米欧、アラブ諸国,トルコとロシア、イランの共闘への期待 -シリア紛争解決への転機に①-

著者: 坂井定雄 さかいさだお : 龍谷大学名誉教授
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 残酷に拡大し続けてきたシリア紛争。反アサド独裁政権勢力を支持し、紛争に付け入って支配地域を拡大する偏狭なイスラム過激派「イスラム国(IS)」への爆撃を続けている米国はじめ英、フランス、サウジアラビアはじめアラブ諸国、さらに重要な隣接国トルコ。アサド独裁政権を支持・支援し、最近、ISへの爆撃を開始したロシアとイラン。アサド政権への支持、不支持で厳しく対立する両グループのすべての国が参加して、初めての外相会談をウイーンで開いた。1回の会議で、具体的な行動計画に一致できるはずはないが、第2次大戦後、最大、最悪の人道危機をもたらしているシリア紛争を解決するための、転機になると期待したい。
 4年半を超えた、残酷なシリア紛争。破壊され続けている2千百万人の国民の命と生活。数字を並べるのが白々しいが、25万人の生命が失われ、百万人以上が負傷し、国民半数を超える1千百万人が住む家を破壊され、あるいは危険を逃れて難民となり、うち4百万人が近隣国とEU諸国に脱出している。その一人一人が、5年前まで、アサド独裁体制のもとでも、美しい国シリアで家族とともに、未来を見つめながら生活していたのだ。
 シリアの事態はもはや内戦とは呼べない。アサド独裁政権と、反政府勢力、その双方と戦う偏狭なイスラム過激派「イスラム国(IS)」、そしてアサド政権を支援するロシア、イラン、レバノンのシーア派武装勢力ヒズボラ、反政府勢力を支援する米国はじめEUとサウジアラビアはじめアラブ諸国とトルコ。
 国連も紛争の解決に、特使を張り付かせて、政権側と反政府側との調停工作に努力してきた。しかし、アサド政権側が大統領の退陣を拒否し続けたことが最大の障害になって、両者共通の脅威であるISに国土の3分1以上を支配される事態になっているのに、調停工作は行きづまったままなのだ。
 ごく短く振り返ってみると、シリア紛争が始まったのは、2010年12月にチュニジアから始まった歴史的なアラブ諸国での民主化運動「アラブの春」のさなか。翌11年2月にエジプトでムバラク独裁政権が打倒され、そのほぼ1か月後だった。シリアの首都ダマスカス郊外の町から始まった民主化をもとめる民衆のデモを、悪名高い治安警察が残虐に弾圧。政府の悪口を落書きした子供たちを含む一般市民を多数逮捕、投獄。市民の一部は、拷問で殺された。
 間もなく、政権に対して不満を募らせていたシリア軍兵士たちの脱走が拡大、彼らは「自由シリア軍」を結成して、政権側の軍、民兵との戦いを始め、住民の支持を得て、支配地域を拡げていった。「自由シリア軍」中心の世俗的な反政府勢力に加え、アサド政権に厳しく弾圧されて地下で活動していた複数のイスラム組織も、政権に対する武力攻撃を開始、シリアは内戦状態になった。国外亡命していた反政府の政治家、経済人、宗教家らが中心となって反政府の統一組織「シリア国民連合」が12年11月に結成され、欧米やアラブ諸国は、同組織への資金支援を始めた。そのころには、内戦状態は首都ダマスカス周辺からシリア第2の都市アレッポを含む全国に広がり、政府軍は反政府軍支配下の都市に対して、空軍機からバレル(ドラム缶)爆弾と呼ばれる市民殺戮用の爆弾を多用するようになった。拡大する一方の内戦状態に便乗して、急速に勢力と支配地域を拡大したのが、第3勢力のISだった。(続く)

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