秦剛外相解任事件 ―いずれ元のさやに、という身もふたもない話か?

 私は先月27日の本欄に「秦剛外相の解任―中国外交に何が起こったのか?」という一文を掲載した。
 その主旨は、今回の同外相の解任理由として女性問題あるいは健康問題が取りざたされているが、じつは昨秋、権力の集中度を強めて3期目に入った習近平体制の外交姿勢に対する党内あるいは外交部内の反感がその底にあるのではないか、あるいは秦剛前外相自身がその「反感」派に属するのではないか、という見方を書いた。
 その理由としては、解任処分が同氏の外相職に対してだけ公表され、同氏が兼務する外相職より上級の「国務委員」職については触れていないこと、また秦剛氏の動静が伝えられなくなって一か月も経ってから公表された新任外相がなんと直前の前任者で、外相より上級のポストについている王毅氏の兼任となったこと、この奇妙な2点から推して、たんなるスキャンダルや健康問題ではなく、容易に後任者が決められない複雑な背景があるのではないか、という推測を書いた。
 以来、数日が経過したが、これといった新事実は出て来ない。なんとも割り切れない王毅返り咲き外相のもとで中国外交は進められている。
 そんな状態でネットのあちこちをつついていたら、10数年前の2007年ごろ、秦剛氏の外交部報道官当時に、朝日新聞の北京駐在記者であった峯村健司氏の文章(Zakzak 7月29日)が目についた。
 それによると秦剛氏は政権にはなはだ忠実な報道官であり、「他の報道官と比べて強い調子で、外国メディアの質問をバサバサと切り捨て、欧米諸国や日本のことを完膚なきまでに糾弾していたのが印象的だった」そうで、外交部の期待に反する記事が掲載されたりすると、書いた記者が呼び出されて直接、注意されたという。その後、いったん駐英公使をつとめて、2011年に報道局長として戻ってくると、「さらに居丈高な態度に磨きがかかっていたように感じた」とある。
 だとすれば、秦剛氏本人が習近平外交批判の側に立って、政権中枢に睨まれ、解任されたという筋書きは成り立ちそうにない。むしろ話は逆で、秦剛氏があまりに習近平氏べったりであるために、外交部内から反発を受け、通常ならそれほど大問題にはならない不倫事件を握り潰しきれず、すったもんだに一か月もかかってようやく解任となった、という筋書きが考えられる。
 しかし、それで「秦剛アウト」とはしないために、「習の一声」で国務委員の肩書をそのまま残し、王毅氏を一時的に外相ポストにあてて、ほとぼりがさめた頃、「健康が回復した」とかなんとか話を繕って、秦剛外相が復活となるのではないか。それなら解任理由その他をなにも明らかにせず、後任にはいつでも「外相」ポストを離れることが出来る王毅氏をあてた事情が納得できる。
 なんともしまりのない話だが、書いていて、なるほどこのほうがありそうだなと思えてくるから情けない。ともかくこれでしばらくは、この件について中国自身が何か言うことはありそうもないから、次の展開を待つしかない。
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 それにしても、こんなストーリーを考えたくなるのは、昨年来の中国外交がまるで浮遊生物のように寄る辺を求めてさまよっているからである。この1年半の中国外交を要約すれば、昨年2月のプーチン訪中に続くロシアのウクライナ侵攻にすっかり肩を入れて、ロシアのウクライナ併合実現を既定の事実と読み、その余沢にあやかって台湾統一を実現しようともくろんだのが、ものの見事に読みが外れて立ちすくんでいるのが現状である、と言っていいだろう。
 この間、紛争の当初、国連ではロシアの行動に反対したり、非難したりする決議が何回か採択されたが、中国はいずれにも反対ないし棄権という少数派だった。ウクライナ戦争に対する中国政府の「立場」を説明するという長短の作文を少なくとも3回、公けにしたが、いずれも起きている武力衝突について、「どっちがどっちの領土と国民に攻撃を加えているのか」、という根本(これを中国語では「大是大非」という)を曖昧にして、「争いをやめて話し合いを」と「喧嘩両成敗」のような文章を並べただけであったから、国際社会ではまともに相手にされなかった。
 また政府特使と称して古参外交官を当事国と周辺国に派遣したりもしたが、根本の態度が「喧嘩両成敗」ではいずれの国でもせいぜいが「お話を伺う」程度の対応であった。
 中で一瞬、オヤと思わせたのは今年4月5~7日、フランスのマクロン大統領が訪中した際、習近平が同大統領に持ち掛けた「和平提案」であった。この訪問に対する中国側のもてなしは大変な熱の入れようで、習近平自身が6日に会談した後、同夜の歓迎宴を主催したのに加えて、翌7日も習自身が南の広州へ赴いて、名所の旅行ガイドをつとめ、夜は歓送宴を開いて友誼を深めたのであった。
 そこまでして最後に習近平がマクロンに持ち掛けたのが、フランスにウクライナ戦争の「和平案」を提案させ、それに中国が賛成する形で、紛争解決への主導権を中仏両国が握ろうという提案であった。和平会議のめども立っていないにもかかわらず、いずれそれが開かれた場合には両国が手を組んで「ウクライナ戦後」の世界をリードしようというのである。
 しかし、肝心の「和平案」の中身については習からの具体案はなく、それはフランス側に考えてもらい、要は「ロ・中VS欧米・日本など」というウクライナをめぐる対立軸に横から「中・仏連合」という新しい軸を登場させて主導権を握ろうとしたもののようであった。
しかし、これも折から日本で開かれていたG7の外相会議で、報道された段階で直ちに「非現実的」と一蹴されてしまい、宙に消えたのであった。
 昨秋の共産党大会で習一強の新体制を発足させたにもかかわらず、外交面ではこれと言った成果がないばかりでなく、「肩肘を張っているだけ」の、昔の中国製の言葉を借りれば「張り子の虎」という印象が広がっている。
 中国の外交部では解任された秦剛前外相が57歳というように、すでにほとんどが1970年代末以降の改革・開放政策の時代に外交官生活を始めた人間たちである。その期間の大半はロシアとの関係はよくない時代であった。中ロ関係が「普通」に戻ったのはそんなに昔ではない。したがって、ウクライナ戦争にしたところで、内心ではプーチンに引きずられている今の外交を歯がゆく思っている人間も少なくないはずと私は見ている。
 そこから今度の秦剛解任事件でもいろいろ想像の羽を伸ばしてしまうのだが、さて真相はどうなのか、明らかになるのを待ってみよう。 (230729)

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