評論  帝国とマルチチュード

 ネグリのいう「構成的権力」とは、一口に言うと、ひとが生きることを第一においた世界に向けて、協働的な力を高め政治的民主主義を結晶させる力のことである。かつて、資本主義がうみだした生産能力をより発展させ民主主義を実現する過程においては、プロレタリアートの権力(独裁)が必要だった。それは一国レベルの必要条件ではなく世界的意味を含んでいたが、当面の敵は自国の権力を握るブルジョア階級に対する闘いだった。だが、ネグリは、現在における主権の争奪戦の舞台は世界に変わってきたとして、グローバルな主権と「マルチチュード」の対立の深まりという新たな舞台設定をおこなったのである。このような世界認識を受けて彼の社会主義構想では、新しい生産諸条件において自由な生産をつうじて富を形成するための権力を共同で管理することを提案している。彼によれば、その新しい生産諸条件をささえるのは知的、情報的、協働的な社会階層であり、この階層こそが民主主義実現の政治的綱領をつくることができる「主体」とされている。しかし、ネグリの思想の特異さはそれだけではない。この情報化社会を担っている知的、情報的な「主体」の構想の前提とされているのが、資本主義の支配がそれを必要としているという理由によって、ひと、モノ、マネーの流れが一国の壁をこえて左右にあふれだした事実を資本の拡大ととらえたことである。しかも、その資本の拡大を一足飛びに国家を超えた「帝国」の支配と結びつけた。そして、「帝国」の主権に対応するように旧来の世界をつなぐ「プロレタリアート」の概念を、経済世界の事実としても政治の事実としても横断的に世界を覆うもうひとつの力に見立てた点である。それがネグリのくりだす「帝国」、「主権」、「主体」、「権力」、「マルチチュード」という概念が、政治的、社会存在論のいずれのレベルにおいても、どこかで既視感をおぼえさせてしまう原因になっている。つまり、マルクスは社会変革の「主体」に仮託したのだが、もはや死語になってしまった「プロレタリアート」が、世界中をかけまわる既成事実となって動き息遣いしているかのように眼前にあらわれたのである。
 これはどういうことであろうか。ひとつは、ネグリの概念そのものが含む意味の横幅がひろい割には時間性がゆるい(浅い)ため、マルクス主義の概念を知っているものからすると、その概念の上に概念が上書きされた跡がうきあがってみえてしまうことになったのである。たとえば、知的、情報的な「主体」という概念には、いわば情報産業の中枢とおもわれている一日中パソコンの前で株価の推移を眺めている銀行や証券会社のデスクの光景だけではなく、中小企業や農家の経営診断にもむすびついていることがわかる。いまではネットワークは誰でも日常生活のどんな場面でも使われるから、そこに情報交通の担い手をさがそうとしても、ほんとうはどこにもそのような「主体」は存在していない。これは現実には株式の取引をおこなったり、土地や家屋の資産を運用しているブルジョアであってプロレタリアであるひとが存在するからといって、絵に描いたような「プロレタリアート」が存在しないようにみえることとはちがっている。マルクスの想定している「プロレタリアート」の条件とは、現実的な生産と消費行為の中で、もっぱら生産的消費をしなければならないひとたちの論理的事実を指すから、自己消費としてマネーゲームをしていることは「プロレタリアート」の概念となんら矛盾しないからだ。それにひきかえ、知的、情報的な「主体」というのは、不特定多数の観念的な生産行為、消費行為を包括的に指す以上のものではないので、それを中心に担う階層に関する言葉の意味は、パソコン操作に習熟したものたちの数に応じてどこまでも拡散してしまう。
  ネグリは、おそらく「主権」、「主体」、「権力」、「自由」などの言葉の概念が誕生する場所まで下降して解体する方法を見失ったにちがいない。そのため、それらの基礎概念の上につくられた「帝国」と「マルチチュード」の概念は、冷戦時代の自由主義ブロックと社会主義ブロックの対立のように、いまにも崩れ落ちそうな砂上の楼閣の予感を含んでいるのである。ネグリが世界の対立軸として想定したのは、古典的なブルジョアとプロレタリアの対立に見合う「帝国」と「マルチチュード」の対立であるが、そもそも、これらの対立がつくられたはずの相互の関係そのものが観念的な多義性をかかえており、それが障害になって脱構築が徹底できないのである。その結果、スピノザやマルクスの概念を一般的なヒューマニズムの中に溶かし込むことしかできていないようにみえる。
ネグリは、マルクスの「プロレタリアート」の概念を字義どおり、「マルチチュード」の概念に重ねようとした。ところが、ネグリが見落としていたのは、マルクスの「プロレタリアート」の概念の中には、歴史を縦断する被支配者階級の最後の姿としての歴史的時間を宿していたことだ。だからこそ、歴史の消えゆく最後性の象徴としての「プロレタリアート」の否定性が存在した。それにくらべると、「マルチチュード」の概念には発生史(起源)の契機がぼやけており、なにより自分が現実の歴史空間に存在しているという自意識を欠如させているのである。これはネグリが自らの思想的根拠をドゥルーズやフーコーと関連づけて説明する際にも、ポスト近代という前に「近代」を定義する作業そのものが思弁的な方法でなされていることと関係しているようにおもえてならない。

≪フーコーが近代的なものの運命、生権力となって完結しているもの、すさまじく破壊的で虚無的な存在の思想を超越論的な仕方で構築しているものを拒否するとき、フーコーがニーチェをつうじてハイデガーを拒否するとき、彼はひとつの構成的な要求をふたたび獲得しているのです。彼が超越論主義に対抗して生産と主体性について語るとき、実際には、スピノザの箴言を繰り返しているのです。「身体がなしうることをきみたちは知らない!」というのがそれです。≫『<帝国>的ポスト近代の政治哲学』アントニオ・ネグリ著 上村忠男監訳

 フーコーは「生権力」の根拠について、近代国家の統治化が行政組織、官僚組織の合理性に裏づけられたものだと述べている。この合理性は直接には18世紀の啓蒙思想によってもたらされたものだが、個人を対象としながらも、その個人を継続して支配するための政治技術の発生は、さらに旧約聖書の中の「牧人権力」までさかのぼるとしている。古代のオリエント社会やエジプト、アッシリア、ユダヤ地方では、王の権限は羊を操る牧人とみたてる思想があり、それは神=羊飼いと家畜の群れの関係であらわされた。その際、牧人が呼び集めるのは離散した群れの個々であるが、群れは牧人によってはじめて生きながらえるものであった。そういう牧人はすべての羊が一頭残らず満腹でいられるよう恒常的な慈愛も必要であったから、牧人は寝ずの番を義務づけられることになる。
こういう思想はのちにキリスト教に引きつがれる。その中で、牧人と群れの個々の支配のメカニズムは自他の関係だけではなく、内面化して自分自身に対しても振舞われるようになる。その概念は責任概念の発生とともに、従順、個別化、良心の指導、抑制(現世と自己の放棄)に結びつく。こうしてキリスト教的牧人思想は、生と死、真理、個人、アイデンティテイのゲームをこの世界に導入したのである。フーコーは、これらの思想は中世の封建社会をとおして教会のうちに生き残り、近代社会に巧みに組みこまれたという。それは近代の政治的合理性として国家理性の理念と行政理論のイデオロギー体系の中で定着し、統治技法にかかわる合理性を強めるようになる。この統治は土地、領地を対象とするものではなく、国家そのものの力を強めることが目的であり、その技法は具体的で、正確な政治的「統計学」とか「算術」と名づけたものの発展と密接に関係していた。つまり、国家理性とは、神や自然法あるいは人間の法にしたがって統治をおこなう技法をさすものではなく、国力に従って統治し、国力を拡張的かつ競争的な枠組みの中で強化していくことを目的とするような統治の形態を実現することだったのである。
 もちろん、フーコーにこのような歴史縦断的な方法をもたらしたのは、この国家の合理的統治制度そのものが悪魔的な社会であることに気づいたからである。なぜなら、人間と事物の関係を被って個々人の活動へ統治が介入することは全体主義社会を意味していた。行政機関はさらに食物、健康、衣服、住居、工業、商業、安全、労働、道徳にさえ介入しはじめ、それを加速させ、ますます国土、住民、都市を観察する「統計」と統治技法が必要になった。こうしてフーコーの歴史観は、歴史に偏在するそういう権力の束をかさねた集合点として、自意識のなかに「近代」をよびこみ位置づけることによって、その「近代」の概念そのものを徹底的に解体しようとしたのである。
 ところが、一方にはマキァヴェッリからスピノザ、マルクスにいたる存在論的、民主主義的、内在論的な思想的系譜が存在し、片や、ホッブズ、ルソー、ヘーゲルにいたる観念論的で根っからの反民主主義的な系譜が存在するなどと呑気に解説しているネグリは、スピノザの存在論から摘みだした「自由」がどこから発祥し、どこまでの歴史的ひろがりをもつかを示すことができなかった。ネグリはスピノザの口を借りて、自由でありたい、苦しみたくない、アイデンティティを奪われたくないと異口同音に喋っているが、人間の欲望がそういう近代的「自由」という衣装をまとって、いつ、どのようなきっかけで産まれてきたのかを明らかにしていないのである。
 フーコーにあってネグリにないものは何だろうか。それは「自由」や「民主主義」、「主体性」、「情念」という対立概念を含む政治用語の使い方だとおもえる。いまにも「愛」とか「連帯」などという言葉が飛びだしかねない彼の語彙のまわりに付着した概念の歴史的位置が方向づけられているかどうかのちがいなのである。ネグリの場合、歴史性はスピノザやルネサンスまでさかのぼって途切れており、これはいいかえれば、自意識としての歴史認識が深化しないことにつながっていた。こういう言葉からくりだされる意識や行動の解説は、ただ、言葉の目新しさだけでプロレタリアートの運動も、反グローバリズムの運動もアラブの春もアメリカのウォール街の運動も十把ひとからげにとりこまれ、すべてを吸引したあげく、やがて消化不良をおこしてしまうのはあきらかだった。彼が概念の辻褄合わせを強いられる理由もここにあるのだ。
 ネグリがマキァヴェッリ、スピノザやマルクスを対象にしても、歴史の概念が、所詮、「近代」そのものの枠内にあるにすぎない。なぜ、ネグリは近「近代」的でしかありえないか。そのことがもっともはっきりするのは彼の戦争についての考え方である。ネグリは、「帝国」という権力は自らを正当化する暴力であるから、抵抗があらわれると例外的状況を対置するが、それが「予防戦争」、「無限定の戦争」であると言っている。

≪このようなプロジェクト(「マルチチュード」の共同性…著者)にたいしては、唯一の大いなる反対が存在します。例外状態、<帝国>的形態をとった戦争、新しい主権によって代表される反対がそれです。これらは死の経験を確認するとともに倍増させるのです。死は生権力の内容です。規律と管理を排除するのではなく、権力の効果の保証としてそれらを包みこむ究極の内容です。死をあたえることは、権力の手段でありつづけているのです。≫『<帝国>的ポスト近代の政治哲学』アントニオ・ネグリ著 上村忠男監訳

 ここでネグリが言いたいことは、権力がその権力を保持しつづけるために、例外的に「マルチチュード」の共同性を阻む目的において、人間に「死」の一回性を再認識させ、戦争の戦争、しかも、永続的で無限定な戦争を必要とするということである。「死」は根本的に共同性に反するから、それを利用して「生権力」の支配を続ける、それこそ「生権力」の究極の姿だ…と。ここで立ちどまって、ネグリに「ちょっとまってくれ」といいたくなる。これでは生産様式、労働の組織化、空間のヒエラルキーなどの「生権力」の管理一般と戦争の例外性の区別がつかないではないか。また、ネグリは唯物弁証法にもとづく戦争の必然性を否定するから、経済決定論や下部構造と上部構造の関係にもとづいて資本主義の必然性にともなう国家の暴力という考え方を退けているが、戦争は、「帝国」の時代だけでなく原始の部族社会から存在していたのではないのか。その前に、近代以降、支配者は「自由」や「自衛」、「希望」の言葉にくるませて、「良い戦争」と「悪い戦争」の区別があり、じぶんたちの戦争を「良い戦争」と位置づけ、開戦のとき、その多くは「自由」、「民主主義」、「自衛」のための戦争と吹聴した。
 おなじスピノザの「自由」といっても、戦争することが「自由」と解釈する余地があるなら、「自由」とは唯物論の流れと観念論の流れがあるといってみても、堂々めぐりにしかならないのである。いままで国家意思と民衆の意志のすれすれのバランスの上に、不幸な戦争の歴史がつくられてきたのであり、近代の戦争と「帝国」の戦争、また、古代、中世の戦争とどこがちがうか、そこを納得させないかぎり「帝国」が国民国家を拡散させたと同じように、「戦争」概念を歴史空間に拡散させてしまうことになるのである。わたしは歴史的な自意識を媒介させれば、戦争はあくまでも「国家の意思」としてあったことを疑うことができない。逆に言うと、「国家の意思」としての暴力以外は戦争と呼ぶべきではないとおもう。そういう内容を白日に下にとりだすためにも「国家」概念の歴史的掘り下げが不可避なのである。もっといえば、結局、ネグリには発生から最後まで歴史をたどる自意識がないことであり、歴史の跨ぎをやってしまっているということになる。それは政治には国家と市民社会という媒介が必要なことを意味している。このような国家の跨ぎはドゥルーズなどにも形をかえて忍び込んでいるようにおもえる。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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