◆2013.1.15 新年早々、次々と自公政権の「公約」が実行されていきます。「国民の審判」の名の下に。マスコミ論調も経済政策中心で、原発や放射能の話題は、隅の方で小さくなってきました。いや大きいのは安倍首相の原発再稼働の熱意か、経産省と電力会社等「原子力ムラ」が、公然と「新安全神話」を語り始めました。民主党政権から変わったように見えますが、変わらないものもあります。消費税上げはしっかり引き継いで、公明党との微調整で実施の準備。沖縄辺野古への普天間基地移転やオスプレイ配備の容認も継承します。もちろん「日米同盟」中心主義も。変わるものは、経済政策だけではありません。どうも大臣の配置からみると、教育政策が大きく動きそうです。学校でのいじめや体罰も、自民党にとっては「愛国教育」に再編するテコか、週6日制への回帰や6・3・3・4制、教科書検定の見直しも始まりそうです。教育再生実行委員会は、要注意です。自民党政権への復帰が何をもたらしたかを、7月参議院議員選挙の審判材料になりますから、しっかり記録し、記憶していきましょう。虹色のネットワークを準備しながら。
◆正月は、H・G・ウェルズと『仁科芳雄往復書簡集』を集中的に読みました。なぜウェルズかというと、「原子力」や「原子爆弾」という言葉を小説に登場させた1913年執筆『解放された世界』をじっくり読むと、彼はまず原子力の「産業利用」ができてから、世界戦争での「原爆」につながったといいます。しかもその理由が、原子力の産業利用で「熱気をはらんだ企業の光景、この巨大な生産力、この幸運な金持ち連中の群がる様」は「人類の新紀元開幕期の輝かしい一面」だが、「石油に投資された莫大な株式資本は売り物にならなくなり、何百万の炭鉱労働者、旧式の工場で働いていた鉄鋼労働者、無数の職業に携わっていた未熟練労働者、もしくは反熟練労働者たちの大群は、新しい機械のめざましい効率性によって、解雇されつつあった」と格差を拡大するといいます。その延長で世界戦争になり、原子爆弾が使われ、「世界共和制」が必要になる、というのです。フェビアン社会主義者の面目躍如です。つまり発案者ウェルズの方は、仁科芳雄・武谷三男らに導かれた「原子力時代」の夢、50年代日本世論の「原爆反対、原発歓迎」ではなく、原子力そのものが暴走する問題性をイメージしていたからこそ、国際連盟や国際連合にも満足せず、科学技術の統御可能な「世界政府」「世界共和制」を晩年まで主張しました。名著『世界史概観』(岩波新書)から晩年の『ホモ・サピエンス 将来の展望』(新思索社)まで、結論だけは柄谷行人さんと同じです。
◆ウェルズは当時の世界の名士ですから、1920年9月に革命直後のロシアを訪問し、レーニンと会見しています。そこでレーニンはウェルズを「ブルジョアの俗物」と一蹴したことになっているのですが、ウェルズの方は、「不可避的な階級闘争、再建への序曲としての市場主義秩序の崩壊、プロレタリアートの独裁等々といったマルクス主義のドグマ」には反対しつつ、「クレムリンの夢想家」レーニンの「ロシアにおける大発電所の開発計画に賭けている」姿、「電気技師のユートピア」に注目しました(『影のなかのロシア』みすず書房』)。実はその3か月後の1920年12月第8回全ロシア・ソヴェト大会で、「共産主義とは、ソヴェト権力プラス全国の電化である」という、後に日本の左翼の「原子力の平和利用」受容に決定的ともいえる影響を与えた、レーニンのテーゼが語られます。1926年のトロツキーは、ウェルズの「空想小説」を引いて、「放射能は唯物論にとって危険なものでは決してなく、弁証法のもっとも見事な勝利なのだ。……放射能の諸現象は、原子内のエネルギーの解放という問題にわれわれを連れていく。原子は、全一的なものとして、強力な隠されたエネルギーによって保たれているのであり、物理学の最大の課題は、このエネルギーを汲み出し、隠されているエネルギーが泉のように噴出するように、栓を開くことにある」と科学技術発展=自然征服の夢を語ります(『文化革命論』現代思潮社)。どうやらロシア革命の指導者たちは、ウェルズのサイエンス・フィクションにヒントを得ながら、「原子力の平和利用」を夢見たようです。
◆ ところが日本に入ってくると、ウェルズの予見した原子力産業化の陰の部分は捨象され、本サイトでたびたび参照してきた(ウェルズ=レーニン会見の直前)1920年8月のモダニズム雑誌『新青年』第8号掲載岩下孤舟「世界の最大秘密」のように、「原子爆弾による米国本土爆撃か、失業も社会問題も一挙解決の便利な原子力家庭か」の二項対立にされ、素朴な「科学技術の中立性」「生産力発展=自然の征服」観から、「原爆」に戦争・恐怖・破壊・危険が、「原発」に平和・希望・建設・安全が、ふりわけられます。文学者ばかりでなく、『仁科芳雄往復書簡集 3』(みすず書房)をじっくり読むと、どうも仁科芳雄・湯川秀樹・武谷三男ら戦時日本の原爆開発にたずさわった核物理学者たちまでが、そう考えていたようです。新年更新でさりげなく触れた、1945年1月8日付『朝日新聞』掲載の湯川秀樹博士等自然科学者たちがみた初夢も、そんな日本的「科学」観を示しているように見えます。安倍内閣の逆流はあっても、本サイトは、今年も2011年3月11日にこだわり、「原爆と原発から見直す現代史」を探求していきます。更新が予定より一日遅れたのは、学生時代の親しい友人の新年早々の突然死、東京の街が真っ白になった中で、天に召されました。60歳を過ぎた頃から、年長の大先輩ばかりでなく、同年輩の友人が一人、また一人と、旅立って行きます。「スピード」より「ゆとり」が必要なのが、今の日本です。安倍内閣のスピード違反に、くれぐれもご注意を!
--------------------------------------------
◆今年の本サイトの基調となる『エコノミスト』臨時増刊「戦後世界史」(2012年10月8日号)掲載「原爆と原発から見直す現代史」が、アップされています。あわせて、3・11以後の原爆・原発関係のファイルを、情報学研究室の「専門課程3 原爆と原発の情報戦」にまとめました。原発シリーズのデータベース第1弾「占領下の原子力イメージ」、第2弾「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」に続いて、新たに今年5月の明治大学講演資料を、第3弾「反原爆と反原発の間」が入っています。それらをもとに書いた論文は、『インテリジェンス』誌第12号に加藤「占領下日本の情報宇宙と『原爆』『原子力』ーープランゲ文庫のもうひとつの読み方」(文生書院)に、その要約版が歴史学研究会編『震災・核災害の時代と歴史学』(青木書店)「占領下日本の『原子力』イメージーー原爆と原発にあこがれた両義的心性」と題して、それぞれ公刊されています。そこで話題になった私の発見、占領期の広島「アトム製薬」の売り出した「ピカドン」という薬の秘密を、こうした問題解明をリードする『東京新聞』『中日新聞』特報部の皆さんが現地で追跡調査し、2012年9月25日の特集「日米同盟と原発」に、「ピカドンで、頭痛忘れて玉の汗」という広告文と共に記事にしてくれました。図書館の書評欄に、『図書新聞』2012年9月1日号掲載矢吹晋『チャイメリカ』(花伝社)書評「ジャパメリカからチャイメリカへ?」と共に、「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」DBと直接関係する武谷三男批判の名著、廣重徹『戦後日本の科学運動』(こぶし文庫)を論じた「『原子力村』生成の歴史的根拠を曝く」という短文を入れました。同書復刻版に挟み込まれた『場』43号(2012年9月)という栞への寄稿で、廣重夫人三木壽子さんと一緒です。「原発ゼロ」への歴史的検討では逸することのできない本ですので、ぜひご参照ください。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔eye2154:1301157〕