菅内閣をもう少し使ってはどうか -暴論珍説メモ(99)-

著者: 田畑光永 たばたみつなが : ジャーナリスト
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 新しい年が明けた。人はその時、なにがしか新しい希望を抱きたくなるものだが、今、この国には残念ながらこれという国としての希望が見えない。どこへ向かうべきかが分からず、あるいはどこへ向かおうにも足を進めることができず、立ち尽くしているように見える。そしてそれは菅内閣の姿に重なる。
 迷走する政権に国民はいらつき、もう少しましな政権を!という声が高まるに違いない。しかし、そう叫びだしたい一方で、また与野党入り乱れて「我こそは」の合唱を聞くうっとうしさとそれに費やされるエネルギーと時間の無駄を想像し、そして果たして「ましな」政権が出来るのかと冷静に考えると、政権交代はしばらく願い下げにしたいという思いもまた頭をもたげてくる。
というわけで、ここではあえて「菅内閣にもうすこしやらせよう」と提言したい。
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 菅内閣の評判はすこぶる悪い。マニフェストを守らない、外交でやられっぱなし、いざという時に腰が定まらない、失言が相次ぐ、党内抗争に明け暮れている、選挙に負ける・・・結果、支持率は下がり続けて、今や20%台前半へ。危機ラインである。
 しかし、考えてみるとここ10年余り、われわれは世間的な意味で評判のいい内閣を持った記憶がほとんどない。小泉内閣の登場当初の2年ほどと、一昨年の政権交代直後の鳩山内閣の数ヶ月を例外として、そのほかは追われるように政権の座から降りる総理の姿しか思い浮かばない。
 政治家の質が劣化したのか。それもないとは言えないのだろうが、歴代総理の顔を順番に思い出してみると、単純な一つの公式が見えてくる。経済が順調かまあまあ順調の時期の総理はそれなりの総理に見えるが、そうでない時期の総理はダメ総理にしか見えないという公式である。経済状況が思わしくないと、実際には政治にできることは極めて限定的であっても、政治への期待が大きくなるだけに政権への失望も大きくなるのであろう。
 高度成長期の池田、佐藤時代は別として、それを受け継いで登場した列島改造の田中角栄は、金権体質をきびしく批判され、収賄で有罪判決を受けながらも、一般にはそれほど悪印象を残していない。戦後政治の総決算の中曽根康弘も、いい恰好しいの点取り虫といわれながらも、今や大宰相であったかのごとくに振舞えるのは、オイルショックから立ち直った日本経済が経済大国の地位を謳歌した時代の総理だったからであろう。小泉内閣の初期もバブル崩壊後の「失われた10年」から立ち直りかけた時期の空気に、改革なくして成長なし、民にできることは民に、のスローガンがマッチしたのだ。
 とすれば、リーマン・ショックの後遺症を引きずっているうちは、だれが総理になろうと世評に対しては大きなハンディを背負って走らねばならない。もっとも鳩山内閣は55年ぶりの政権交代という大きなプレミアムつきで誕生したから、ハンディの負担は軽かったはずだが、如何せん普天間の迷走と自身のカネの問題で自爆した。

 そこで菅政権である。政権交代のプレミアムはすでに賞味期限切れに近く、鳩山が残した「政治とカネ」の処理が新しいハンディに加わってのスタートとなった。そして半年、評判は前述の通りである。
 この間の経済情勢はどうか。内閣府の発表によれば昨年7~9月期のGDPは年率+4.5%で悪くはなかったが、10~12月はエコカー補助金などの期限切れでマイナスに転じたと見られるから、全体としてはよかったとはとても言えない。デフレからも抜け出せていない。12月30日、大納会の東証日経平均は10228円で1年前の大納会の10546円に比べて3%のマイナスであった。
 昨年1年間の株価を国際的に見ると、米が11.1%、独が17.4%上げたほか、近隣では韓国21.4%、台湾8.3%、香港5.0%、シンガポール10.7%と軒並み上げているから、確かに日本の停滞が目立つ(但し、高度成長の中国の上海総合はマイナス14.3%)。
 しかし、この不振の原因はと言えば、つまるところ円高の進行につきる。年初1ドル90円台前半だった円相場は夏場に向けて上がり始め、9月15日には政府・日銀が2兆円規模の市場介入を6年半ぶりに行ったが効果はほとんどなく、11月初めには80円ぎりぎりにまで上り詰めた。それと歩調を合わせて輸出と生産は夏以降勢いを失った。
 しかし、円が高くなるというのは言うまでもなく他と比べて日本の経済が、したがって円が比較的安定していると見られているということである。自覚症状はどうあれ、他人がそう見ることをやめさせるわけにはいかない。一日に総額4兆ドルとも言われる国際金融取引に2兆円くらいの介入ではどうにもならない。つまり円相場は政府の手の届かないところで上がったのである。
 とはいえ、「政府はなんとかできないのか」と思うのは人情だから、それに答えられない以上、評判が悪くなるのは必然である。
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 次に菅内閣自身がしたことはどうだったか。何も出来なかった円相場とは逆に「政府はいったい何をしてるんだ!」と国民を憤激させたのは、尖閣列島をめぐる一連の処置であろう。
領海を侵犯し、巡視船に体当たりしてきた中国船の船長を逮捕し、「粛々と国内法で処理する」と言いながら、突然、「那覇地検の判断」で釈放したのはいかにもまずかった。釈放するなら堂々と「高度の政治判断」と言えばよかったのだ。しかもその後、中国の要求を容れたのか衝突の映像を非公開としたら、それがまた内部から流出するという事態となった。ボタンの掛け違いから収拾がつかなくなった形である。
 このぶざまはぶざまとして、ことの結果はどうだったか。なにはともあれあの偶発事件から日中関係が取り返しのつかないところへ暴走することはなかった。国民に憤懣のタネは残したが。
 じつは中国が自国の広大な市場と拡大した軍事力を背景に国際社会であからさまに自我を通そうとし始めたのはつい最近のことである。去年からといってもいい。今、世界中がそれにどう対応するか頭をひねっているところである。
 いい例が先月10日、ノルウエーのオスロで行われたノーベル平和賞の授賞式である。政権転覆扇動罪で獄中にある民主活動家、劉暁波氏への授賞に怒った中国政府は各国へ授賞式ボイコットを呼びかけた。異例というか馬鹿馬鹿しい話である。授賞式前、中国外務省の報道官は世界がこの授賞に抗議するだろうと大見得を切ったが、実際に式をボイコットしたのは事前予想の19カ国を2国下回る17カ国であった。中国の圧力外交失敗の図であるが、欠席した国を見ると、ロシア、パキスタン、イラン、アフガニスタン、キューバ、サウジアラビアなどを除くと、アセアン加盟国の大部分がそこに名を連ねている(タイを除く)のだ。
 アセアンの多くの国は南沙群島の領有権をめぐって中国と対立しているが、同時に中国との経済関係もそれぞれにとって不可欠である。これらの国にとっても中国のあからさまな圧力に屈することは耐えがたかったに違いないが、国益を冷静に判断した結果であろう。
 しかし、こうした結果は中国にとってどうであったか。尖閣で日本を押し切り、ノーベル賞でアセアンを屈服させた、万々歳ということになるだろうか。中国国内にはそう思っている勢力もいるであろうが、中国が世界で失ったものも大きいことは客観的事実だ。中国自身もそれに気づくときが遅かれ早かれ来るはずだ。
 だからぶざまでもよかった、という気はないが、にわかに座った大国という椅子に戸惑い、早くそれを実感したいと浮ついている隣人に泥をかけられたからといって、本気で喧嘩をすればどうなったか。国民を憤激させないではすんだかもしれないが、つまらぬ遺恨を双方に残すことになったろう。
 意図したわけではなかろうが、この事件はああするのが大人の態度であった。ほかにうまい解決策があったようには思えない。しばらくの間、菅内閣は上着に大きな泥のシミをつけたまま暮さなければならないが。
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 そのほかに政策面で菅内閣がやったことといえば、法人税の5%引き下げ決定、TPP(環太平洋協力協定)参加への協議開始決定、くらいのところであろうか。これらにはいろいろ議論がある。しかし、結論はまだこれからだ。これをしたからだめ、というには早すぎる。
 一方、しなかったこと、約束を守れなかったことはなにか。これは枚挙にいとまがない。子ども手当て、高速道路無料化などのマニフェストの諸事項、政治と金(これはようやく小沢氏の政倫審出席だけは何とかなりそうだが)、普天間などなど。しかし、これらは誰か別人がやれば出来ただろうか。なにしろ、2年続けて税収よりも多額の国債を発行し、さらに7兆円以上もの「埋蔵金」を取り崩してやっと予算案ができるような有様である。政権は物心ともに身動きままならぬ状態にあるのだ。
 菅内閣を弁護しているのではない。誰に代えたところでそんなにましな政府はできそうもないと言っているのだ。だとすれば、ここは「政権交代」を仕分けして、ムダを省き、2年目ともなれば、仮免を卒業して多少は運転もうまくなることを期待して、菅内閣をもうすこし使い込んでみてはどうか。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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