腐敗、失政の果てのネパール

――八ヶ岳山麓から(539)――

9月8日夜から9日にかけて、ネパールのカトマンズを中心に10代、20代のいわゆるZ世代を中心に反政府暴動が勃発した。きっかけは主に欧米系メディア・プラットホームの政府による遮断への抗議だが、大衆の怒りは支配階級の腐敗、失業と就職難、ネポティズム、なかでも権力者子弟への仕事と富の優先的配分に向っていた。政権によるSNSの遮断は政府批判の手段を一般大衆から奪うものだった。

11日までに死者31人(50数人とも)、負傷者1000人以上という事態に至った。統一共産党(ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義)のオリ内閣の閣僚の一部は暴行を受け、オリ首相やマオイスト(ネパール共産党統一毛沢東主義派)のプラチャンダなど有力政治家は国軍キャンプに保護されているというが、正確な行方はわからない。その後、スシラ・カルキ元最高裁長官(女性)が暫定政権の首相に就き、来年3月5日に総選挙が実施されるという。ネパール国軍はオリ政権側に立たず中立を保ち治安維持に専念した模様である。
それにしても、すさまじい暴動でありながら襲撃、焼き討ちされたのは政府機関や政府高官・有力議員の屋敷、外資系のヒルトンホテルなどに限られ、一般商店の略奪などがほとんどなかったのは奇跡に近い。デモを統制できる指導部の存在があるかもしれない。

ネパールは一人当たりGDPが1000ドル余、世界最貧国のひとつである。世界銀行によれば、昨年の同国における15~24歳の失業率は20.8%、およそ200万人が仕事を求めて国外に流出している。海外では労働災害が後を絶たず、死亡する労働者は年間1000人を超えるという。オリ政権によるSNSの遮断は彼らに海外親族とのつながりを失わせるもので、これも大衆を怒らせる原因となった。
2014年末、わたしもカトマンズからポカラの間を歩き、ひどい貧富の格差を目の当たりにしたし、賄賂なしに何もできないという嘆きは何回も耳にした。定期的停電と断水、すさまじい大気汚染、車の渋滞、幹線道路の未舗装、散乱するゴミも経験した。金持はしばしば起こる停電を自家発電でしのぐが貧乏人は蝋燭だ。カトマンズの飲用水と生活用水の費用は4、5人家族で月5000から6000ルピー。1ヶ月3万か4万ルピーの賃金だからこの負担は重い。

ネパールでは1996年から2006年まで教員上がりのプラチャンダ(本名プシュパ・カマル・ダハル)を指導者とするマオイストが反王政の武装闘争を展開した。10年余りの間に、人口3000万のネパールで1万3000人という犠牲を出す悲惨な内戦であった。
彼らの要求はインドへの従属状態からの脱却、王政の廃止と民主憲法の制定、軍の文民統制、ヒンドゥー教を国教とする宗教政策の改革、カーストによる差別の廃止、地主の土地を小作農所有とする土地改革などであった。一口でいえば差別と貧困からの解放である。
2006年11月山間部・農村を制圧したマオイストのゲリラ部隊が首都へ進出し和平が成立した。ゲリラ部隊はすったもんだの後国軍に編入された。
王政を打倒したのちの暫定憲法のもとで行われた制憲議会選挙でマオイストは第一党になり、プラチャンダは首相に選出された。ところが彼はまもなく陸軍総長解任を機に連立党派の支持を失って辞職した。ところがマオイストは2013年の選挙でも政権を取れなかった。わたしは、前述のような筋の通った政治改革のテーゼを持ち人々の支持を得て内戦に事実上の勝利を収めたはずなのに、なぜなのか不思議だった。

2014年12月、ネパールヒマラヤのアンナプルナとダウラギリの間の大渓谷カリガンダキを歩いた。カリガンダキからカトマンズに戻ったとき、山岳ガイド3人と話す機会があった。当時本ブログ拙文の中に、マオイスト敗戦の理由があると思うので引用する(八ヶ岳山麓から(130))。

「マオイストは内戦のときからやり方が強引だった。俺の家は耕地と家畜が多かったから、マオイストは息子を兵隊として出すか、さもなくばカネを出せと要求した。父は4、5年間毎年5万ルピーをマオイストに取られた」
「プラチャンダは(賄賂や特権によって?)金持になった。スピーチはうまいが、国の将来を真剣に考えているのか?地位とカネに目がくらんだのだ」
「マオイストはHONDAに1億ルピーの寄付を請求した。COSMOが通訳の一人をやめさせようとしたら、そいつがマオイストに訴えてスキャンダルになった」
「マオイストはよいことをいっぱい言った。だから我々は期待した。だが約束したことのうち実現したのは土地改革だけだ」
「いや、土地改革で地主から取上げた土地は半分だけだ。それすら全国で徹底したわけではない」
「賄賂社会はそのまま、いまもある」
「カースト制度や性差別などたいして改善していない。医療保険はないし貧乏人の生活は相変わらずだよ」
彼らの意見は、「政府が何をなすべきか誰もがわかっている。だが政党は議論ばかりで実行したことはわずかだ。共和制になってよいことがあったとすれば、言論の自由が実現したことくらいだ」ということになろうか。

9日の暴動についてネパールと国境を接する2大国家、中国とインドについて言えば、ネパールへの進出著しい中国は今回の暴動で大きな打撃を受けただろうが、表面では事態を静観している。中央テレビ局CCTVは簡単に暴動の概略を伝え、首都は平静を取り戻したと伝えただけである。
ネパールの経済を巡っては、中国に押され気味のインドにチャンスが巡ってきた。モディ首相はさっそくカトマンズとの関係を回復しようとするだろう。だが、中印両国は現時点でネパールの市場を巡って対立する理由はない。トランプ関税が怒りの対象であるのは中印とも同じである。最近中印両国高官の往来が頻繁になり、関係改善にむかっている。

ネパールは西側社会から見れば不思議な国で共産主義勢力が強く、2006年ギャネンドラ国王の親政が廃止されて以来、マオイストと統一共産党と、王政時代からの政党でネパール国民会議派(コングレス)の3大政党が妥協と対立をくりかえしながら政権を担ってきた。
9日の暴動は、内戦でマオイストが約束した目標、山岳ガイドたちがわたしに語った政党への不満がそのまま今日まで続いていたことを物語っている。王政は打倒したが、マオイストと統一共産党、この二つのコミュニスト政党は旧支配者同様、権力の維持、贈収賄に忙しく、20年近く就職難と失業、貧富の格差、環境汚染、電気と水の不足、地域・民族差別などの社会問題解決のために働かなかったのである。

共産主義者は権力を握ると、それまでの理想を捨てどうしてこうも簡単に堕落するのだろうか。国家体制に統治権の乱用防止機能がないからか、それにしても中国では権力者の腐敗は毛沢東時代から習近平時代まで、ベトナムはアメリカに勝利してまもなく国家幹部の収賄が取りざたされ、これも今日まで続いている。

今後ネパールの政局を左右する中心勢力はどこか。既成政党は、当分復活はできない。中国もインドも直接手は出せない。警察が暴動によって無力になった現在、実力を持っているのはネパール国軍しかない。軍がどう動くかが総選挙を含めてネパールの今後を決定するのではなかろうか。(2025・09・18)

初出:「リベラル21」2025.10.02より許可を得て転載
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〔opinion14455:251002〕