この文章の最初の部分で、私は毛沢東、鄧小平それぞれの治世の核とでもいうべき彼らの言葉として、毛の「階級闘争が要である」と、鄧の「発展こそが第一の道理」を挙げ、習近平については「2,3,4,5,」と書いた。ここでその理由と習近政治の特質を明らかにしたい。
なんで数字を並べて、習近平の特質が論じられるのか奇妙だと思われるだろうが、習と毛沢東、鄧小平とは頭の出来が違うと言いたいのだ。
毛にしろ、鄧にしろ、ものごとを動的というか、構造的にとらえて、それぞれ「階級対立」、「物質的豊かさ」をメイン・キーと考えたのだ。そこから世の中を動かそう、と。対照的に習近平の目にはメイン・キーが見えない。だから、あれもやれ、これも必要、といくつもの要素を並べることになる。
例を挙げよう。「二つの確立」「二つの絶対不動」「三つの必ず」「四つの意識」「四つの自信」「四個全面戦略配置」「五位一体総体配置」「六穏」「六保」・・・まだまだあるが、ばかばかしいからやめる。
いずれも習近平が発した「命令」というか「指示」というか、とにかくこれを守れという言葉である。不思議なことに、これだけは守れという「一個条」はない。すくなくとも「二つの・・」である。
中でも冒頭の「二つの確立」は現在、もっともしばしば登場する標語だ。その意味は「(共産)党は習近平同志の党中央の核心、全党の核心としての地位を確立し、習近平新時代の中国の特色のある社会主義思想の指導的地位を確立する」というのだ。習近平を確立するにしても、党中央と党全体の核心としての習近平と、習の思想の指導的地位の両面から確立しなければ不安らしい。1人の人間を裏表か前後か、ともかく2倍確立しろという難しい要求なのである。
次の「二つの絶対不動」は、ちょっと色合いが違って、中国における社会主義の基本としての公有制経済と同時に非公有制(私有制)経済の双方を発展させることは絶対動かさないものとする、という意味だ。
「三つの必ず」は全党の同志は、初心を忘れず、使命、謙虚献身、刻苦奮闘に努め、・・・
「四個全面配置」は全面建設小康社会、深化改革、依法治国、従厳治党の戦略配置・・・
どれも大した内容でもないので、もうやめるが、経済関係の「六穏」と「六保」を紹介しておく。
「六穏」=就業、金融、貿易、外資、投資、予期を「安定させよ」(穏)。
「六保」=基本民生、市場主体、糧食・エネルギー・安全、産業チェーン、供給チェーン、基本流通を「確保」(保)せよ。
要するに、経済の動きすべてを安定(穏)させ、確保(保)せよというのだが、両方合わせて12項目もあれば、なにが重点かもはっきりしない。毛沢東の「階級闘争が要」、鄧小平の「発展こそが第一」、いずれも自分の目の前の中国という国をどこから動かせば動くのかを考えたうえで、2人それぞれが見定めたその時代の中国のメイン・キーである。
しかし、習近平にはそういう発想がそもそもない。あれもうまくやれ、これもきちんとしろ、の羅列である。言っても、言わなくても同じではないかと思えるが、習近平としては、実際に効用があるかどうかより、どの項目も言い忘れては大変という方向に頭が働くのであろう。やはり臆病である。
一つ、見逃せないのは「六穏」の最後の「予期」である。これは日本語で言えば「予測」だが、習はこれをスローガンか何かのように考えている。予測記事に暗い予想や悪い予測を書くな、とはなんとまた幼稚というか身勝手というか、一国の指導者とも思えない。
現に最近の党中央経済会議の発表文に「中国経済の明るい面を強調せよ」という一節があることを紹介したが、政府内の文書で「いいところを宣伝しろ」というのは習近平の本音で、周囲が止めても本人は明るい記事が出れば経済自体も上向くと本気で思っているのであろう。
そういえば昨年11月には全国報道記者職業資格試験なるものが実施され、習思想をしっかり身につけているかどうかが調べられたという。(23・11・19 共同電)
いずれにしろ、結局、習近平長期政権の中心に現にあるのは「習の恐怖」である、と思う。
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すこし長くなったので、結論を急ごう。
習近平が中国社会に氾濫した腐敗の「トラもハエも退治しよう」と大勢の腐敗犯を摘発したのは、もとより間違いではなかったし、国民からかなりの支持も得た。しかし、その手法は腐敗の生ずるメカニズムにメスをいれることなしの、いわば手あたり次第の摘発であったために、それなりに量は増えても、一方では不公平も増幅した。
不公平を恨む人数は計りようがないが、そこからどんな報復の矢が自分に向かって飛んでこないとも限らないと習が気付いたのは、政権が2期目に入り、退任後の日々を習が身近に感じるようになってのことであろう。国家主席の任期をなくすという常識では考えられない憲法改正を強行し、政権居座りへの道を開いた。
次は政権居座りに成功しても、なんとか国民がそれを納得する分かりやすい勲章を身につけなければならない。それは台湾統一以外にない、と習近平は目標を明確にした。一昨年の8月、米ペロシ下院議長が台湾を訪問した時、中国軍は狂ったように台湾周辺にミサイルを撃ち込んで世界を驚かせたが、今、思えばあれが習の延命戦略の具体化の始まりではなかったか。
習近平は「台湾統一は歴史の必然である」と、統一を正当化する。しかし、中國にはまともな議会もなく、国家主席に任期の定めもない。言論・報道の自由もまったくない。一方、普通に選挙があり、大統領も交代するという体制をすでに30年近く経験している台湾の住民が、そんな息の詰まるような体制に「必然」の一言で入ろうとするはずはない。「専政から民主政へ」もまた歴史の必然であるはずなのだから。
今、世界ではロシアのウクライナ侵攻が2年を越えようとし、イスラエルのハマスに対する超過大な反撃作戦は終わりが見えない。武器の使用に対する抵抗感が世界的に薄れていくようで恐ろしい。それに習近平の焦燥がどう反応するか、じつは今、大変な危機の瀬戸際にわれわれはいるのではないか、と怖れる。(完)
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