我々にとってはショッキングな選挙結果でした。山尾スキャンダル~前原執行部・人事構想破綻~希望の党へ身売りという流れをみると、発端となった山尾議員の火(男)遊びが野党連携を壊し、安倍巨大一強体制をつくったといえます。なんだかパスカルのいう「クレオパトラの鼻がもっと低ければ、歴史は変わったろう」に似た話です。
前原氏はさぞかし山尾氏と小池氏を恨んでいることでしょう、自身の政治生命は実質終わったも同然ですから。しかし前原氏の様な書生(=未熟)政治家をトップに押し上げるような民主党の在り様が問題だったといえるでしょう。それにしても松下政経塾出身の政治家には碌なのがいなかったということです。保守右派的信念を持っているように一見みえつつ、その実オポチュニストでしかないし、しかもどういう訳かみな人間的政治家的に書生っぽく未熟なのです。町工場から出発した本田宗一郎は純粋な戦後の新興企業家ですが、松下幸之助は戦争下産業統制、国家総動員体制のもとでで成り上がった過去を持つ企業家です。本田は技術に徹し、今なお世界企業となってもその精神が生きているようにみえますが、松下のおかしな憂国感情は松下政経塾という政治的お遊びを生みました。
野党の惨敗は根本的にはポスト資本主義へのビジョンを描き得ないところに起因しますが、市民社会に強固な足場を持っていない点では各党共通しています。共産党も実行に担保されない政策宣伝の党であり、実際には次第に議員政党化しつつあります。団塊の世代が退場すれば、実働部隊の大半を失うことになり、まもなく本当の危機が訪れるでしょう。
私がミャンマーのスーチー氏やNLDの状況を見るとき、先進国の政党状況とダブらせています。市民社会に足場を築き得ない政党は必ずや没落するのです。スーチー氏は歴史的にめったにないチャンスを今みすみす逃しつつあります、残念でたまりません。然しこのような指導者しか選びえないところにミャンマー政治の歴史的限界があり、それを乗り越えるにはもう一世代、二世代必要なようです。