなのか。われわれは、アメリカとの同盟を重視し価値観を共有する者を「保守派」だという。安倍首相が「保守」なのは、まさしくアメリカとの同盟重視だからだ。するとどうなるか。アメリカと強調して自由や民主主義の世界化を進め、たえざる技術革新によって社会構造を変革することが「保守」ということになる。」と述べる。だが私見はこの見解に賛同できない。安倍首相が保守派なのは、自由や民主主義の価値観というよりは -実質的には- 資本主義体制だからとみているためである。
私は、今日の日本の市民・大衆を保守派とか革新派とかに色わけして区分することは、余り意味がないと思っている。それは冒頭に述べた財界の榊原会長ですら、日本社会を変えなければ日本は消滅するとみている点からもいえることである。ただ問題は、単に日本政府の経済政策変更のみでよいのか。日本の経済体質までも徐々に変えねばならぬのか、との問題は残る。
さて、既述したような経団連の榊原会長による危機感に充ちた日本消滅(=沈没)論においては、日本の経済体制がなぜこのように悲惨な状況に陥ってしまったのか、という根因については究明されていないが、実はその根因について究明することは肝要である。それは第一には、日本人の多数が生活に不安を抱え、消費を抑制しているために消費需要(内需)が拡大せず、これによって商品の過剰生産が発生しているためである。また第2には、商品の販売が容易でないという要因もあるが、資本の生産過程においては、労働生産性を向上させるため、労働者の雇用よりは機械設備の設置の方に力点をおきがちであるために資本の構成(有機的構成)が高度化する傾向があり。これによって一般的利潤率の低下(収益率の低下)が生じがちとなり、資本の過剰現象が発生する傾向があるためである。このようにして今日の日本の経済体制においては、商品の過剰生産と資本の過剰生産という二要因がビルト・インされているのである。かつての帝国主義段階においては、商品と資本の過剰は、レーニンが著書『帝国主義論』において解明したように軍事力に依拠する戦争体制によって解決せねばならなかったのであるが、戦争ができなくなった今日では、平和的手段によって、すなわち海外貿易の拡大と資本取引の拡大によって達成せねばならなくなった。
それ故今日の政治家は保守主義者であろうとも海外に目を向けねばならないのである。過剰な国内商品を海外諸国に買って貰うために政府は商品と資本の輸出に力をいれているのである。安倍首相は就任以来しばしば海外に出張しているが、それというのも一面では日本製品を海外諸国に買って貰うためであり、とくに最近は日本企業が生産した軍需品の輸出が3年前よりも格段に制約が少なくなったので、海外で購入して貰うため活動しているのである。それ許りではない。他面では海外諸国のインフラ整備のためにも同首相は活動してきた。海外後発国において、道路、鉄道、港湾等のインフラの事業を行い経済の活性化を図ろうとするなら、その国のリーダーは、日本政府に資金援助・経済支援を要請すればよい。日本の財政資金の一定額が後発国の政府に供与され(資本輸出)、後発国政府はその資金を使途して日本企業にインフラ整備を行わせ、自国労働者および日本人労働者に仕事を与える。事業が完了すれば後発国政府は自国民から徴収した税金で日本企業に代価を支払うという仕組みである。まさに国際的ケインズ主義とでもいうべき方策である。これに安倍首相も関与してきたのである。この場合、後発国のインフラは整備されるかもしれないが、後発国の労働者は搾取されていることは忘れてはならない。この場合利益を受けるのは、日本と相手国の政治家および日本企業であろう。それ故安倍首相は日本企業の利益のために活動しているといえるであろう。もっとも安倍首相の行っていることは、一面で革新的であるともいえる。その場合、同首相は、政治的感覚においては保守派であろうと、実際に行っていることは革新派たらざるをえない、とも評することができる。
その点は次のことからもいえる、安倍首相が海外に出張するのは、例えば先進12カ国の首脳会談のような国際会議に出席するためでもある。こうした国際会議では、各国の成長率、社会保障政策、失業率、財政赤字問題、CO2排出問題等さまざまな問題がとり上げられるようである。もとよりこれら諸問題についての諸指標について各国に強制されることはない。だがこれら主要問題について首脳等が積極的で前向きな鋭い発言をすれば、革新的態度として注目される可能性はあるであろう。安倍首相の国際感覚のある発言が保守派の発言と捉ええないような色彩をおびることも当然に生じうる。それ程今日の諸問題は複雑なのである。
こうした各国首脳による国際会議が何も強制力をもたない主題について議論しているかぎりにおいては、さしたる問題は生じないだろう。だが何年も何10年も同様のパターンで推移していくことが考えられるだろうか。私は何10年、何百年先かは分からないが、いつかは強制力のある計画がこうした会議に提示される日がくると予想している。そうなれば諸国に計画化をおしつけることになり世界は変わるであろう。
本稿の前半部分で、沈没しかかっている日本を変えねばならないのは、経済政策か、経済体質かと問題を設定しておいたが、私が考えているのは経済体質である。だがこれについて論じるのは学問的にきわめて困難なので、今日はひとまずその点を指摘するにとどめて、筆をおこう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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