脚本通りのスタートと見えたのに、とんだ躓き・・・ ― 中国共産党第20回大会について  4

 16日に始まった中国共産党の第20回大会、初日の主要議題は前回大会以来の5年間の「活動報告」だが、これまでの例では、次の5年間を担うトップ候補が行うことが多かったこの報告を、今回は習近平が自ら行ったことで、習続投が既定方針であることを強く印象づけた。その意味では脚本通りのスタートと見えた。
 ところが2日目の17日、早くもオヤオヤという異変が発生した。報道ですでにご存じの方も多いと思うが、この日の発表がすでに決まっていた国家統計局による今年第3四半期(7月から9月)のGDPなど経済実績の発表が、理由の説明もないままに延期となったのである。
 経済実績の計算などは毎月、毎四半期、毎年と、国家統計局が手順通りに進めているものだから、滅多なことでは予定の日までに算出が間に合わなかったなどということは起こらないはずである。もっとも何らかの事情で数字の集計が間に合わなかった地方や部局が出てきたり、あるいはあんまり考えられないが、機械の故障ということだってありえないわけではないだろう。
 しかし、そんな場合はその理由を説明すれば、べつにどうということはない。そういう「日常的な」発表だけに、逆に理由の説明もなしに延期されたとなると、かえって「何かあったのでは?」と勘繰りたくなるのは人の常である。
 今回もまったく常識通りの展開で、大方は「経済実績が思わしくないので、せっかくの党大会2日目に発表するのは取りやめたのでは」という見方をしているようである。私もそうだと思う。昨日も書いたが、今、中国経済ははなはだ思わしくない。しかし、習近平という人は厄介なことには頭を使いたくないたちである。大会2日目であろうとなんであろうと、新しい問題に皆が注目したら、チャンスとばかりに自らの考えをのべて事態をリードするという方向にはものを考えない。
 したがって、経済について彼が発言するのは、総花的に大雑把な対処方針を並べるだけである。だから都合の悪い数字が出てきても、臨機応変に適切な言葉を紡ぎ出すことが出来ない。顔をそむけるだけである。国家統計局に数字の発表をさせなかったのも習近平流「臭いものに蓋」にすぎない。
 ちなみに16日の習近平の「活動報告」の中の経済についてのくだりと昨日の国家統計局の発表とを比べてみよう。
 活動報告の経済のくだりは以下の短い文節2か所である(横浜国大・村田忠禧名誉教授のAIによる仮訳を拝借する)。
 「われわれは引き続きの奮闘を経て、小康のややゆとりのある生活という中華民族の千年の夢を実現し、人類史上最大の規模の貧困脱却の難関攻略戦に勝利し、歴史的に絶対的貧困問題を解決し、世界の貧困削減事業に大きな貢献をした」。
 「われわれは新たな発展理念を提起し、それを貫徹し、質の高い発展の推進に力を入れ、新たな発展構造構築を推し進め、供給側構造改革を実施し、大局的な意義を持つ一連の地域的重要戦略を制定し、わが国の経済力は歴史的な飛躍を実現し、国内総生産は54兆元から114兆元に増え、わが国の経済総量が世界経済に占める割合は18.5%に達し、7.2ポイント上昇し、世界第2位を安定的に保っている。
 1人当たり国内総生産は39,800元から81,000元に増えた。穀物の総生産量は世界第1位、製造業の規模、外貨準備高は世界第1位を維持している。いくつかのカギとなるコア技術がブレークスルーを実現し、戦略的な新興産業が大きく発展し、有人宇宙飛行、月探査、深海探査、スーパーコンピューター、衛星航法、量子情報、原子力発電技術、大型航空機の製造、バイオ医薬などが大きな成果を収め、革新型国家の仲間入りを果たした」。
 短い文節と私は言ったが、その文節はほとんどご自慢のなにかの羅列に費やされている。経済発展についての基本的考え方、問題点とその解決法、成果の到達点と今後の目標、といった立体的な文章ではない。そしてそれはすなわち習近平という人物の頭の構造を示している。 
 そして昨日、発表されるはずの今年第2・4半期(7~9月)の経済指標はどんなものだったのか。勿論、発表されていないのだから推測するしかないのだが、今年に入ってからの経済成長率は、1~3月が4.8%だったのに対して、4~6月は「ゼロコロナ政策」の影響で0.4%(いずれも前年同期比)に下がった。
 しかし、コロナが一息ついた7~9月は、程度はどうあれいくらか持ち直すであろうというのが大方の予測であった。ただ政府は今年1年間を通じての成長率については「5.5%前後」という目標を立てているが、それは実現できそうもないというのが大方の見方である。おそらく発表が延期された数字はその状況に当たらずと言えども遠からず、といったところであったのであろう。
 それは習近平にとっては我慢ならない数字であったはずだ。それをぐっと抑えて、平静を保つ度量が習近平にはない。「こんなものをもちだすな!」と一喝したのであろう。おかげで習近平という人間の限界がまたも露呈してしまった。
 ところで、この人物はやたらに目標の数字を挙げて指示をだすので有名だ。たとえば「4つの意識」、「4つの自信」、「4つの全面」、「5つの一体」、「6の穏」、「6の保」といった具合である。
 いくつか説明すれば、「4つの自信」とは「路線の自信」「理論の自信」「制度の自信」「文化の自信」で、要するに中国の政策はすばらしいと言いたいのである。
 「4つの全面」とは「全面的な小康社会の建設」「全面的に改革を深化させる」「全面的に依法治国を堅持する」「全面的に厳しく(共産)党を管理する」である。
 経済となると、数が増えて「6」になる。「6穏」と「6保」というのがある。「6つの穏」の「6」は「就業、金融、貿易、外資、投資、予測」である。これらを安定させろというのである。しかし、これだけ並べると「なにもかもうまくやれ」というだけにすぎず、そこからはこれという政策の方向などは出て来ない。
 「6保」はどうか。「保居民就業、保基本民生、保市場主体、保糧食能源(エネルギー)安全、保生産錬・供応錬(サプライ・チェーン)、保基層運転(社会の基本システム)」である。「6穏」同様、あれもこれも安定させろというだけである。
 こういう「いくつのなんとか」はほかにもまだまだある。なにが基本か、をおさえることなく、各要素の相互作用に目を配ることもなく、あれも大事、これも大事、だからしっかりやれ、というのが習近平流である。
 こんなことを考えながら、あと数日、大会の様子を見ていることにしよう。(221018)

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