習一強体制の苦境(1)―「説明せず」は唯一の逃げ道

 中国の習近平国家主席(以下、敬称略)は昨年の大晦日の夜、国民向けのテレビ演説で「一部の企業が経営上の圧力を受けており、一部の大衆の就職、生活は困難に直面している。一部の地方は洪水、台風や地震などで被害を受けている。われわれはこれらを心にかけている」と述べた。
 この部分は、次に「皆さんは風雨を恐れず、助け合い、挑戦に向かい合い、困難を克服した。私は深く感動した」と、国民を持ち上げる前の枕言葉なのだが、米CNN放送はこの前段について、「中国が逆風に直面していることを認めた」とニュースで伝えたそうである。
 そこまで言うのが妥当かどうか、私には異論があるが、それはともかく、習近平が「困難に直面している」などと、弱みを見せるような言葉を口にすることは、最近では確かに珍しい。
 習近平は一昨2022年秋の第20回共産党大会でトップの総書記に三選され、それを受けて昨春の人民代表大会で国家主席に前例のない三選を果たした。そして習体制が10年を越えて走り出したのだが、その走りっぷりとなると、なんともギクシャクしている。
 ご記憶と思うが、昨春の全人代会議の最終日、いざ開会と言うところで習近平に向かって右隣りに着席していた胡錦涛前国家主席が突然、出席者には正体不明の人間に腕をとられて退席させられるという一幕があった。まことに奇妙な光景であったが、じつはあれ以来、あの光景についての説明は一切ない。巷での噂話もさっぱり聞こえてこない。よほどの箝口令が布かれているものと見える。テレビの生中継で自国民はもとより、全世界が見ていた光景なのに、そんなことはまるでなかったような顔をしたままである。
 不思議はまだある。昨年6月、前年11月に就任した秦剛外相が表舞台から姿を消した。そして一か月ほども経った7月末に解任されたことが発表され、不思議なことに外相より一段上の共産党の外交統括責任者に昇格していた王毅前外相が外相職を兼務することが発表された。解任もさることながら、後任は前任者が兼務と言うのは、まるでほかに人がいないようでまことに奇妙である。
 外相ばかりではない。次に昨年3月に就任した李尚福という国防相も8月末から動静が途絶えたと思ったら、2か月も経過した10月にやっと解任が発表された。これについても事情説明は一切ないまま、年末に至って萧軍という前海軍司令が国防相の後任として発令された。
 ところが事は国防相の交代人事だけではおさまらなかった。年末にはさらに、現役を離れて間もない軍幹部OBたちが全人代(国会)の常務委員や政治協商会議(国政助言機関)委員といった現役引退後のセカンド・キャリアを続々解任された。
 27日には中国航天科技集団の呉燕生会長ら軍需関連企業の幹部3人が政協会議委員の資格を取り消され、29日には李玉超前ロケット軍司令官、丁来杭元空軍司令官ら9人が全人代の代表資格を取り消された。ロケット軍関係ではすでに7月に李玉超亜司令官、周亜寧前司令官が解任されており、李尚福国防相を含めて、大がかりな汚職があったと想像されるが、大量逮捕、大量解任の背景や理由はやはり一切明らかにされていない。
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 さて、問題は以上のようなことをどう考えるか、である。権力に連なる人間が革命政党の禁忌を犯して処分を受けるということはソ連にも中国にもたくさんあった。但し、その方法にはソ連の場合、独裁者スターリンの怒りをかって、処刑されたり、シベリア送りとなったりという話は有名である。
 一方、中國では1950年代の反右派闘争、60年代の文化大革命では、国を挙げて民衆が腐敗分子、敵対分子の罪状を告発し、公開の大会で民衆が時に暴力を交えて「人民の敵」に制裁を加えるということが広く行われた。
 しかし、そうした激情にかられた大衆が的外れの審判を下すことも不可避で、70年代末から80年代にかけて、多くの再審・判決取り消しが行われることになった。ところが、現在の習近平政権の腐敗撲滅のやり方は多くの場合、かねての大衆動員方式とは反対になるべく一般大衆には詳しいことは知らせず、最終結論だけを告知することが主流となった。もっとも最終結論だけといっても、人によって罪状をかなり詳しく伝えることもあるから、一概には言えないのだが、基本的には余計なことは知らせないというのが習近平体制、あるいは習近平その人のやりかたであろうということである。
 昨秋の共産党大会、今春の全人代で「習一強体制を確立した」とされているのに、ものごとをきちんと説明しないのは確かに不可思議である。その不可思議にあえて答えを探すとすれば、説明なしによって招く政権への不信感より、本当のことを言って招く不信感のほうが大きいからということになるだろう。
 どういうことか? 胡錦涛退場事件は別として、ほかの解任事件の当事者たちはその多くが習近平につながる仲間であろうと推測する。その連中はこれまでの習体制10年の間に、それぞれに美味しいポストに座っていたはずだ。そこでさらに他系列を排除して一強体制を築いた結果、味方が減り、これまでの不正不義を突きつけられた場合、詳しい事実を明らかにすればさらに反感が広がることになりかねないために、理由を言わずに「黙って解任」で逃げるしかなかったのではないだろうか。
 以上は私の推測に過ぎんし。見当違いかもしれない。いずれ局面が変われば、2023年「あの解任騒ぎの真相」が明らかになるであろうから、それを待つことにしたい。
 習近平政権の苦境はほかにもある。習時代は11年目に入ったということは、新しい最高指導部が発足したと言うだけでなく、党大会で新しい中央委員205人、同候補約171人が選ばれたということであり、今後5年間、各方面の要職をそれらの人たちが担うということでもある。
 その体制をうまく運営してゆくためには、慣例となっている行事がある。しかし、昨年中はついにそれは開かれなかった。なぜか? それも政権からの説明はないが、やはり政権の性格を表していると思う。次はそれを考えてみたい。
 
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〔study1282:240105〕