男と女、実はくっきりとは分けられない?

―平成おうなつれづれ草(10)―

この夏の終わりは雨が多く、気分の晴れない日が続いた。ふとおもいついて、映画『おくりびと』のDVDを観た。その中にちょっと、不意打ちを喰らうシーンがあった。
おくりびと本木雅弘が若い女性の遺体の最後の清めを行うシーン。全身を覆う布の下を滑らせていた本木の手が、いぶかしげに止まる。彼は目配せでかたわらの師匠、山崎努に交替を乞う。同じ所作を試みた山﨑は、静かにほとけの両親に近づいて言う。「ご遺体の化粧には女化粧と男化粧がありますが、どちらにしますか。」
映画はここで、亡くなった人と両親の間に長い葛藤があったことを明らかにする。儀式の後に母親はある種の平穏を得るのだが、そのくだりはここでは省略しよう。

2週間後、こんどは『新潮45』騒動である。
同誌10月号が9月18日に発売されると、特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」をめぐって社の内外から非難・批判が殺到。21日には新潮社社長の「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」があったとの見解発表があり(朝日デジタル、2018/9/21)、続く25日夜には、同社取締り役会が『新潮45』の休刊を決定するに到った(同、9/27)。
念のためにいうと、「杉田水脈論文」とは、衆議院議員杉田水脈氏が『新潮45』8月号に寄稿した論文のことで、表題は『「LGBT」支援の度が過ぎる』、である。中に「同性カップルは“生産性”がないのだから、そこに税金を投入してよいかは是非がある」との表現があり、この点に特に、多方面からの非難・批判が集中していた。10月号はこれらの非難・批判に反撃を加える意図で編集されたのだが、結果は火に油を注いいだ。

こんなぐあいに、性的少数者の問題は不意に、私の日常に紛れ込んでくる。それが目立つようになったのはこの2,30年のことだろうか。
職場などで「あの人はホモだって」などと囁かれることは昔からあったが、それはどうということはなかった。そういう人がいるんだと思えば済む話であった。テレビに異形の化粧をしたタレントが現れるのを見てヤダナと思うこともあったが、それも見なければ済む話であった。
おや?と思うようになったのは、「当事者は苦しんでいる」という声が聞こえてくるようになってからである。女子の制服を着るか、男子の制服を着るかで苦しむ高校生がいるという話、自分の同性愛指向をカミングアウトするかしないかで苦しむ若者がいるという話、そんな話を新聞などで見かけるようになった。
私は長い間大学教員をしていたので、「となりの学科に“女の子として扱われたがっている男の子”が入学してくるそうだ!」という“ビッグニュース”を聞いたこともある。医療系の学部であるから生体観察の授業もある。実習時のグループ分けなどどうするのだろう。そんな事件がいつか私の学科にも起こるのではないか。他人事ではないという思いが、ひたひたと押し寄せた。

こんなとき一番困るのは、自分の中にモヤモヤが立ち込め、羅針盤を失った気分になってしまうことだ。
ありていに言えば、「男(女)の体を持ちながら自分を男(女)と思えない」とか、「男(女)に生まれながら、異性でなく同性を愛したいと思う」とか、そういうことを思う人間が存在するということが、“腑に落ちない”のである。
それはおそらく、「人間には男と女だけがいる」、「私も父(男)と母(女)から生まれた」という意識が、動かしがたく私の心の中にあるからだと思う。この自然の摂理に逆らう人々は、単に“趣味”の違いから生まれるのか? ならば当事者の中に“苦しい”と訴える人たちがいるのはなぜか?

あるとき、ある事実に気がついて、私の中の“もやもや”は消えた。

私が「分類」ということに興味をもち、それを手がけたのは職業上の動機からである。
私の専攻は「作業療法」であったが、若かりしある日、「ひとは生活の中で、5本の指をどのようにつかうのか」を解明したいと思い立った。それには日常における5本の指の動きとかたちをパターンとしてとらえ、分類してみるのが一番だと考えた。
攻略が容易な「静止のかたち」、それも物を持つ「把握のかたち」から着手した。おおよそ100種の実験物品を定め、7人の被験者にひとつずつ持ってもらい、多方向から写真を撮り、1被験者・1物品ごとの写真セットを作った。そしてこのセットを順次見比べた。手のかたちが似ているものを集めて“山”をつくり、この手続きをくりかえして「よし」と思ったところで止めると、全部で14の“山”ができあがった。個々の“山”に名を与え、特徴を整理すると、14の把握の類型が出揃った。
私はうれしかった。これらの類型は把握という現象のほぼ全域をカバーしており、それを使えば、目の前に現れた手のかたち(把握)をひとことで言い表すことが可能になったからである。
だが気懸かりが残った。それは、最後に少数の、どうしても“山”に入らないものが残ったことである。結局これらは、各類型の中間型(A/B)または合成型(A+B)とみなすことで解決したのだが、分類しきれないものがあったという事実は、決して忘れてはならないこととして心に残った。

その頃テレビで、ある昆虫学者が、「蝶と蛾を決定的に分かつことができる単一の要素は何もありません」と語るのを聞いたことがある。
形態の何かひとつの要素を目印に「これは蝶、これは蛾」と分けて行くと、蝶だと思っていたものがそうではなくなる、ということが起こる。別の要素を使えばまた別の結果が現れる。そういうことだ。
完全区分ができないのは「手のかたち」だけではなかった。どうやら世界はくっきりとは分けられないらしいのだ。

私がさきに「モヤモヤが消えた、羅針盤が戻った」と書いたのは、こうした自分の経験と昆虫学者のコメントを思い出したときのことである。世界(ここでは生物現象)が決定的には分割できないものであるならば、それは「男と女」にもあてはまるのではないか―。

池田清彦というひとの『分類という思想』(新潮社、1992)という本がある。この本自体は、生物の分類がいかに困難な企てであるかを明らかにし、分類学者たちの思想と苦闘の歴史を述べ、「新しい分類学」を提唱するものであるが、ここでは本稿に関わりのある部分だけを参照することにしたい。
池田は、人間社会ではまず自然言語(コトバ)が生まれ、それぞれが一定の概念をまとうようになるが、後に生まれた科学を使って再定義をこころみると、コトバによる区分と事物の様態による区分が一致しないことが頻繁におこるという。そして「男と女」もそれだという。
性染色体の存在が明らかになったときから、私たちは、XXは女、XYは男と教えられてきた。しかし実際にはXXYという性染色体をもつ人が存在するのだという。これは生物学的には、男でも女でもない「間性」である。
のみならず、XXをもちながら外性器が男性化する場合や、反対にXYをもちながら外性器が女性化する場合があるとのことだ。胎児の生殖器が分化する過程で、内性器(卵巣、睾丸)あるいは副腎皮質が生み出すホルモンの代謝異常が起こることなどが、それらの原因であるという。
さらには、女性脳と男性脳への分化という過程が想定されており、これにも性ホルモンが関与していると考えられている。
池田は言う。「そうなると男と女には、少なくとも3つのカテゴリーがあることになる。性染色体の組合せで決まる生物学的セックスとしての性、身体のみてくれ(特に外性器の形態)で決まる社会的な性、性格や心理などで決まるジェンダーとしての性。そして、これら三つの性は互いに独立であることになる」(上掲書、p.35)。
以上をあらためていうなら、既成の「男」「女」の概念に一致しない性属性が、受精や胎児期の分化の過程で生まれるということだ。そしてこれらの過程で生起することがらは、当事者自らが選ぶことのできない運命だということだ。
ここまで知れば、「性的指向は個人の趣味」などとは、もはや言うことができなくなる。

かつて私もそうだったのだが、たぶん今でも多くの人が、人間には「男」と「女」だけがいると信じている。こうした文化の中で、自分がそれとは別の、性的少数者の運命を与えられたと気づいたとき、人は何を思うだろう。
もし自分だったらと考えてみる。すると、かつて新聞で読んだ若者の苦しみを、「あれは本物だったのだ」と思い直すことができるように思う。

8月、国文学研究者ロバート・キャンベル氏は、自身のブログにおいて自分が同性婚をしていることを明らかにし、「ふつうに、『ここにいる』ことが言える社会になってほしい」と訴えた(朝日デジタル、8/16)。杉田論文騒動が進行する中での発言であったろうが、くだんの論文に関しては、「歯牙にかけるにすら値しない」と一蹴したという。いつもは博識と見識、穏やかさが印象的なキャンベル氏の、静かな怒りがビリビリと伝わってくるようだ。
 確かに、杉田論文の「性的少数者は生産性がない(=子供を産まない)から」と言い切る言葉の中には、相手を半端ものと見下す傲慢さと偏狭さがある。

性的少数者をめぐる議論は、人権論や、政治社会力学の観点からなされることが多い。なかには「新潮45」のように、商業主義に利用したと疑われるケースさえある。そして一方には無言の、悲しむ人、戸惑う人たちがいる。
こんなとき、人間の生物としての存在を問うてみることは、考えの原点を問い直すのに役立つのではないか。このことを言いたくて本稿を書いた。―2018.9.27記

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