学問領域でも攻勢をかける中国
中国の「琉球学」が目指すものは?
さて、「環球時報」11月19日の社説は「琉球学」の研究分野について次のように解説している。(以下の引用は原文には手を加えずに読みやすくするために、項目分けを行った。下線は筆者が付したものである)。「琉球学」研究の内容と意義づけに関する部分を抜き出してみる。
○総じて、「琉球学」とは、琉球の地理、政治、文化、および中琉歴史、琉球と東アジアの関係史などについて総合的に研究する学問である。
○その核心的研究は、琉球の歴史、文化、対外交流など複数の次元を中心に展開するべきである。
歴史の分野では、琉球の起源、明清王朝との宗藩関係、日本による併合過程などを含む。
文化分野では、琉球語、衣装、建築、音楽、宗教信仰などが対象。対外交流では、対外経済往来、朝貢貿易、周辺国との相互作用などを網羅する。
○さらに、「琉球学」研究は近現代の「琉球問題」に関する議論と研究において重要な意義を持ち、琉球の地位、社会現状、米軍基地など多くの現実問題の議論には、この学問分野の支えが必要である。
○「琉球学」は「破立結合」の研究である。その「立」は、中琉宗藩関係の歴史的実相を体系的に構築し、東アジア伝統外交体制研究体系を補完・完成させる点にある。その「破」は、日本による一方的な併合史観の片面的叙述を解体する点にある。例えば、日本の特定勢力は「日琉同祖論」を大々的に宣伝し、琉球王国に対する武力併合を認めず、琉球王国が独立国家であった歴史を否定している。さらに、日本政府は琉球に対する差別と同化政策を並行して推進し、琉球が日本に払った犠牲を「制度化」し「正当化」しようとする誤った叙述こそが、日本の琉球同化政策の論理的基盤となっている。
○現在、日米は琉球諸島の「軍事要塞化」を加速させており、こうした動きは現地における新たな「沖縄戦争」危機への深い懸念を強め、住民は自らの故郷が再び日本の「盾」となることを広く憂慮している。「琉球学」の深化研究はより一層現実的な意義を持つ。近年、中国と日本双方で琉球問題に関する重要な研究成果が相次いで発表されている。今後、琉球研究は空間的には東アジアから世界レベルへ、時間的には戦後から現代へと拡大していくことが期待される。
○「琉球学」の学問体系・学術体系・言説体系の協調的発展を体系的に推進することは、調和と共生、開放と包容を特徴とする東アジア地域文化の構築に新たな内包をもたらすだろう。
○「琉球学」が国家レベルの「絶学」学科支援計画に選定されたことは、中国学界が学術的理性をもって東アジアの歴史叙事の再構築に参加していることを意味する。中国の「琉球学」研究はこれまでの断片化・分散化の状態から脱却し、今後の学科発展は体系化・融合化・国際化などの趨勢を示すだろう。
○この研究の意義は学術的領域の拡大に留まらず、地域の平和の持続的維持、歴史的正義の実現、そして複雑な地政学的構造における中国の言説体系構築に関わる。歴史の脈絡を深く掘り下げることで初めて、より包容性と持続可能性を備えた共存の道を未来に見出すことができるのである。
「琉球学」の狙いは何か
「環球時報」社説をここまで読んでくると「琉球学」の目指す方向がおのずと明らかになってくる。それはこれまでの日本に傾き過ぎた歴史観の見直し(具体的には島津侵攻、琉球王国の独立性、「琉球処分」と同化政策、米軍基地問題などなど)である。
これらのうち、たとえば琉球王国が主権国として外国と結んだ条約には「琉米修好条約」「琉仏修好条約」「琉蘭修好条約」の三つとされているが、名桜大学山城智史教授の『琉球をめぐる十九世紀国際関係史―ペリー来航・米琉コンパクト、琉球処分・分島解約交渉―』(2024、インパクト出版社)によれば、それらは条約(Treaty)ではなく、コンパクトとして締結されたのであり、フランスとオランダでは国内で批准が却下されたということである。そうなると、上記にある「琉球が独立国家である」という史観は怪しくなってくる。これはほんの一例であって、中国と琉球と日本、そして東南アジア諸国と世界の間で、一つの史実についてもそれぞれの立場からそれぞれの史観が生まれてくる。これが現実なのである。
もう一つ指摘したいのは「琉球学」研究の意義の一つに「歴史的正義の実現」を挙げていることである。学問に「正義」の名を冠したとき、それはある特定のイデオロギーのプロパガンダか、政治的主張の絶対化に堕してしまう結果になると私は考える。
上記の引用では、「平和」「学術的理性」「共存の道」「調和と共生」「解放と包容を特徴とする東アジア地域文化の構築に新たな内包をもたらすだろう。」などの言葉がみられるが、それらの言葉の背景には「中華思想」が根強く示されているのではあるまいか。
ロシアの「正義」はウクライナの「不義」、ウクライナの「正義」はロシアの「不義」。イスラエルの「正義は」パレスチナの「不義」、パレスチナの「正義」はイスラエルの「不義」なのである。そして戦争は繰り返されることとなる。それがわれわれが毎日目撃している現実なのだ。
高市総理、お前もか
「琉球学」設置が高市総理の「台湾有事」発言と機を一にしていることを考えただけでも、中国側の思惑を推し量ることはそう難しいことではあるまい。中国には「沖縄地位未定論」があるという。ボツダム宣言やサンフランスコ平和条約には沖縄の最終的な主権帰属が明確にされていないため、日本の主権が当然視されるべきではないという解釈である。つまり、「琉球諸島」の帰属問題は未解決だというのである。
高市総理の台湾問題に関する国会答弁は、中国側に大きな敵意を与え、あまりにも不用意な発言だった。しかも高市氏は、非核三原則の「核を持ち込ませず」という項目を見直したいとも言いだした。先に述べた和泉敬氏は国際政治学者であったが、思想的にはどちらかと言えば右派に近かったと思う。和泉氏には沖縄戦で犠牲になった人々に対する深い罪責の念と慰霊の心があった。高市氏にはまったく歴史への配慮がない。
私は歴史学者ではなく、社会活動家でもない。だから、中国における「琉球学」が今後どう展開されていくのかについては言及できない。ただ、中国は軍事力だけでなく、学問の領域でも攻勢に出てくるようになったのは確かである。高市首相の発言を「よくぞ言ってくれた!」と喜ぶ人々に対して、私は危機感を抱かざるを得ない。沖縄で砲弾を逃れて洞窟に身を潜め、山中を逃げまわった経験を持つ私は「国を守るという勇ましい掛け声で国民を再び犠牲にするな」と訴えることが義務だと思っている。
総理の発言にはその国家と国民の命運がかかっている。そのことを十分すぎるほど認識してほしい。戦争というかつての無謀な判断がどれほどの命を奪い、兵士たちを残虐行為へと追い詰め、家庭を破壊し、国家を滅ぼしてきたかを思い知るべきである。
(2025.12.13)
「リベラル21」2025.12.22より許可を得て転載
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-6937.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14579:251223〕














