『週刊現代』(4月8日号)は、ノーベル経済学賞受賞者スティグリッツの講演(経済財政諮問委員会)に言及し、「国の借金1000兆円はウソ」という記事を掲載している。この記事は無署名だが、ほぼ同文の記事が4月6日付け「ダイヤモンドオンライン」で、高橋洋一署名「報道されなかったスティグリッツ教授『日本への提言』の中身」として流されているから、『週刊現代』の記事は高橋氏が記したものか、『週刊現代』の編集者がまとめたものだろう。
政府と同様に、日本の経済学界もアメリカに従属する属国主義の様相を呈しており、何事も、「アメリカの権威」のご意見を拝聴するのが常になっている。つい先般も、浜田内閣参与自らが「目から鱗」と絶賛する、ノーベル経済学賞受賞者シムズをアメリカから呼び、「赤字に拘泥することなく、大胆に財政拡大を進め、インフレ率を上げて累積債務を割引すべき」と主張させたばかりである。累積債務の存在を否定する「三文エコノミスト・評論家」たちとは違い、浜田参与もシムズも、巨額債務問題を認識して、債務の軽減策を提唱したのだが、わざわざアメリカからお金をかけて呼ぶほどのこともなく、昔から巨額な国家債務を劇的に処理する方法は、インフレの高進による実質削減か、徳政令による借金棒引きの二つの方法しかない。何もファーストクラスの航空券を用意し、高い講演料や滞在費を払って拝聴するほどの知見ではない。
今回のスティグリッツ招聘は、トランプ政権の経済政策を聞くことが目的だったようだが、資料として配布された21ページにわたるスライド資料は、先進国が抱える一般的な問題を指摘し、彼が考える経済政策の大雑把な指針を示した箇条書きの文章で、招聘目的のテーマにまったく切り込んでいない。この招聘にどれだけ経費がかかったのか知る由もないが、小さくない公費を使って講演を依頼するなら、事前にもっと内容を詰める作業があってしかるべきではないか。そうでなければ、日本政府の招聘は、人気経済学者の観光旅行を兼ねた気楽で美味しい副業になってしまう。
スティグリッツの文言は見当違い
ビジネスの世界では、スライドの文言はできるだけ短く、端的にアイディアを紹介するのが良いプレゼンとされる。しかし、学者のプレゼンをこんな形で済ませる訳にはいかない。提言の正当性を主張できる論理を明確に示さなければ説得力はなく、たんに無責任なアイディアの列挙に終わってしまう。
スティグリッツの講演スライドの15ページ目は、「債務と税のジレンマの解消」と題されており、添付のような数行のアイディアが羅列されているだけだ(経済財政諮問委員会事務局の日本語訳)。『週刊現代』の記事は、「政府(日銀)が保有する政府債務を無効にする。粗政府債務は瞬時に減少」という部分に注目し、これを「政府と日銀の貸借勘定を統合すれば、政府債務が消える」と拡大解釈し、1000兆円の国の借金が雲散霧消するかのように主張している。この解釈は、「マネーポストWEB」(小学館)で、森永卓郎があたかも「大発見」であるかのように提唱したのと同じである。
わずか2行の文言だけで、スティグリッツの「提言」を論評するのは不可能だ。「将軍様」の片々隻語、一挙手一投足に反応するかのように、「深く忖度する」必要がどこにあるのだろうか。逆に、この2行を指して、「報道されなかった提言」と大騒ぎする意図の方が興味深い。
スライド全体のスタイルや文言を見ても、スティグリッツがこのプレゼンの準備に力を注いだとは思えない。かなり雑駁なプレゼンである。一つ一つのアイディアをきちんと説明しておらず、日本の累積債務問題をどれほど理解しているのか怪しい。あまり深く考えることなく、単純に政府セクターと日銀の貸借が相殺されると考えたのだとしたら、それは軽率で誤った理解である。森永卓郎の「発見」がスティグリッツのレベルに匹敵するノーベル賞級の「発見」なのではなく、実物経済、金融経済、政府セクターの関係を十分に考慮することなく発した、不用意な初歩的誤解にすぎないだけのことだ。
スティグリッツは永久国債についても言及しており、政府債務の塩漬けを提唱しているから、「政府債務無効化」をどれほど突き詰めて検討したのかきわめて怪しい。政府セクターと中央銀行の勘定を統合すれば、日銀保有分の政府債務が消えるのではないかと「瞬時に」思いついただけなら、ノーベル賞受賞経済学者としてお粗末と言わざるを得ない。もっとも、科学とは言えない経済学の世界ではこの種の見当違いはよくあることだが。
この点にかんする限り、浜田内閣参与は、経済学の古典の理解にもとづき、「公的債務は国民の債権のように見えるが、究極的に国民の債務である」と認識しているのは、真っ当である。シムズも、国民経済計算の帳簿操作で国の債務が消滅するなどとは考えていない。民主的な言動で知られるスティグリッツだが、森永卓郎や高橋洋一と同程度の理解で債務問題を考えているとしたら、何とも残念なことだ。
政府セクターと日銀の勘定統合で債務は消滅するか
政府セクターと日銀の勘定を統合すると簡単に言うが、日銀保有の国債は市場を経由して購入しているのだから、現実問題として、償還による債務の返済でない限り、日銀は債務超過に陥る。高橋洋一の頭脳の中で統合されるだけなら実害はないが、実際に「統合」なるものを実行しようとすれば、危機的な状況が生まれる。なぜなら、「政府の債務だけが消滅する統合」の意味するところは、徳政令による日銀保有国債の無価値化だからである。政府が「日銀保有分の国債をチャラにします」と宣言すれば、政府の債務が帳消しになる。その代わりに、日銀は資産を失い債務超過になる。国債購入に際して、日銀の負債(債務)である通貨を市場に供給しているからである。
頭の中で政府と日銀の貸借勘定を統合するのは簡単だが、それが意味するところは、日銀保有国債の償還放棄=徳政令の実行にほかならない。こうなれば、日銀は中央銀行としての信用を失い、国債市場が崩壊して政府の資金調達は不可能になり、円は暴落の一途を辿る。政府債務の一部の帳消しであっても、日銀は中央銀行としての信用を失い、他方で政府は財政ファイナンスができなくなり、財政崩壊の危機に直面するだろう。こういう結末をもたらす無責任な政策を得意げに語る「エコノミスト」が各種マスメディアに登場し、為政者もそれを信じようとしている状況は異常である。
ちょっと考えてみただけも簡単にわかることだ。二つの会社(機関)の統合によって、一方の当事者の債務を消滅させても、その分だけ他方の当事者の資産が減ずるだけで、債務だけが空気の中に消えてなくなることはない。「資産を保全し、債務だけを消滅させる」手品ができるのなら、東芝だって苦労しない。主力銀行とグループを形成して貸借勘定を連結すれば、東芝の債務を消すことはできるが、主力銀行は債務に匹敵する資産額を減らすだけのことである。「統合すれば、資産はすべて保全され、債務だけが風のように消え去ってしまう」ことなどありえない。
政府の累積債務1000兆円は、「税の前借りとして、すでに国と国民が1000兆円を費消してしまった」ことを意味している。だから、これは政府がきちんと帳簿に書き込み、だれがどのようにこの債務を負担していくのかを明確にしなければならない。帳簿をいじって、「なかったことにする」ことも、「減額する」こともできない。いかに帳簿をいじくり回そうが、「すでに消費してしまった」ものを、「消費しなかった」かのように取り繕うことはできない。それができると考えるのは自由だが、それを実行に移せば日本経済にとてつもない破滅をもたらす破壊行為になるだけだ。北朝鮮のミサイル発射レベルと大差ない幼児的発想である。
「政府と日銀は親会社と子会社の関係だから、貸借勘定を連結すれば、債務はなくなるよね」なとど馬鹿なことを言う宰相も、ロケットの火遊びをする「将軍様」も、知性のレベルに大差ない。
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