1997年『水滴』で第117回芥川賞を受賞した目取真俊(めどるましゅん)氏が、米軍キャンプ・シュワブ沿岸海域の制限区域に入ったとして在日アメリカ軍の警備員によって身柄を拘束されたのは、今年4月1日のことである。氏は8時間後に釈放されたが、3日、釈放後初めてシュワブゲート前に姿を見せ、支援者の前で「濡れたままの姿で長時間いた。基地内では外部と連絡が全くつかず弁護士との接見もできなかった。米軍も名護署も海保(第11管区海上保安部)も(想定外の拘束で)対応に困り時間がかかったのではないか」と語った(琉球新報4月4日)。
この件について本土でもスポーツ紙を含む各新聞・テレビが取り上げ、翁長雄志知事は3日、記者団に対して目取真氏の拘束は理不尽であり、経緯を確認したいと話した。そして、6日には700人(主催者発表)が北中城村の米軍キャンプ瑞慶覧(ずけらん)ゲート前で緊急抗議集会を開いた。氏は支援者に向かって「基地の中に連れ込まれて監禁状態になると、中の情報を外部はつかめない。治外法権が金網の向こうにある。日本の警察を差し置いて、米軍が直接沖縄に対して弾圧している。私たちを弾圧することは許さない」と訴えた(琉球新報4月7日)。
沖縄県の翁長雄志知事による辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しに関わる代執行訴訟で、「政府・沖縄県双方が訴訟を取り下げて移設工事を中止する」という福岡高裁那覇支部の「和解案」を政府はようやく3月4日になって受け入れた。ただし、政府は「辺野古移設が唯一の解決策である」という姿勢は変えておらず、辺野古沿岸部の立ち入り禁止区域を示すフロートの撤去も行わなかった。当然、移設反対運動は継続された。目取真氏の拘束はそういう状況下で起こったのである。
その政府が4月30日になってフロートの撤去作業を始めた。和解後の沖縄県との協議の結果であるが、安倍政権としては夏の参院選に向けてのさまざまな思惑が働いているのは明確である。辺野古問題は沖縄県内の問題にとどまらず、安倍政権の今後の政策、とりわけ憲法「改正」やアメリカを中心とする安全保障の問題などに決定的に関わっているのだ。
そこで、目取真俊氏が6月5日に本土へ切り込みをかけてくることになった。主催は近田洋一・月桃忌の会である。皆さんのご参加を切に願うものである。
近田洋一・月桃忌の会(チラシより)
「近田洋一・月桃忌の会」は、1950年代後期から2000年代初めにかけて、沖縄と埼玉の地で、新聞記者として反戦・平和を「ペン」に託し、68歳で死去したジャーナリスト・近田洋一の遺志を継承し、暮らしの中に活かしていこうと活動する市民の会です。
近田洋一・月桃忌の会事務局
代表;松永優 070-5021-4195
gettouki@gmail.com
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