自立した帝国主義へ歩む日本――南京大虐殺と安重根におもうこと

――八ヶ岳山麓から(101)――

3月23日夜、オランダ・ハーグで韓国の朴槿惠(パク・クネ)大統領と習近平中国国家主席は、1909(明治42)年に初代韓国統監伊藤博文を暗殺した安重根(アン・ジュングン)注1)の記念館が今年1月ハルビンに建設されたことを高く評価した。習氏は、抗日朝鮮人部隊「光復軍」注2)記念碑を西安に完成すると説明し、朴氏は「意義深く思う」と述べたという(日刊各紙2014・3・24)。
3月28日、習近平主席はベルリンで講演し、日本軍国主義の中国侵略を糾弾し、中国人は「日本侵略の歴史を忘れることはない」と訴え、日中戦争時に日本軍が南京を占領した際の大虐殺に言及し「日本は30万人以上を虐殺し、日中戦争で3500万人以上死傷させたと述べた(共同・信毎2014・3・30)注3)。

これに対し菅義偉官房長官はあきれるくらい堂々の反論をした。
「安重根に関する立場は日韓でまったく異なっている。一方的な評価に基づく主張を韓国と中国が連携し、国際的に展開するような動きは、地域の平和と協力の構築に資するものではないと言わざるを得ない」
また、習近平主席の発言に対しては、「日本政府も南京事件における旧日本軍による殺傷や略奪を否定しない」としながらも、習氏の講演を「非生産的」と非難し、「虐殺30万以上、死傷3500万人以上」という数字には「第三国に行ってまで日本の歴史を取出してこのような発言をすることはきわめて遺憾だ」とこれを非難した。

安重根は朝鮮人民にとって英雄であり、菅氏のいうように、日韓でまったく評価が異なる。安重根を単なる殺人犯だと見なすことは、日本の朝鮮支配は正当だとするところにつながるだろう。私は安重根の「犯行現場」のハルビンと、彼が絞首刑になった旅順を訪れたことがあるが、囚人とされてもなお堂々たる態度であったということを知り、その心情にうたれた。
菅氏の南京事件をめぐる発言は、中国世論に「日本政府は南京事件を否定した」と受止められる。日本では意外かもしれないが、中国社会では「南京虐殺30万、死傷3500万」はきまり文句であって、動かすことができない。そういわなければ、南京事件そのものを否定するものとみなされるのである。日本政府内では、少なくとも外交当局はこうした中国社会の感情をよく承知しているはずだ。

菅氏はなぜこのように強硬だったか。
ねらいは簡単、両国を挑発し、日本国内世論の反中反韓感情を強め、緊張を維持するためとしか思えない。安重根評価といい、南京大虐殺といい、排外主義を煽るとすれば、菅氏の発言はじつにマトを射ていた。日中韓三国の緊張関係をやわらげようとするなら、「村山談話」「河野談話」を維持するなど別ないいかたがある。うまくいえないなら黙っていればいいのだ。
ありていにいえば、東アジア4国間の緊張関係が増せば増すほど、日本の国家主義は力を得る。北朝鮮が軍事挑発をやり、中韓両国が居丈高に対日批判をくりかえすのは(両国ともそれなりの国内事情があるからだが)、日本世論をまちがいなく右傾化させる。
中国外務省関係者によれば、習政権は日清戦争の開戦120周年に当たる今年を「日本の軍国主義勢力と闘争する1年」と位置付けているそうだ。安倍晋三氏などにとっては願ってもない「支援」である。オバマ米大統領の仲介で日韓首脳は握手したが、和解・協力の道が開けるのは国家主義勢力にとってはむしろ迷惑である。
アメリカ政府は安倍首相の靖国参拝を止めに入った。にもかかわらず参拝を強行したのは、「いつもいいなりになるとは限らないんだぞ」というアメリカへ向けたメッセージである。
米政府が靖国参拝に「失望」を表明したのに対し、安倍側近はすかさず強烈に反発して、彼らが「戦後レジームからの脱却」の強固な意志を持つことを示し、さらにオバマ米大統領は日本にとって頼りにならないと発言した。アメリカ・ネオコンに親和感を持つ右翼メディアはオバマ批判を日に日に強めている。

安倍首相が「侵略の定義は定まっていない」「東京裁判は勝者による断罪」「戦後体制に指一本触れられないとのマインドコントロールから抜け出す必要がある」など、きわめて率直に心情を吐露したのは、ついこのあいだのことだった。
その後、安倍内閣は秘密保護法の制定、武器輸出三原則の変更、改憲手続きにつながる国民投票法の改定、集団自衛権容認へとことをすすめ、「憲法九条撤去」の外堀を埋めている。民主党をはじめ野党のほとんどは、「国民投票法改定案」に賛成し、なんだかんだはいうけれこども集団自衛権容認に傾いている。
自民党にしてみれば、安倍首相が尊敬する祖父岸信介が夢見た、「戦後レジームからの脱却」、自主憲法制定、「強兵」、対等の日米軍事同盟、さらに自立した帝国主義への道をいま歩み始めないでなんとする、ということになる。決戦のとき至ったのである。

いま日本社会には国家主義という妖怪が闊歩している。
景気もいわれるほどには上向かず、不安と貧困が拡大するなか、極右イデオロギーは急速に成長している。東京では、とうとうベビーカーも交えた女性団体「花時計」が街頭で、「現行憲法の破棄」「一家の長は夫、妻は内助」を叫び、大日本帝国憲法への回帰を促す「愛国運動」をはじめたという(信濃毎日新聞2014・4・7社説)。
この正念場にあって、左翼政党には小異を捨てて大同につく構えが全然ない。護憲勢力はソ連崩壊と日本社会党の解党以来今日まで、衰退の一途をたどった。前回参院選で共産党は当選者を増やしているが、これは他に受け皿がなかったというにすぎない。自民党内の護憲派をふくめても国会の3分の1に及ばない。安倍晋三氏は使命感を持ってことを精力的に進めているのに、護憲勢力はバラバラ、どんなにあがいても抵抗は犬の遠吠え程度である。
日本は確実に自立した帝国主義への道を歩んでいる。もう後戻りすることはほとんどない。日本の左翼は、将来歴史的責任を問われることになるだろう。

注1)安重根(1879~1910)
伊藤博文暗殺より14年前、1895年10月、日本の公使館員・朝鮮駐留の日本軍人・領事警察・「浪人」らがソウル王宮に乱入して親ロシア・抗日派の王妃閔氏を殺害した(角田房子『閔妃殺害』新潮文庫)。その後、1905年には第二次日韓協約(韓国では乙巳保護条約)によって大韓帝国は日本の保護国となり、韓国統監府が設置されると伊藤博文が初代統監に就任した。安重根の伊藤博文暗殺後、速やかに「日韓併合」にいたる。
注2)「光復軍」
1940年重慶で組織された韓国臨時政府下の抗日朝鮮人部隊。中国軍とともに各地で戦ったといわれる。ここでは西安で訓練を受けた部隊を指すものと思われ
る。金正恩の祖父金日成が組織したといわれる中国東北の抗日パルチザンとは異なる。
注3)「南京虐殺30万以上」は、江沢民・元中国共産党総書記が訪日後、激しく反日意識を煽ったとき以来強調されるようになったもので、中国でも(公然と異論を唱えられるか否かは別として)研究者はこの数字を確定したものとは認めていない。南京事件研究の第一人者笠原十九司は「虐殺30万」説をとらない。「十数万以上、それも20万近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される」としている(『南京事件』岩波新書、『南京事件論争史』平凡社新書)。

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