戦争をなくすにはどうすればいいかという設問を公開の場にひきだすと、あるものは戦争と平和という概念そのものを壊して、ひとそれぞれの善意に委ねようと言ったり、また、あるものは国家間の生存競争がなくならないかぎり人類の戦争はなくならないと言ったりする。そして、結局、クラウゼヴィッツにならえば、戦争は国家単位でおこなわれる政治の延長でしかないから、国家や政治自体をどこまでも縮小していく以外に方法がないと結論づける。つまり、戦争と国家の論理を未来にひき延ばしていき、それぞれの極点が交わるところにこそ、問題を解決する場所があると考えてしまうのである。
なるほど、レーニンなどは社会主義の実現までは戦争はなくならないと考えた。そして、世界史は不可避に戦争と平和が交互に繰り返すことを前提にして、「帝国主義戦争」や「植民地解放戦争」の隙間を縫って、「世界革命」の実現と「国家の死滅」へつらなるイメージを追いかけた。わが国のかつての北一輝や軍部イデオローグも似たような戦争の世界史のイメージを抱いていた。石原莞爾は『最終戦争論』の中で人類の前史を終わらせるために何をしなければならないかという問題に答えて、幾たびも戦争と平和が交替する世界史を圧縮しながら、戦争形態による分類を指さし、彼なりに戦争が目的ではなく、目的のための戦争であることを納得させようとした。
その一方で、石原はまるでひとの生死をみくびるかのように、全国民の半分を犠牲にしてでも実現されなければならない理想を語っている。そこに血なまぐささ以上のデカダンスを感じてしまうのだが、彼が戦争と戦争後の世界像をみちびきだすステップとして掲げた理念型は、レーニンなどの理念型とさして変わらない特徴をもっていた。なぜなら、彼は遠大な最終戦争の結果、ようやくおとずれた平和な生活においては、経済生活が向上してひとびとが貧困から解放され、だれもが何不自由なく暮らせる世界を約束していたのである。石原は生産力思想の持主であったから、昭和維新をおこなうには、まず、社会の生産力増強を維持するために国家統制を強めなければならないとした。その統制がやがて第二次産業革命をつうじて物資の充足をもたらして、ひとびとの自由な生活を保障すると考えたのである。そのようなユートピアは最終戦争の準備要件にもなっていたのである。彼がこれ以上ないくらい正確に、一見、ユートピアとみまがうところまで国家社会の理念型を引き伸ばしていたことがわかる。
また、北一輝においても、「純正社会主義」の実現のため土地、資本の公有化によって経済的進化を推し進めることによって、今日の下層階級に経済的自由、平等を与え、政治的、道徳的独立を実現することができるとしている。土地及び生産機関の公有化をめざしてトラストを拡大し社会的大生産によって貧困をなくすこと、そして、社会はより進化していくと、ゆくゆくは万人の平等な分配という共産主義にいたるはずであるとする。彼はマルクスの言い廻しにならって、社会主義とは清貧の分配の平等ではなく、貧困の平等をめざすのでもなく、また、上層階級を下層に引き下げるものでもなく、下層が上層に上がるものであるとしている。また、社会主義は帝国主義のような空想的な世界統一主義ではないから、いきつくところ国家主義と個人主義は社会民主主義に包摂されると言われている。このような思想はレーニンが『国家と革命』においてプロレタリア独裁をくぐり抜けたあとに描いた必要に応じて物資を享受できる共産主義社会の理想型となんら変わらないようにみえるのである。そして、その過程において戦争や統制や独裁は不可欠なものと考えていた点においても、共通する理念型を示していた。
わたしたちはすでに、戦争中、「八紘一宇」の精神、「東亜新秩序」、「民族協和」という言葉をもって実際に軍部がやったことを知っているから先入観をもってしまうのだが、ここで貧困や飢餓、不平等、いわば、ひとびとの欠如感を満足させる理想社会の原型としてあらわれているのは、ほぼ世界史の同時代の共通性として読みとることができる。わたしたちは、戦後に獲得したマルクス主義や民主主義思想のイメージによって、戦前の言葉の理解をカバーしており、ともすれば、わが国の戦前にアジア的専制主義の忌まわしさのみをみることで安心し、莫大な犠牲とともに勝ちとった進歩の面目を信じてきたのである。だが、ほんとうは、進歩的と信じられてきた思想と石原らの思想はわずかなちがいでしかなく、むしろ、レーニンらが単一の国家論からはじまって世界へ、そして社会主義から国家死滅へと上昇していく視線は、石原が国体の精神を東亜諸民族の上に戴き、さらに、「八紘一宇」の精神へとつなげる理念型と瓜二つといわなければならないのである。つまり、戦争によって規定された思想という観点に立った場合、レーニンとわが国のファシストの抱いていた世界史の下敷きは相似形とみてさしつかえないのである。いいかえれば、戦争は言葉をつくり、言葉は戦争をつくる意味において、彼らのあいだにちがいはみつけられないのである。
石原は太平洋戦争が開始される直前、すでに近代民族国家同士の領土獲得戦争の時代が終わりの段階にさしかかっているとの認識に達していた。そのとき世界はブロック共同体を求めてもがいている段階とみなしたのである。ヨーロッパにおける大英帝国の存在はもとより、ヒトラーは覇権を拡げてEUまがいのヨーロッパ共同体をつくろうと画策して戦争を仕掛けており、米国は南北アメリカ大陸全体を糾合しようとし、ソ連邦は独自の共同体をつくろうとしていた。それに対してわが国は、中国と戦争をおこなっている最中であったが、満州国の建国を機会に日支満によって東亜の諸民族の統合が目されていたのである。このような情勢の中、石原はこれらブロック共同体の究極のいきつくところ、東洋世界と西欧世界の思想的精神の相容れない葛藤を読みとった。つまり、西欧世界の物質文明の発達は覇権主義に支えられているのに対して、東洋は精神主義の王道にもとづいており、たがいに闘争段階に突入しているとみなしたのである。そして、ブロック共同体は離合集散を繰り返すうち、その争いの頂点において勝ち残った王道の東亜と覇道の米国が近いうちに太平洋を挟んで大戦争をおこなうにちがいないというシナリオを描いた。
≪どうも、ぐうたらのような東亜のわれわれの組とそれから成金のようでキザだけど若々しい米州、この二つが大体、決勝に残るのではないか。この両者が太平洋を挟んだ人類の最後の大決戦、極端な大戦争をやります。その戦争は長くは続きません。至短期間でバタバタと片が付く。そうして天皇が世界の天皇で在らせられるべきものか、アメリカの大統領が世界を統制すべきものかという人類の最も重大な運命が決定するであろうと思うのであります。即ち東洋の王道と西洋の覇道の、いずれが世界統一の指導原理たるべきかが決定するのであります。≫『最終戦争論』 石原莞爾著
石原が戦争術から学んだシナリオや彼が帰依していた仏教思想の予言的な言い廻しでは、日米戦争は双方が十分な経済力の発展をふまえたのちの大戦争でなければならなかったのだが、果たして、それはわずか数年後に現実のものとなった。だが、予定が早まったとはいえ、両国の「極端な」全面戦争へ傾斜は、あながち的外れではなかったことになる。そして、戦略論の観点からもっと予想が的中したのは、彼が最終戦争に備えて空軍の強化と防空体制の強化を唱えていたことである。第一次世界大戦以降、陸海軍の守備範囲が縮まって持久戦の色合いが濃くなり、空軍を交えた立体的な戦略の優位性が求められはじめていたのである。それに立ち遅れたわが国は、やがて、太平洋戦争において空軍の不備をつかれて制空権を奪われ、空爆によって国土は焦土と化してしまった。
さらには、石原は航空機を使った最終戦争の帰趨を決めるのは、大陸間弾道弾に似た最終兵器としての原子爆弾であることを仄めかしていた。最終兵器は生産力の質的高さを測るバロメータであり、彼のいう最終の「決戦戦争」の象徴であった。彼は今よりも遥かに技術が進歩した戦争において短期間で勝敗を決するような最終兵器がうまれてはじめて、世界を統一するほんとうの平和が訪れることになると述べている。そのとき、すべての国家対立は解消して世界は単一国家になり、ほんものの平和がやってくると展望したのである。わたしたちはここで、戦後の米ソ冷戦時代を通じて現在においても、少数の国家が核兵器を保有しており、一夜にして敵国の首都を攻撃できる最終兵器をもったことで、かえって戦争のバーチャル化を実現してしまった結末を、石原の言葉と重ねて聞くことになる。しかも、この驚きはレーニンの末裔たちが描いた社会主義拡大(かつての社会主義ブロック圏)の見取り図にも符合しており驚きが倍加する。
そして、なにより、かつての軍部内の統制派、皇道派の区別を問わず、このような戦争術から演繹する方法にしたがっていけば、戦争は不可避であるばかりでなく、この「戦争力学」のバーチャル化が、現実の資本主義社会の世界像にも影響力を及ぼしてくることを知らなければならないのである。戦争への視線が「国家としての戦争」を経由してしまうことで、必ず、国家・世界像を組み立てる上でどこかに歪みを生じてしまうからである。その際、わたしたちは「戦争としての国家」を標的に仕立てあげたのだが、民族国家の枠組みを組み替えようとしたら、いとも簡単に宗教的(呪術的)な世界統合の理念にまで縮退することもありえることを知った。そのことで、逆に、民族国家の根強さを証明してしまうほどなのである。現在でも米国は「民主主義」ブロック信仰によってイスラム世界の台頭と対峙しており、そういう世界像を形づくった視線の対立が危機としての戦争を手招きしているのである。おそらく、これに対抗するためには、単一国家に、そしてブロック国家群に、さらに世界統一へというように上向する視線を解体しなければならないとおもう。また、近代民族国家の消滅を簡単に信じないほうがいいとおもう。
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〔opinion1325:130609〕