かつての大東亜戦争が、なぜ、あのようにナショナリズムを高揚させ、あたかも破滅への道筋をまっしぐらに進むかのように国民を駆り立てたのであろうかと考えるとき、現在のわたしたちなら、かつてのソ連邦や現在の北朝鮮など社会主義を自称するアジア的専制国家の変奇さと重ね合わせて、情報が統制されていたから世界観が狭かったとか、民主主義意識が未熟だったとかさまざまな言い方をすることができる。しかし、本当の原因はもっと別のところにあるとおもえてならない。たとえ情報が自由に往き来していると思われている自由主義国でさえ、正義のための戦争が正当防衛に見えたり、戦争悪に対して戦争悪をと居直ったりすることがあたりの前の「常識」があるかぎり、情報は操作されていることにかわりないからである。であるなら逆に、なぜ戦争を回避することができなかったのかを問い詰めることで、いくつかの回答があたえられるかもしれない。
もしも、あの時代にたったひとりの人物の言動でもいいから、戦争はどんなに倫理的正義や大義を振りかざしても、自国民と相手国民の利害に反すると言い切る「非戦」の思想や文学が存在したならば、わたしたちの大東亜戦争に対する見方はまったくちがったものになったはずだ。しかし、そのためには国家の安全と国民の安全とは全く別のものであるという高度な認識が不可欠だった。この当時の国家と国民の違いということは、国民に値する国家、国家に値する国民になればその隔たりが埋められるというものではなく、構造的な立場の違いを指している。この違いがわたしたちの風土で見えにくいのは、進歩主義者、近代主義者を問わず、国家が天然自然の山河、国土と同じ目線でとらえられて、国家の生命が危殆に瀕しているのは、すなわち国民生活の安全が脅かされていると思っているからである。かつての大戦の悲惨さをくぐりぬけてきたからこそ、一方では、現行憲法9条で「絶対平和」を守ろうとし、片方では同じ理由から憲法を改正して国防を万全にしなければならないと論戦しあっているのだ。しかし、彼らは同じ土俵の上で見かけ上、対立しあっているにすぎないから、ほんとうに戦争という事態になれば、なし崩しに相互に転換してしまう程度のものなのである。
このような見方がいかに大切かについては、たとえば、北一輝のような急進ナショナリストの方がよく知っていた。北は、社会民主主義は社会主義と個人主義のこの二本柱を並行して立てることによって健全な進化がおこなえると考えた。それは裏をかえせば、個人を抜きにして社会主義は成立しないということにほかならなかった。北の思想では歴史的に国家と個人の間は夾雑物を挟まず裸で向き合っているはずだから、その個人は個人主義という権利意識よりむしろ個体という言い方があてはまる。わたしたちは、北の個体概念を手掛かりに、仮に、国家の支配というもの、あるいは戦争というものは国家と個人の間に仲介物がはいった状態を指すと定義づけることができる。そのような考えを実体的にとらえた北や大川周明などの「昭和維新」の運動は、軍部のクーデタで「君側の奸」を排除する計画に行き着いた。だが、ほんとうはこの仲介物というのは支配構造そのものであり、特定の人物によって象徴されるものではなく、たとえ彼らを武力で排除することに成功したとしても、今度は自らが排除される対象に替わるにすぎない。むろん、それらに反発する彼らの立場自体、その支配構造の中の一勢力にすぎなかったのである。
いいかえれば、彼らの行動思想の限界は、国家や個人をモノや肉体としてしかとらえることができなかったことにあり、そのことで、結局、個人が国家に近づこうとすると原子の分裂のようにはじかれたのである。この意味で北の「昭和維新」の運動は、国家に直接触れようと意図した革命であったが、厚い壁に阻まれ途絶したというより、はじめから国家と革命のメカニズムに組み込まれた宮廷革命の変種にすぎなかったのである。その際、北が一切の国家間の戦争のない理想郷を達成するためには、国家競争という媒介や迂回路が必要と考え、その過程で日本国家を盟主とする新しい国際主義が避けられないという戦争史観そのものが、袋小路の中の宮廷革命的発想だったのである。
わたしたちは理念としては国家と国民が過不足なく寄り添った夢を描くことができる。北は人類の進化がどこまでも進んだ果てに、一瞬、そういう夢をもってしまった。そこにたどり着くまでの戦争状態を脱すると、もはや戦争する理由がなくなってしまうから、いわば、戦争の論理の終わりが訪れると考えた。その戦争の論理の終わりという点については、わたしたちは北と違った理念をもっている訳ではない。ところが、現実の歴史は北に、国家は国民の意志に反してまで戦争をすることを教えている。その場合、国家と国民は決して等号では結ばれないのであり、国家と国民の間には隙間があり、その隙間から戦争の論理が湧いてくることに考えがおよばない政治家によって実際の戦争は起こってしまうのだ。
それならわたしたちは、北のように起こるであろう戦争を追認するのではなく、まず、なぜ、隙間があいてしまうのかという原因を探し出さなければならないとおもう。そして、もうひとつは、隙間の空いた状態でありながらも、国民個々人の意志の総和が国家の意志であることに近づける次善の策を考えなければならないのである。いいかえれば、ひとつは戦争や国家そのものの根拠をひとつひとつ潰していくということ、もうひとつは現実的にできるだけ戦争のできない体制をつくってしまうことである。後者については民主主義を保証する制度をつくることでそんなに難しいとはおもえない。しかし、前者は国民と国家を離反させる感性、意識や社会的関係意識を含む社会・政治制度にまで立ち入る必要があるため容易ではない。わたしはこれまで大東亜戦争を支えた歴史観や大衆ナショナリズムの動向をとおして、この国民と国家との関係が媒介物に阻まれた支配構造をみてきたが、さらにアジア的支配構造と高度に資本主義化した近代制度が混淆した現実の歴史を俯瞰する方法でほぐしていくことができると考えている。
そのような媒介(仲介)の思想は、既にレーニンの国家暴力装置論によって政権奪取の政治革命から社会革命へというプログラムの進行の論理にあらわれていた。そして、労働者の政治権力は、はじめプロレタリア独裁を必要とし、支配者や反革命に対する収奪を終えてのち、自然必然的に国家は徐々に市民社会の中に埋もれていくという待機の論理が、のちのソ連邦の権力を固定化する理由づけに利用されることになったのである。わが国やソ連邦、中国などアジア的専制の遺制があるところで政治主体が、個人(個体)と国家の間を論理的に結びつけようとすればするほど、必ず、裏腹に国家を高みに押し上げ、待機する期間を埋め合わせるためにスターリンや毛沢東神話に類する「信仰」の問題が表面化する。なぜなら、待機させる時間を解釈するには起源の問題を避けてとおれない以上、復古的あるいは回帰する思想が無意識に露出してしまうのである。つまり、わたしたちが国家に近づこうとして歴史の起源を問題にする場合、不可避に「信仰」の問題が立ちふさがる。そして、必ずといっていいほど、個人と国家や神を橋渡しする人間の存在が注目されるのである。
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