――八ヶ岳山麓から(282)――
私はまもなく80歳になるが、今までの人生をふりかえって、もっとも強烈なショックを受けたのは、1989年の東欧の動揺から91年のソ連崩壊までの社会主義世界体制の消滅である。これは全く思いもよらないできごとであった。
1988年から1年半、私は中国天津にいた。そこでは危機に瀕した東欧・ソ連のニュースはきわめて限られていた。このために東ドイツの動揺からはじまった民主革命が、ルーマニアのほかは流血事件が少なく、平和的に推移したのはなぜか理解できなかった。
社会主義体制崩壊に関しては、日本ではおびただしい評論や出版物があった。あるひとは資本主義の勝利を宣言し、他のひとは既存の社会主義はマルクス主義の大義とか原則から逸脱していた、真実の社会主義はこの世には存在しなかったのだと弁解した。左翼だと思っていた人が、右翼と同じくソ連崩壊を「諸悪の根源の崩壊を歓迎する」と叫んだりした。
そのなかで社会主義諸国の一般大衆と痛みを共にするという観点で、一連の分析を行ったのは『短い20世紀の総括—「討論」回転した世界史を読む』(教育史料出版会1992年)であった(以下『討論』という)。私はこれに敬意を表した。
『討論』に参加したのは、田口富久治(1931~)・山川暁夫(1927~2000・2)・加藤哲郎(1947~)・稲子恒夫(1927~ 2011・8)の4氏で、まとめ役は有田芳生(1952~)であった。いずれも政治学・ジャーナリズム・歴史学・法学のマルクス主義理論家で、そこでは参加者がおのおのの理論を引っさげて、1917年10月革命から91年夏のソ連崩壊に至るまでの「短い20世紀」を厳密に分析し、社会主義体制崩壊の必然性を解明しようとしていた。
ところが、体制崩壊後の「新しい世界の枠組み」、つまりソ連圏なき世界の近未来はどんなものになるかを論じる段になると、『討論』からは理論家の印象は消え、競馬や株価の予想屋とあまり違わないレベルになった。
『討論』の「21世紀がどうなるか」という項をみると、社会主義体制崩壊後の世界の近未来に関して、参加者の一人が当時世上に現れた以下四つの想定を紹介している。
1、アメリカの一人勝ち=パックス・アメリカーナが継続する。
2、米・日・EC(現在のEU)の三極体制、あるいは軍事的にはアメリカ一極で、経済的には三極となる。
3、日米を基軸としたジャパメリカ体制。
4、ECの強化拡大を基軸とした体制。
おわかりのように、この4項目はどれもほぼ「はずれ」である。強いていえば「1、アメリカの一人勝ち」だが、その後アメリカの力量は落ち、世界はパクス・アメリカーナではなく、多極化の方向に向かっている。
さらにこの発言者は、アジアや中東だけでなく、アメリカ、ヨーロッパでも、日本型資本主義システムがポスト・フォーディズムとしてもてはやされていると紹介したのち、なんら留保意見をつけることなく、次のようにいう。
「戦後40年間を通して、日本とアメリカのGNPをたしますと、だいたい世界の40%になるわけです。その40%を独占していたアメリカが,どんどんシェアを減らしていまは25%。その減った分が日本が成長してきた部分で、いま日本は15%という関係になっている。統計学的にこれを延長すれば、紀元2000年には、日本がアメリカをGNP総体でも追い越すかもしれないといわれている」
「日本がアメリカを追い越すかもしれない」という予想に対して、意外にも『討論』参加者の異論反論は記録されていない。
ちなみに、これから27年後の2018年に世界のGNP に占める割合は、アメリカ24.2%、中国15.8%で合計40.0%となって、中国がかつての日本の位置に座り、アベノミクス下の日本は5.9%に転落した。
そこで以下の議論は「あと知恵だ」といわれそうだが、あえて言う。
さきの予測からは、いずれも中国の存在と日本のバブル経済崩壊がすっぽり抜け落ちている。これが検討されなかったのは、『討論』の時期から見て無理からぬことのように思われるが、そうではない。
中国は、そもそも『討論』の検討対象になっていない。だが東欧・ソ連の社会主義を議論するなら、いち早く市場経済に転換した人口13億超の社会主義中国を対象にしなかったのは不当だった。『討論』の討論会は91年10月に行われたのだから、時間的には「社会主義市場経済」の可能性も検討することはできたはずである。
なぜなら、1991年春鄧小平は「姓社姓資(社会主義か資本主義か)」論争をやめさせ、市場経済導入の決意を明らかにした。92年の彼の「南巡講話」以降、中国は急成長を遂げる。
また、日本では90年10月株価が前年の半値近くになり、翌91年3月くらいからは我々にもバブル経済崩壊、不景気の到来がわかったのだから、その気になればこれを検討することも可能だった。
だが、日本経済の不振と中国社会主義が議論されたとしても、『討論』参加者も我々同様、日本経済が90年代から今日まで長期に停滞したこととか、中国が1990年代から2010年まで急成長を遂げ、その間に経済力では日本を追い越し、人工頭脳などの分野で世界に抜きんでることなど想像もつかなかっただろう。
1970年代末から、私と友人はマルクス主義についてよく議論した。私たちは「複雑労働は単純労働の集積である」から出発した。たとえば「自動車会社の社長の賃金は、ラインの労働者の賃金の何倍が適切か計算できるか」といったことである。
友人は「生産過程だけでなく流通過程でも価値生産はある。マルクスは複式簿記を知らなかったのだ」といって、「流通過程を入れた再生産表式」を作った。やがて私たちは「社会の全生産物は多すぎて、正確なコスト計算はできない。そうだとすれば計画経済はあり得ない」という結論に達した。そしてマルクスがいう社会主義はどうやら実現不可能だと漠然と考えるようになった。だが、それゆえソ連が崩壊するとは思いもよらなかった。
やがて友人は勤め先の農協の全国機関で末端管理職になり、私はチンピラ不良が跋扈する高校に転勤したから、忙しすぎて二人の「研究」なるものはともに挫折した。
友人が癌で早世したのち、私はようやくマックス・ウェーバーの社会主義批判を知った。実に不勉強だった。1920年代にすでにウェーバーは、社会主義経済を「実物計算計画経済」とみて、そうならば「貨幣と価値が等しい」ような統一計算単位、つまり価値指標が存在しなければならないがそれはありえない。それゆえに、合理的な計画経済の運営は不可能だとしたのであった。
のちに東欧・ソ連に中国を加えた現実の社会主義計画経済は、確かに不合理な運営しかできなかったことを知り、私はウェーバーの先見性に脱帽した。
私は、またフランスの歴史学者エレーヌ・カレル・ダンコースが民族問題でソ連は崩壊すると予言したことを知った。ソ連崩壊の原因はすべて民族問題とはいいがたかったが、とにかくソ連は崩壊した。
しかし、この先見の明のある研究者でも、確かな近未来を予言したわけではない。
競馬や株価の予想から社会の歴史的変化にいたるまで、そのみちの専門家の「近未来予想」は、まれに的中することがあったとしても、たいていは外れる。このことに気付いたのは、友人の死後10年もたってからだった。
理論家やジャーナリストは過去をいかようにでも解釈する。だが、われわれ同様、先のことなどわからない、なるようにしかならない存在である。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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