財政論 債務の罠に嵌まった日本

  先進諸国がインフレ抑制のために政策金利を引き上げる中、日銀の対応が注目されたが、6 月 17 日の日銀金融政策決定会合で日銀は金融緩和策の維持を決めた。来年の黒 田総裁の任期が終わるまで、10 年の長期に渡る金融緩和策に大きな転換がないことが明らかになった。
 10年にわたるアベノミクスなる政策イデオロギーにもとづく金融緩 和策は実物経済の発展をもたらすことなく、証券投資の異様な膨張をみるだけに終わっている。アベノミクス・イデオロギーは、今後、長期にわたって日本経済の負債となって経済発展の足かせになるだけでなく、将来世代に膨大な債務を残す禍根をもたらすことになった。

債務の罠
 先進諸国が次々と政策金利を引き上げる中、日本はまさに10年一日のごとく、金融緩和政策を続けている。金利差が拡大すれば、さらに日本円は売られ、円安が進行する。 円安で濡れ手に粟のように利益を増やす企業もあるが、一般消費者にとって、円安は消費者物価の高騰をもたらし、海外旅行費用の高騰をもたらす。
 すでにゴールドマンサックスは今年の日本の予想インフレ率を上方へと修正し、コアの消費者物価上昇率を1.6%、来年の予想を1.9%に引き上げている。もちろん、これはあくまであらゆる商品・サーヴィス平均上昇率であって、日常消費関連商品の上昇率は この程度では止まらないものが多く、家計の出費が 2%程度に収まるというわけではない。
 日銀が目安にしている物価上昇率と消費者の家計を直撃する物価上昇率はまったく異なるものだ。抽象的な統計数値だけを眺めている人が、家計消費を肌で感じることはない。黒田総裁もこの部類に属する人だ。
 日銀側からすれば政策金利を上げようにも、上げられない事情が存在する。もうすで に日本経済には経済政策選択の余地が残されていない。政策金利を上げれば国債金利が上昇し、政府財政がさらに悪化するだけでなく、日銀の当座預金の金利が上昇して債務超過となる可能性がある。だから、簡単には金利を上げられない。
  他方、だらだらと金融緩和政策を続ければ、金利差による為替の円安に歯止めがか からない。日本売りが加速する。さらに、10年にわたる金融緩和によって、国内事業者の金融規律の弛緩が続き、金利引上げの圧力に耐えきれなくなっている。事実上のゼロ金利維持によって、金利の市場制御機能が失われているのである。
 政策金利を引き上げても、現状の緩和策を続けても、日本経済にとって痛みを伴わない政策転換がますます難しくなっている。これこそ、政府債務を長期に渡って積み上げてきた経済政策の帰結であり、日本経済が「債務の罠」に陥ってしまったことを教えている。何もハイパーインフレだけが重債務の結末ではない。累積債務の重圧は、今の段階で、取り得る政策手段の喪失という現象に現れている。
 ところが、この段になっても、政権政党も野党も、財政支出の拡大による景気刺激策の推進を叫ぶばかりである。「デフレスパイラル」というありもしない状況を頭に描いて、財政健全化を「緊縮脳」と罵り、価格上昇を絶対視する空想家もいる。「消費支出が不足しているから、GDPが成長しない」という抽象観念に取り憑かれた GDP信仰者もいる。
 与党も野党も短期的な景気浮揚策ばかりを追い求める結果、将来にわたって国民の首をじわじわ締め付ける政策を主張することになっている。選挙結果だけに目を奪われる衆愚政治が、日本社会を長期停滞へと追い込んでいる。政治家も「GDP 信仰学者」も 目先のことしか考えていないのだ。

政府債務と日銀債権の相殺という空想
 財政支出拡大を声高に叫ぶ政治家や「学者」のほとんどは、日本の公的債務の累積にきわめて楽観的である。これだけ債務を積み上げても、ハイパーインフレにならないから、この調子で債務の借り換えをベースに、債務を少しずつ増やしても問題ないと考えている。
 それを理論的に証明したと考えるのが、いわゆる「親会社(政府)―子会社(日 銀)」論である。三文学者の高橋洋一が声高に叫ぶ「親会社―子会社」論を、劣等生安倍晋三がさらに単純化して、各所で「持論」を披露している。
 財政健全化を唱える政治家や官僚には、「君はアベノミクスを否定するのか」と居直る始末である。これほどの社会的害悪があろうか。 日銀が資産として保有する国債(政府債務)が、「親会社と子会社の債権―債務の相殺によって消滅する」ことなどない。これは高橋洋一の頭の中の操作にすぎない。つまり、空想世界の議論である。現実に相殺されないから、日銀は政策金利の引き上げに慎重にならざるを得ない。
 しかし、仮に実際に相殺しようとすれば、何が起きるのだろうか。 日銀が保有する国債債権を政府の国債債務と相殺するという現実過程は、「政府債務の帳消し」(政府債務の徳政令)を意味する。戦時にそのような処理が行われてきた歴史は存在する。
 日本で考えられるのは、自然の巨大災害が同時併発するような状況である。この場合には、終戦時と同様に、ハイパーインフレによって、政府債務も民間資産も「お破算で願いましては」とリセットされるだろう。 巨額の債務を累積していけば、いずれそれを清算しなければならない状況がくる。その時になって、三文学者や劣等生政治家が責任を持てるはずもない。空理空論を叫び、 当座の景気上昇だけを追及する政治家や「学者」に支配された日本は、大きなしっぺ返しを受けるだろう。

初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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