新・管見中国(39)
「米中貿易戦争」という戦争が始まったか、あるいは始まろうとしているか、らしい。らしい、というのは、この2つの言い方がすでに半年近くも共存しているからである。それはまたこの戦争なるものの正体がはなはだ不明確であることを示してもいる。
それにしても、GDP世界1位と2位の大国がまがりなりにも「戦争」と名がつくほどに対立しているとなれば、ことは穏やかでない。いったいなにが起きているのか、この騒ぎ、私の目には双方ともに急所を避けながら、目先の小競り合いで日を過ごしているように見える。厄介な問題で手に余る感があるのだが、及ばずながらそれを考えてみたい。
まず戦争というからには、双方の間にのっぴきならない利害の対立がなければならないはずなのに、さっぱりそういう緊張感が感じられない。中国から米国には1年に5000憶ドルもの輸出が行われているのに、米から中国への輸出は1300憶ドル程度にすぎず、トランプ大統領に言わせれば、「中国にいいようにやられている」ということになるらしいが、米が中国に多額の貿易赤字を抱えるのは、きのうきょうのことではなくて、それこそ前世紀以来の既定事実であって、今さらなにを勢い込んで騒ぎ立てるのか、世界中が首をかしげている。
両国間では閣僚級の代表団による交渉が3月と5月にワシントンと北京で合せて3回行われたが、外から見ている限りさほど緊張感をもった談判ではなく、中國側が米からの輸入増を申し出て、なんとなくお茶をにごしただけに終わったようで、今後4回目があるのかどうかもはっきりしない。
そして現実に起こったのは、米側が先に中国からの輸入品500憶ドル分にあたる品目に25%もの超過関税をかけることを決め、中国側も直ちに同額の米からの輸入品に同額の超過関税をかけることを決めて、そのうちの340憶ドル分をともに7月6日から実施したという事実である。今のところ、それが米中両国、あるいは世界の経済に取り立てて悪影響を及ぼしたとは言われていない。
残りの160憶ドル分については、米側はあらためて実施時期を決める、としており、米が日時を決めて実施すれば、中国も直ちに同じことをするだろう。さらにトランプはその後にも中国からの輸入品2000憶ドル分について関税を追加徴収すると予告しているが、米からの輸入が1500憶ドルしかない中国はそれには「ついていけない」ので、さてどうするのか、まだはっきりしていない。
要するにこれまでの「戦争」は、まず米側が陣立てもものものしく鬨の声を上げたのに対して、中国側も負けじと雄たけびを返し、双方の前衛部隊が小競り合いを始めたというところである。
しかし、米側では総大将がさらなる軍勢を戦いに投入しようとしている(2000憶ドル分への超過関税)のに対して、味方(米産業界)から「やめたほうがいい」という声が強くなってきているので、この先の戦局の行方はさっぱり見当がつかない。
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さてここまでの経過をたどってみると、奇妙なことに気づく。
トランプが対中貿易赤字を持ち出したときに、なぜ「米中貿易戦争」などという誇大な言葉が登場したのか、である。すでに書いたように米にとって対中赤字は前世紀以来の規定事実である。米国内(に限らずヨーロッパでも)で中国製品が市場にあふれて、地元の産業界と摩擦をおこすようになったのは、中国が1989年の天安門事件を経て、鄧小平の号令の下、「改革・解放政策」のとりわけ「解放」が本格化し、中国が「世界の工場」となった1990年代以降である。
その頃、訪米した朱鎔基首相(当時)は「中国製品が街に溢れているといわれるが、アメリカで100ドルの定価がついているナイキのスポーツシューズ1足について、中国の労働者が手にするのは2ドルである。あとの98ドルは中国の工場のアメリカ人老板(社長)に始まって、米国内の流通業者、小売店にいたるまでのアメリカ人の懐に入るのだ」と反論したといわれる。
これは当時、伝説のように伝えられた話で、そのまま真実であるかどうかは定かではないが、事の本筋はその通りであろう。そしてそれは現在に至っても変わっていない。中国から米へ輸出される製品のかなりの部分は米企業の中国工場の製品であったり、米企業の委託を受けて中国企業が製造したものであったりする。われわれが手にする日本ブランドの製品にも「メイド・イン・チャイナ」と書かれているものは珍しくないが、それは国産品ではなく、中国からの輸入品である。
国別の細かい統計があるのかどうか寡聞にして知らないのだが、中国の輸出全体のうち30%以上はそうしたいわば最終的に中国から積み出されても本籍は中国ではない商品である。これは中国に限ったことではない。現在では輸出入といっても農産物を除けば、単純に100%ある国の生産要素だけで出来た商品が国境を越えて行き交うわけではなく、様々な国籍の生産要素が組み合わさったものが世界を経めぐっているわけである。
したがって、トランプ政権が中国からの輸入品に超過関税をかければ、かなりの部分、痛手を受けるのは米企業であり、関税による値上がり分を負担するのは米国の消費者である、ということが大いにありうる。トランプ大統領が一昨年の大統領選で国内のさびれたラストベルト地帯の労働者の票を狙って当選したのは選挙戦術としては巧妙だったが、ラストベルトに仕事を取り戻すために中国製品に関税をかけるのは時代錯誤の見当違いである。大統領の関税戦術に米産業界が賛成するどころか、反対の声がますます強まるのは自然な成り行きである。
それなのに、なぜ「米中貿易戦争」などという大げさな言葉が使われるのか、という問題にかえる。
今、米国内には中国に対するある種の恐怖症が蔓延しているのではないだろうか。それは中国のGDPが米の3分2ほどに迫ってきたということもさることながら、米の民主主義が中國を変えられなかった、という敗北感でもあるのではないだろうか。
かつての旧ソ連との東西対立はそれぞれの体制の維持をかけたきびしいものであったが、1980年代にソ連は完全に米に屈した。他方、中國は毛沢東の継続革命路線にみずから決別して改革・開放の道に歩み入ったのだから、経済が豊かになれば、旧ソ連以上にスムーズに民主化が進むはずと米社会が考えたとしても不思議はない。
ところが、現実の中国は2010年にGDPの総額で日本を抜いて、世界第2位の経済大国になったにもかかわらず、社会の民主化が一向に進まないどころか、習近平の時代になってからというもの、政権の独裁化、強権化はひどくなるばかりである。
しかも、開発途上にある国々が往々にして「開発独裁」と呼ばれる強権体制を経験することはよく見られたことであるが、これまではそれは過渡的現象であったはずであるのに、中國はみずからの体制を米式民主主義とは異なる発展モデルとして対抗する姿勢を見せるに至った。米社会はこれを自らに対する挑戦と受け取ったであろう。
トランプが秋の中間選挙を控えて,大向こうの拍手を取るために、選挙公約実行の続きとして、対中貿易赤字削減を言い出したことが、すわ貿易「戦争」と誇大に騒がれた理由はそこにあるのではなかろうか。
トランプの「戦争」に緊張感がとぼしいのは、それが米中間の本当の対立軸からずれているからである。しかし、逆説的に言えば、彼の手当たり次第の「いちゃもん外交」の1つを「戦争」と受け取るような素地が米中間にあることがこれで明らかになった。そのことをこれから追及してみたい。
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