私たちはいま、戦前なのか、戦中なのか?

著者: 加藤哲郎 かとうてつろう : 一橋大学名誉教授・早稲田大学客員教授
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symbolnonukeかと 2015.2.1   数日前に、ドイツ人の友人から、メールでアメリカの新聞記事が送られてきました。ニューヨーク・タイムズ1月29日の記事で、「U.S. Textbook Skews History, Prime Minister of Japan Says」、つまり日本の安倍首相が、アメリカの歴史教科書の偏向を批判したという長文の記事です。東洋経済オンラインの「The New York Times」にはまだ出ていません。特約があるはずの朝日新聞も報じません。ようやくライブドアーニュースに、「安倍首相、米教科書の慰安婦に関する「誤った」記述を批判、訂正すべきことを積極的に発信する意欲示す―米紙」という短い紹介記事をみつけました。

ーー「ニューヨーク・タイムズは29日、安倍首相が米国の高校で使用されている教科書で、第二次世界大戦中の日本軍と慰安婦に関して誤った記述がされているとして批判したと報じた。安倍首相が29日の衆院予算員会で発言したもので、米出版社マグロウヒルが出版している教科書の慰安婦に関する記述を目にしてがくぜんとしたと述べ、「訂正すべきことは訂正すべきだと発言してこなかった結果、米国でこのような教科書が使われている」と語ったと報じている。安倍首相は、第二次世界大戦における日本に関して誤って捉えられている点を積極的に正していく姿勢を示したと伝えている。問題となっている教科書の中では、第二次世界大戦中に、日本軍が約20万人の14~20歳の女性を連行し、慰安婦として徴用したといった記述がされており、日本の外務省が今月、マグロウヒルに訂正を要請したが、マグロウヒルは「歴史的事実に基づいた記述である」として、訂正を拒否したことも伝えている」ーー

というものですが、これは国会での首相の公式発言であり、NYTの原文を見る限り、かつて韓国や中国から批判され、その後のアジア外交の大きな障害となった「歴史教科書問題」の最新日米版です。しかしこうした問題が、「イスラム国」の日本人人質・殺害問題が大々的に報じられる日本のマスコミの中では、ニュースにもなりません。NYTは1月16日にコネチカット大学アレクシス・ダデン(Alexis Dudden)教授の「予期される日本の形」を掲載していましたが、これは産経新聞・古森義久客員特派員の眼鏡をくぐって、「米国人歴史学者がNYタイムズ上で日本悪玉論を大展開 安倍政権の対外政策を「膨張主義」と断定」という米国リベラル派批判記事になっています。

かと 「イスラム国」を名乗るテロリスト集団は、人質のジャーナリスト後藤健二氏を、ついに殺害しました。残虐です。残念です。そのさいのビデオ・メッセージには、「日本政府よ。邪悪な有志連合を構成する愚かな同盟諸国のように、お前たちはまだ、我々がアラーの加護により、権威と力を持ったカリフ国家であることを理解していない。軍すべてがお前たちの血に飢えている。安倍(首相)よ、勝ち目のない戦争に参加するという無謀な決断によって、このナイフは健二だけを殺害するのではなく、お前の国民はどこにいたとしても、殺されることになる。日本にとっての悪夢を始めよう」となっているそうです。まったく不当な、殺人者・テロリストの論理ですが、どうもそこには、現在の国際社会における日本の位置と、日本の国内政治についての海外イメージをも測っての、狡猾で計算高い情報戦が、垣間見えます。残念なことに、後藤健二氏の死によって、この事件を将来事実に基づいて冷静に理解する貴重な機会と証言の一部を、永遠に失いました。この事件については、すでにWikipedia日本語版の新しい項目「イスラム国日本人拘束事件」が立ち上がっていますが、未完成のままで、別のタイトルになりそうです。あまりに謎が多く、名付けそのものが難しそうです。例えば、(1)昨年8月「イスラム国」に入り捕まって、今回最初に犠牲となった日本人、「民間軍事会社PMC JAPAN」湯川はるな氏についての情報不足。彼は、何のために、誰を頼って、どこから資金を調達して、何をしようとしていたのか? ウェブ上には様々な情報が写真入りで飛び交い、逆に公式メディアには、ほとんど情報がありません。(2)後藤氏の10月入国目的についても、はっきりしません。この一週間の後藤氏を英雄扱いした報道は、いわゆるスクープ狙いでなく、戦地のこどもたちや女性・老人たちの姿を伝える後藤氏のジャーナリスト報道を讃えており、それは確かに貴重なのですが、それならなぜ、10月の後藤氏は、目的を湯川氏の救済にしぼって出かけなければならなかったのでしょうか? たんに友人であり、湯川氏の以前の活動に同行したことがあったからという理由で、「自己責任」を強調して危険の中に飛び込んでいくほどの、ジャーナリストとしての使命があったのでしょうか?

かと(3)日本政府は、11月初めには後藤さんが拉致された事実をつかんでいたようです。後藤氏の夫人は、外務省の外郭機関勤務で、「イスラム国」の拉致グループとはやくから交信し、身代金要求と釈放交渉のルートも、昨年から開かれていたようです。しかし、そうした事実は、この間の2億ドルという法外な身代金要求が、「イスラム国」側から映像で一方的に流されるまで、まったく秘匿されてきました。しかも、最終局面では、夫人の音声によるメッセージを流せという、奇妙な要求まで出てきました。不可解な情報戦です。(4)2億ドルという公開映像での二人についての身代金要求は、明らかに、安倍首相の中東訪問のまっ最中に、1月17日にエジプトで安倍首相が「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」と述べた金額に呼応したものでしょう。19日には、イスラエルと日本の国旗の前で、イスラエル・ネタニアフ首相と関係強化をうたったとたんに、「イスラム国」はこれらを「十字軍に加わった」とみなして、最初の要求を出してきました。孫崎享・元駐イラン大使が「安倍外交が『イスラム国』のテロを誘発したと述べる根拠です。外務省は、すでに後藤夫人に届いた要求を知り、二人の解放をめざして早くから対策事務所まで設置していたといいますから、相手側には挑発と受け止められたでしょう。情報戦のミスです。(5)問題を、そもそもの始まりから見ることも必要です。9・11以後のアメリカの中東政策、直接にはイラク戦争が「イスラム国」を産んだことは、よく知られています。今日の NHKスペシャルによると、米軍収容所内でのスンニ派原理主義者と旧フセイン軍幹部の結びつきのようです。こうした問題の重層と錯綜のうえに、今回の事件は、日本と「イスラム国」との関係では、始まったばかりです。後藤氏殺害メッセージの末尾は、「イスラム国」の日本に対する宣戦布告です。

かと ドイツ人の友人から、もう一つのメールが届きました。元ドイツ大統領ワイツゼッカーの死のニュースです。1985年の敗戦40周年演説「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」は、日本でもよく知られ、繰り返し読まれてきました。上記の安倍首相による日米教科書問題の提起は、世界では「過去に目を閉ざす」方向として、受け止められています。「マスコミに載らない海外記事」のトップには、「人質問題を再軍備推進に利用する日本政府」という記事が出ています。『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)から出発して、「情報収集センター(歴史探偵)」「2015年の尋ね人」ページに移し占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください」には、その後も多くの情報が寄せられ、日本で「目を閉ざして」きた歴史的問題の一つ、中国大陸での731部隊の細菌戦・人体実験、その幹部たちの史料隠蔽、GHQに対する免責工作、さらには朝鮮戦争と日本再軍備に便乗した血液ビジネスへの参入、厚生省との癒着、医学界での復権・支配の構図も、見えてきました。「2015年の尋ね人」の記述は、必要最小限の加筆・修正で、ヴァージョン・アップしておきました。戦後70年になって、再びドイツと日本の歴史認識が、世界から注目されます。ワイツゼッカーの「荒れ野の40年」演説のさい、当時の日本の首相は中曽根康弘で、「戦後政治の総決算」を唱え、靖国神社に公式参拝しました。特にワイツゼッカー演説と対比されたのが、同年自民党軽井沢セミナーでの中曽根首相の発言「国家というのは、日本のような場合、自然的共同体として発生しており、契約国家ではない。勝っても国家、負けても国家である。栄光と汚辱を一緒に浴びるのが国民。汚辱を捨て、栄光を求めて進むのが国家であり国民の姿である」という、国家主義的戦後40年演説でした。バブル経済のさなかで、翌年には、日本人の知的水準はアメリカより高いという黒人差別発言まで飛び出し、米国からも批判されました。冷戦末期の中曽根内閣期と、21世紀に入った現在の国際環境は違いますが、私たちはいま、戦前にあるのでしょうか、もはや戦中なのでしょうか? 安倍首相が、「自然的共同体」を自称する「イスラム国家」の宣戦布告にどのように応えるかで、私たちは、中曽根風「国民」にされかねないのです。

初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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