評論  戦争と従軍慰安婦

 戦争とか国の防衛の問題を大上段にふりかざして議論すると、いくつものタブーに突きあたる。うんざりして、もうそろそろ、作り話と決別しなければならない時期だとおもう。米国が現在イラクやアフガニスタンで行っている戦争のことを考えるとき、いつも最初にマスコミが気に懸けるのは、当該国の何の罪もない子供や老人の犠牲者たちのことである。テレビ画面には、空爆された家の傍で近親を失ったものが泣き叫んでいる場面が繰り返し映し出される。確かに、戦争は弱い立場のものに集中して深刻な影響をおよぼすことにまちがいない。しかし、それだけであろうか。もしかしたら、そういう恒例のような戦争の光景の中で、わたしたちはいつのまにか大切なことに目をそらしているのかもしれないのだ。

 政治思想的な用語では、どちらの立場を優先するかによって戦争像全体の文脈がまるっきり変わってみえることがありえる。それなら、わたしだったら真っ先に、政府にかりだされた米国の若い兵士のことを考えてしまうだろう。わたしがここで大きく想像力を膨らませた文脈をたどるとすれば、彼ら兵士の多くは米国社会の中でどちらかというと中産階級以下の階層に属しており、それまでもこれからも裕福な生活を望めないから、給料が保障されていることを目当てに軍隊に応募し、遠い戦地へ送りこまれたイメージをもってしまう。その敵と味方の見分けがつかない不慣れな土地で、実感のともなわない対テロリズム戦争という大義のために、絶えず緊張感を張りつめたまま、一部の者は運悪く不意に殺されたり、負傷したりしているのである。そして、幸運にも無事に米国社会へ帰還してからも、ささくれた戦場で身につけた心の影と自ら戦わなければならなくなる。彼らは家族や社会との接点を見失ってしまったり、心の傷を吐き出せないままカウンセリングを続けながら、仕事復帰を願っているにちがいないのである。戦争の敵とは敵の弾だけではないのである。

 このように戦場という場所は、当事者にとってばかりでなく、とてもあやふやで用心深く考えてみなければならないところなのである。なぜなら、わたしたちのいる場所から見ると、戦場は時間と空間をはるかに隔てて、まるでビデオ映画の向こう側にいるようなものだからである。つまり、わたしたちはマスコミなど報道機関によって切り取られた戦争の断片を、あたかも戦争の全貌であるかのように錯覚しているにすぎないのだ。だから、画面の手前で米国兵士が何を考えて戦争に参加したのかを決して見ることはできないのである。このような報道の姿勢は、第三者のような顔つきをして、いつも映像のこちら側にいるとおもってまちがいない。だからこそ、すぐさま条件反射のように戦争についてドラマ仕立ての舞台装置を設定してしまうのだ。その証拠に、わたしたちが知っている戦争の犠牲者は、必ず、地元のイラクやアフガニスタンのひとびとの家屋が吹き飛ばされた瓦礫の中にたたずむ映像におさめられるだけで、決して、米国の兵士たちの死傷した姿を見ることがない。米国政府が、厳重な報道統制を敷いているのは明らかなのだが、問題は表現の自由にかかわることではなく、当事者と傍観者の関係の問題なのである。

 ごく当たり前の想像力を働かせれば、そのような戦争の内側とは、国家が自国の青年を兵士として死に追いやる方法や技術にすぎないということである。他国の兵士や民間人を死に追いやるだけではなく、自国民を死に追いやること、これが戦争の全体像を見誤らないことができるかどうかの最大の分岐点である。その分岐点を知らずにとおりすぎたマスコミや知ったかぶりの知識人は、実際に戦場におもむいたひとびとの兵役体験の頭越しに、きまって、わが国のかつての戦争について「侵略戦争」か「自衛戦争」かの区別をつけたがる。また、南京で大虐殺があったかどうか、従軍慰安婦はみずから望んだのかどうか、靖国神社には兵士が祭られているかどうかである。そして、これらの戦争に関わる事件の見方について自虐史観になっていないかどうかなど、薄っぺらな歴史認識を割り込ませてくる。とりわけ、最近の尖閣列島をめぐる領土問題を契機に、間欠泉のように戦争論議が噴き上がっているのだが、そんなことは三百万人もの犠牲者をだした戦争事実と比べれば、ほんとうはどうでもいいことなのである。

 以前、倉本聡の『帰国』という終戦記念ドラマをみたことがある。もともと演劇仕立てのものとみえて、かつての兵士の亡霊となった登場人物からたくさんが言葉が吐きだされ、網の目のように織られていた。今まで見た同種の特集終戦ドラマとはちがって、あの大戦時の時代にさかのぼって、平和の尊さをかみしめるという感傷に溺れてはいなかった。逆に、あのような過去が現在のわたしたちにどう語りかけるのかということに狙いがあるようにおもえた。しかし、その一瞬、なぜ、わたしたちの「いま」に語りかけられなければならないのだろうと疑問がわいてくる。南方から幻の列車に乗って、つかのまの帰国を果たす「英霊」たちは、なぜ、「戦没者」ではなく「英霊」とよばれ、大戦で生き残った戦友が待つ敗戦直後や高度成長期の戦後世界ではなく、いま、すでに同じ戦争を体験した家族や友人の世代変わりが進んでいる「いま」でなければならないのだろうか。おそらく、倉本は戦争の問題がもはや体験ドラマにならないことをよく知っているのだとおもう。であればこそ、戦後、さまざまに論じられ猥雑な肯定と否定が繰り返されてきた戦争の意味が、今一度、全部解体され、登場人物である画学生や音大生の内面に沿って、どのように国のために殉じようとしたかの意味が純化できると考えたにちがいない。わたしたちの多くは、当時の若者たちが国家に洗脳され、なんの疑いもなく死んでいったと誤解しているのだが、ここに登場する若者たちはすべて、戦争期にすでに自我をつくりあげている。そのような個々の内面性をもった彼らが、戦争に翻弄されていった軌跡がくっきりと浮かび上がってくるのである。中には、転向文学さながら、戦争への参加に罪責感をもつ人物も登場したりする。

 倉本がこのドラマに純化したおもいは、「戦後の日本は平和を謳歌し、豊かさや便利さを追い求めてきたが、この平和をもたらすため国のために殉じた若者の純粋さや家族のおもいを裏切っている」ということだったにちがいない。ここでは戦争の加害者や被害者の問題が重要ではなく、「純粋さ」そのことの大切さが謳われている。だから、倉本にとって、戦争とは「純粋さ」なのか「純粋さが壊れる」ことかはどちらでもいいことのように映っている。また、「人命」なのか「人命を損なう」ものかの区別も、ものの数ではなくなってしまっているのである。ただ、戦争という巨大な歴史の渦巻きのなかで、保ち続けられた「純粋さ」のかけらを集めて、現在のひとたちの前に提示し、「英霊」に対して思いをはせることを喚起すればよかった。そのため、昔の画学生や音大生は、寸分たがわぬ自らの自画像であればよかったのである。事実、戦争に対する猥雑な論議は、すべてラストシーンの『海ゆかば』に吸収されてしまっているとおもう。

 これに対して戦後70年の歳月は、すぐさま、ふたとおりの答えを用意できる。ひとつは、ほんとうに「純粋」だったのかということ、もうひとつは、その「純粋さ」そのもののもつほんとうの意味あいである。確かに、倉本が表現しているように戦中に比べて戦後の現実は猥雑だった。しかし、芸術家肌の倉本の見えないその先がある。それは画学生や音大生が見て猥雑に見えたものだ。この過程はなかなか伝わりそうもないのだが、あえて言うと、片一方の「純粋さ」と猥雑さとの断層みたいなものである。この断層は、実感としては当時の若者たちも貧しさや不平等への反発として表現されていたものだが、意識化するやいなや、まったく別のものにすり替わってしまった。それに気づいたものたちは、もはや「純粋さ」を信じなくなったのである。

 そういう純粋体験に比して、太平洋戦争はほんとうに「侵略戦争」だったのかどうかの議論は猥雑さそのものにちがいない。おそらく、中国や朝鮮半島のひとたちは、これからも「侵略」を受けたと言い張るだろう。また、それに同調したわが国の知識人や政治家は、そのことで坊主懺悔するかもしれない。一方には、太平洋戦争は、あくまでも「自衛」のための戦争だったと正当化する者も多い。もし、「侵略戦争」にしてしまうと、そのために命をなげうった兵士やその家族の大義が立たないと考えているからだ。しかし、原則的な見方からすれば、南京虐殺が何万人規模であったのか、何千人規模であったのか違っていても、それが戦争の本質を変えるとはおもえない。それなのに、彼らは戦後70年近く経過してなお、当時の歴史観に感情移入したままの立ち位置で、戦争のことをこちらから見てしまっているのである。つまり、「侵略戦争」を肯定するにしても否定するにしても、これらすべて想像力が欠如した戦争の意味づけとしか読めないのである。このような考え方は、どれもが100年前に書かれたレーニンの「帝国主義論」の受け売りにすぎないからだ。

 レーニンは帝国主義列強が植民地を争奪する際の軋轢が帝国主義戦争をうみだしたことを非難し、これに対して植民地が帝国主義列強に対して挑んだ民族解放戦争を肯定した。つまり、レーニンは社会主義に一歩近づくためなら戦争を容認したのである。その場合、わが国はどちらの側に立っていたかをめぐって議論が別れたのである。つまり、あの戦争は遅れて帝国主義列強に仲間入りしたわが国が、西欧列強の帝国主義に戦いを挑んだ帝国主義戦争なのか、それとも西欧列強によって長らく虐げられた植民地の側に立って、東アジアの解放を目的にした民族解放戦争だったのかという議論である。しかし、レーニンのように視線の選択を迫るレベルの歴史観、戦争観にとどまっている限り、いつまでたっても前に進めない、どこかで考え方を転換しなければならないのだ。

 先日、日本維新の会の橋下代表が、当時の従軍慰安婦は軍隊に必要だったと述べたことでマスコミが大騒ぎした。いま唐突に、なぜ、従軍慰安婦の問題がでてきたか不明だが、橋下は、どこの国の軍隊であろうとそれに似たようなことはあったにちがいないから、わが国だけが近隣諸国から責められ、非難を受ける筋合いはないとの趣旨であろう。確かに、どの国においても意に反して兵士たちは売春のような事実から逃れられなかったと想像できる。それは現在の価値観に照らしてそれを是認しているのではなく、単に、事実としてそう言えるかもしれないということである。しかし、それを事実として政治的に主張したということは、それに付随するイメージを含めプラスの価値として押し出したことになり、政治的な沈黙の意味あいとは大きく異なる。推測するに、近隣国から従軍慰安婦や歴史認識について再三にわたって問い詰められているわが国の一連の政府の立場に呼応する言動のようにおもえる。だが、わたしなら、そういう事実があったことから導き出せる答えは、従軍慰安婦自身も悲惨であるが、ほんとうは同時に、家族や親元を離れて遠く戦場におもむき、慰安の場所としてその必要性をもった兵士たち自身の姿も悲惨だったと見る。兵士たち自身がどのように考えていたかは別にして、彼らにはなんの責任もないから、よけいに悲惨なのである。

 橋下のようにその事実を是認した上、そのような戦争自体の悲惨さを後ろに隠して、どこの国の軍隊でもやっていたことであるから、どちらがより善に近かったかどうかなどと居直り、比較の問題にすること自体が、いわば、戦争観や歴史観の縮退なのであり、幼稚な考え方なのである。ほんとうはそういう兵士と従軍慰安婦の戦争の悲惨さから学んで、何をしたらいいのかを考えなければならないのである。マスコミは、戦争中まで思考を巻き戻して軍隊と従軍慰安婦の関係を再確認している橋下に対して、戦後の70年という長い時間は、彼に何をもたらしたのか、そのことを突きつけるべきであった。つまり、従軍慰安婦の存在の必要性を是認したことを責めるのではなく、橋下の歴史観はそのような事実から何をみいだし、今後の展望につなげているか問い詰めるべきだったのである。戦争の問題は、もはや想像力の中にしかないから、事実だけからは再構成できないからである。

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